最終章 赦しの物語

第一話「判決」

主文

 被告人を懲役十年に処する。

(中略)


第二 前提事実

 関係証拠により、認められる事実は次のとおりである。

(中略)

被害者を経由したこうからの八百長相撲の打診命令

 甲は被告人及び被害者が当時所属していた相撲部屋へい部屋頭へやがしらであり、横綱の地位に在位していた者である。通常相撲部屋においては、関取以上の地位にある力士に対しては付け人と称して、その身辺の世話をする力士養成員が付されるところ、横綱たる地位の関取に対しては複数名の付け人が付され、被告人及び被害者は共に相撲部屋丙の横綱甲の付け人であった。

 更に被害者は被告人より遡ること五年前に入門し、被害当時は幕下に在位していた力士養成員であった。

 翻って被告人は最高位を序二段とする力士養成員であり、横綱甲に対しては勿論のこと、協会における経歴及び番付双方で被害者に対しても物理的抵抗はおろか、抗弁すらも許されない立場にあった。

 かかる特殊事情を前提として、被害者を経由して横綱甲より対戦相手おつに八百長相撲を打診しに行くよう命じられた被告人は、乙の付け人経由でこれを断られ、その翌日、被害者より「かわいがり」と称する制裁まがいの稽古を課されるに至る。

 なお、横綱甲が乙に対して八百長を打診したことは、捜査段階における参考人乙の供述を録取した書面について、証拠書面としての同意を得ていることからも、当法廷において前提事実と認めるところである。

(中略)


量刑の理由

 本件は、被告人が被害者に対し、刃渡り二十九・五センチメートルに及ぶケーキナイフを使用してその腹部を刺突し、肝臓及び肝静脈損傷の傷害を負わせ、殺害した事案である。

 被害者は、弟弟子である被告人により、わずか二十三歳の若さで突如その生命を奪われたのであって、力士養成員として前途有望であった将来を考えると、その結果は重大と言わざるを得ない。

 本場所後に本件犯行場所で執り行われた打ち上げパーティーという晴れの舞台で理由も告げられず生命を奪われた被害者の絶望は筆舌に尽くしがたく、その無念は察するに余りある。

 また被告人の不条理な犯行により突然大切な息子、兄弟の命を奪われた遺族らの悲嘆、喪失感共に想像に難くなく、遺族の処罰感情が峻烈を極めることも当然である。

(中略)

 しかしながら本件では、被告人が犯行に関する客観的な関与状況について素直に真実を供述しており、当公判廷は言うに及ばず捜査段階から被害者に対する謝罪の意を表明するなど、悲惨な結果をもたらした本件犯行に真摯な反省の意を表明していること、前提事実で陳べた如く、被告人は、相撲部屋という閉鎖社会において、物理的な抵抗は言うに及ばず、抗弁すらも許されない極めて異質かつ厳格な上下関係の最底辺に置かれていたこと、このような社会において番付最上位に位置する相撲部屋丙の部屋頭たる当時横綱の甲より、兄弟子たる被害者経由で、対戦相手の幕内力士乙に対し、八百長相撲の打診を命令され、これを断られるという、到底被告人の責任に帰すべきではない事情により制裁まがいの稽古を課されたこと、犯行前日、力士ていに対する八百長の打診に再び失敗した被告人は、稽古の名を借りた制裁を加えられるのではないかと恐慌を来し、発作的に犯行に及んだこと、そのことは被告人が凶器として使用したケーキナイフが、打ち上げパーティーの会場に漫然と置かれていたものであり、事前に凶器を準備する等の計画性については認められなかったこと、被害の弁済について被告人なりの努力を約束していること、被告人の両親が情状証人として出廷し、被告人の社会復帰後の監督を約束していること、日々読経などをして被害者の冥福を祈っていることなど、被告人に酌むべき事情もある。

 以上の各事情を総合考慮し、被告人に対しては、主文の刑を科すことが相当である。

 よって主文のとおり判決する。


筆者註 

甲……狛ヶ峰 

乙……連山 

丙……宮園部屋

丁……霧乃山

関取……十両以上の力士

力士養成員……幕下以下の力士



 裁判長に対して深々と頭を頭を下げる大男。もっとも、大男とはいっても以前はもうちょっと大きかったのだが、公判のストレスからかは知らぬ、これでも随分と小さくなった方であった。

 男は傍聴席に向き直ってさらに一礼した。

 遺族に対する謝罪の意の他に、自分に対する挨拶かなにか、そんな意味もあの礼には籠もっていたのではなかろうかと、愛知県警察本部捜査第一課巡査部長横河は、ふとそんなことを思ったのであった。

「控訴はせんだろうな」

 傍聴を終えて本部へと帰庁しようという道すがら、今村警部補からそう言われた横河巡査部長は真っ直ぐ前を見据えながらこたえた。

「懲役十年。

 量刑相場にたがわない判決ですが、あいつにとったら勝利ですよ。死刑にならずに済んだんですから」

 抵抗不能な特殊事情下にあったとはいえ、人一人の生命を奪った罪科は確かに許されるものではなかった。狛犬自身が覚悟したとおり、その罪は己が生命を以てあがなわねばならないのではないかという恐怖に駆られた狛犬は、怠惰が大半を占めた人生において初めて、自らの所業に真正面から向き合ったのである。


 懲役十年。

 決して短くない時間だ。

 だが狛犬自身が己が所業に真摯に向かい合った結果、獲得した死刑以外の判決だった。量刑相場がどうとか控訴がどうとか、小難しい話は狛犬にとっては関係のない話に違いなかった。

「あいつなら満期まで勤めるこたあないでしょう。いくらでもやり直せる。

 赦されたんですよ。あいつは」

 横河が何気なしに言っただろう「赦される」という言葉に、なにか胸の奥をちくりと刺されたように思った今村。自分を失望させたあの男に抱く怒りがどうすれば解けるのか、そのこたえに気付かぬ今村ではなかった。

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