著作権の話をちょっと一杯。

@S_kouji

著作権の話をしよう

いつだったか、脚本家が原作のある映画を通じて「私を表現したい」と言ったことが物議を醸した記憶があります。

要は「この映画には原作があるけど、私の思ったようにやらせてもらうよ」という宣言です。

結局その映画がどのように評価されたのかはあまり覚えていませんが、原作ファンからの評判は芳しくなかったように思います。


映画化に限らず、たとえば小説が漫画になるとき、あるいは「公式二次創作」といわれるものでも同じようなことが起きたりしてます。

なぜ、こんなことになるのでしょうか。


このページではまず前提となる著作権について整理してみます。

本題は次ページなので、ご興味ある方はおつきあいください。


***


すでに出版されたことのある方にとっては耳タコかもしれませんが、人がつくったものには著作権が生まれます。

著作権という言い方は大枠のくくりで、実際には「具体的に何ができるか」という権利が集合しています。


たとえば作品のコピーをとる複製権。

たとえば作品を本という体裁に整えて出版する出版権。

たとえば作品をブログやサイトで発表する公衆送信権。

たとえば作品を映画化したり、翻訳したりする翻案権・翻訳権。


などなど、およそ作品にまつわることならほぼなんでも、作者に権利があるといっても過言ではありません。

言い換えれば作者の許可を取らずに上のようなことをやっちゃうと、もれなく「権利侵害」となっちまうわけです。


このように作者の権利は実に幅広く保証されているのですが、コピーやブログ作りならともかく、出版や映画化を作者一人でやるのはあまり現実的ではありません。

そこで制作会社や出版社に、「この権利は使っても良いよ」という許可をあげて、彼らの組織力・宣伝力・資金をもとに立派な本、または「二次的著作物」を世に広めてもらうことになります。

(二次創作物と二次的著作物は別物ですよ!)


ここで、「どの権利を使って良いか」ということを明確にしておかないと、

作者:「だれがミュージカルにして良いって言ったよ!」

とか、

会社側:「出版権だけじゃ本しか作れないよ!」

といったトラブルが発生します。

そこで契約書を取り交わします。


こういうエンタメ業に限らず、企業が契約書を取り交わす時は、自分たちの利益が最大限になるよう、あるいは損害が最小限になるよう細心の注意を払って文面を作っています。


企業 vs 企業(秘密保持契約、ライセンス契約)であれば、それぞれの法務担当部が血で血を洗う仁義なき契約文書草案バトル(?)を繰り広げ、だいたいは互いに痛み分けとなるような契約におさまります。


ところが個人 vs 企業となるとそうはいきません。

法的文書の専門家でもなければ、力関係も圧倒的に企業の方に傾いているのですから。


というわけで、おおよそは企業が著作権の大半を行使する許諾を手に入れます。

譲渡するわけではないので、作者が「お前は使うんじゃねえ!」と一喝すればなんとかならなくもない気もしますが、おそらく違約金とか訴訟とか大変めんどくさい話にはなるでしょう。


それに、このこと自体は別に悪いことではないはずです。

大きな組織でなければできないことは山ほどあるのですから。


***


ここまで超あっさりと著作権と、それがどういう形で使われているのかを整理してみました。

次ページからは本題、「なぜ原作クラッシャーが生まれるのか?」に入ります。

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