11 一言必殺 nice kill

 週明けの月曜日、傍目には何事もなく学院生活は始まった。


(運動神経もいいんだもんね……)


 体育の授業中、玲於菜は助走をつけて軽やかに宙を舞う杏樹を眺めて息を吐く。

 いいことである。何かにつけて失敗ばかりの自分は、運動はどちらかと言えば苦手だから羨ましい限りだ。

 問題は、そうでなくてもクラス……否、学院中で浮いている杏樹の孤立にますます拍車をかけていることで。


(あ、でも……運動部の子達とは案外そうでもないか)


 今日の体育はバレーボールである。

 なだらかな弧を描きながら浮き上がったボールを、最高到達点から絶妙なタイミングで杏樹が打ち落とす。ボールが床を打つ音と、ピッと鳴る笛の音。


「ナイスキー!」

「超打ちやすかった。さすが本職、ナイストス」

「ありがとー」


 コート上のやり取りが聞こえてきて、玲於菜の表情が和らぐ。

 運動神経のいい杏樹は活躍している。勿論本職のバレー部には敵わないのだが、同じチームにいる本職のセッターが思わず声をかけてしまうほどには見事だ。

 そもそもクラスメイトとコミュニケーションが取れていないのだからチームプレイは上手くはいかない。だがそれでもサッパリした気質の運動部の女子とは比較的マシなようだ。

 女子同士のいざこざは面倒なので教室では我関せずだが、杏樹自身に含みを持っていない女子はちゃんといる。


   ○


 授業終盤、杏樹はバレーで同じチームだったクラスメイトと後片付けをしていた。

 これは単なる成り行きである。本職のバレー部でもあるクラスメイトは、どこに何の道具が置いてあるか把握しているので教えてもらっていただけだ。

 その過程で多少の雑談はしたが、それほど特別なことは話していない。

 そんな最中に、


「あ、いたいた~!バレー部の先輩が用事あるってあなたのこと探してたみたいなんだけど」

「ぅえ、マジで?まだ片付け途中なんだけど」


 チャイムが鳴って休憩時間に入る頃、一緒にいた子が呼び出された。

 呼び出しの伝言に来たのは巻き髪の女子生徒で、その後ろには口元にほくろのある生徒も立っていた。このふたりは教室でもよく一緒にいるのでいつものことである。


「あぁ、片付けなら私達が代わるわよ?」

「ゴメン助かる。じゃあお願い」

「任せて~」


 口ぼくろの申し出にバレー部の子は申し訳なさそうに言い残し、足早に体育倉庫を後にする。入れ替りにふたりが入ってきたが実はもうやることはほとんどない。


「あと奥にネットを置くだけだからひとりでも大丈夫よ。わざわざごめんね」


 よいしょと畳んだネットを片付けていると、体育倉庫のドアが閉まった。

 星聚学院は体育倉庫にまでお金をかけているから、ドアが閉まっても備え付けの照明が明るい。


「そうなの~?でも緋上さんに用事があるって人も連れて来たから、」

「そうね、ちょうどよかったかしらねぇ」


 ガチャン、と重い音が背後から聞こえ、杏樹はネットを定位置に置いた体制で動きを止めた。

 一般的に考えて、この状況で『用事のある人』が女性であるとは考え難い。ここは名家の子女が多く通う星聚学院のはずだが、また随分と品のない手段に出たものだ。


「緋上さん、紹介するわねぇ。ひとつ上の学年の人なのだけど、学院で決められた校則以外のルールを教えるのが上手なの」

「緋上さんは高校からの入学だしわからないこと多いじゃな~い?あたし達に聞くよりわかりやすいと思ってお願いしたんだ~♪」


 ふたりの声が聞こえた後のタン、という軽い足音で距離を詰められたことがわかる。もう、すぐ背後と言ってもいいぐらいの距離に。


「いやー、そんな持ち上げられると照れちゃうんだけど。オレそんな大した奴じゃないよ?」


 明らかに男性のものとわかる、軽薄な声。


「……っ」


 杏樹の喉の奥で不自然に空気の収縮する音が鳴る。それを怯えていると思ったか、男は更に軽薄に続けた。


「ひょっとして怖がってる?大丈夫だって。言うほど怖くないって」

「せんぱ~い、それ地雷踏んでない?多少は怖いって言ってるのと同じですよ~」

「あ、いけね」

「っふふ」


 調子付いてきたのか縦ロールと口ぼくろが囃し立てるように笑う。


「まぁいいじゃん、どっちでも。そろそろ顔見せてよ」


 くっ、と肩を掴まれる。杏樹はそれに逆らわず、くるりと身を翻した。

 眼前に学院の制服を着た男子の姿。胸のポケットに刺繍された校章の色は確かにひとつ上の学年を示すもの。

 女子にしてはわりと身長がある杏樹だが、相手は更に上背があった。ゆるりと顔を上げると同じタイミングで目線を下げた相手とばちりと目が合う。


「っは、何て顔してんの」


 ちなみに、今の台詞を述べたのは杏樹である。

 目が合った直後、まるで未知との遭遇を果たしたかのように言いようのない表情で固まった先輩男子に向けて。今度は喉の奥に抑え切れなかった笑いと共に。


「……っひ、」


 短い悲鳴と同時にびくりと身を引いた先輩男子。すぐ側にあったバレーボールを収納する籠に当たって中のボールがガコンと動いた。

 さっきの授業で使ったから通路寄りに出ていたようだ。

 今はそれよりも、と杏樹は視線を籠から先輩男子に戻す。


「……で、何するって?『多少は怖いこと』だっけ?」

「おま、なん……話がちが……っ」

「いやだセンパイ、そんなにどもって。ひょっとして怖がってる?大丈夫ですって。――あの時ほど怖いことはしませんよ」


 腕を伸ばして先輩男子の肩に引っかけると、耳元で囁くように最後の部分を告げる。

 さっきの授業で本職の力を借りて何度か得点を決めた杏樹だが、間違いなく今のはそれに勝る今日一番の攻撃だっただろう。

 余談だが、スパイクで得点した時に使う『ナイスキー』は『nice kill』が転化した言葉らしい。今日だけで杏樹も何度か言われたし、バレーの試合ではそれこそ何度となく使われる称賛の言葉だが、語源は案外物騒である。何しろ『相手を殺すほどの攻撃』なのだから。

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