第一章 汚された国技
第一話「退廃の土俵」
「今場所の優勝? えらく気が早いね。まだ始まってもいないじゃないか。まあいいや。今場所は
雑誌記者から、来たる令和〇年名古屋場所の優勝予想を訊ねられた一代年寄
だが記事を目にした多くの大相撲ファンは、かかる予想について
「それはない」
と言下に否定したものであった。
第一人者として長く土俵に君臨した横綱狛ヶ峰も、近年は力の衰えを隠しきれない取組が確かに目立ってきてはいた。ここ五場所は優勝から遠ざかってもいる。
例えば立ち合いなどはこうだ。
自分の呼吸で立てないとみると相手が焦れて合わせてくるまで何度でも突っかけ或いは突っかけさせ、自分の呼吸になるまで勝負を回避することは、狛ヶ峰の取組ではいまやお約束。他がやれば審判から怒号の飛ぶような立ち合いも、狛ヶ峰ならば許される、というのが当たり前の風潮になっていた。
ようやく立ったかと思うと左からの張り手で機先を制し、右からカチ上げるワンパターンな取り口。左からの張り手は、相手力士の顔面を固定して右の肘鉄を合わせるための布石であった。狛ヶ峰がこの立ち合いを見せるのは、決まって実力者相手の取組だった。
こうして機先を制し得意の右四つに組み止めたとしても、以前のように相手を起こして土俵外まで持って行く往時の力強さが、この横綱からは消えて久しい。曾ては二百三十キロを超える幕内最重量力士
世に様々なスポーツは存在し、
しかし狛ヶ峰のそういった退嬰的態度は、時折垣間見える素行の悪さと相俟って大いに批判された。
好角家と呼ばれる目の肥えたファンは、このところ狛ヶ峰が頻繁に見せるようになった取り口に
「実力者相手にまともな相撲が取れなくなっているから、カチ上げ頼みの立ち合いに偏っている」
とか、
「狛ヶ峰は以前のような横綱相撲が取れなくなっている」
と、苦虫をかみつぶしたような表情を隠さなかった。
横綱審議委員からは、毎場所のように
「狛ヶ峰の取り口は下品」
「横綱のあのような取り口を誰も見たいとは思わない」
と苦言が呈される始末であった。
最盛期には年間九十番中八十七勝の年間最多勝記録を三年連続で叩き出し、かの角聖双葉山に迫る六十八連勝を果たした大横綱も、昨年は六場所中五場所が全休もしくは途中休場であり、力の衰えは誰の目にも明らかであった。北乃花親方が優勝候補に狛ヶ峰の名を挙げたことに、ファンの多くが疑問を抱いたことも、無理からぬ話だったのである。
狛ヶ峰の力の衰えを指摘する声は、いうなればスポーツ科学の面からその優勝予想を否定する分析であったが、ファンの間では、感情面からも狛ヶ峰の優勝は受け容れがたいものと捉えられていた。
それはたびたびやり玉に挙げられる
「勝てば官軍」
と言わんばかりの狛ヶ峰の土俵態度を
土俵際、既に死に体になっている相手力士に対して押さなくも良い駄目を押す。これで土俵下に転落してしまい、しなくても良い怪我をした力士は実際多かった。
勝って懸賞を受け取る際にも手刀を切って神妙にこれを拝領するという仕草は
挙げ句の果ては、取組に敗れたあと、黒星に納得がいかないのか、審判部に物言いを促すかのように一分ほども土俵下に居座る暴挙に及んだこともあった。
こんな土俵態度では、いくら強いといってもファンは離れていくばかりである。
ただ、そんな狛ヶ峰が現役を逐われることなく横綱として番付の最上位に君臨し続けていられる所以こそ、限界説が囁かれるたびに果たす幕内最高優勝であった。アンチや横審がいくら狛ヶ峰の力の衰えを指摘しようが、その卑しい所作や発言を問題視しようが、狛ヶ峰は要所要所で白星をもぎ取り、これまで優勝を重ねてきたのである。
そうやって彼が重ねた優勝回数は既に五十六回に達し、歴代二位の優勝回数を十以上も上回る圧倒的な歴代第一位を誇っていた。
角界には
「白星が一番の良薬」
という格言がある。
休場明けの力士が、白星を重ねることによって相撲勘を取り戻していくときによく使われる言葉である。
それは囁かれる「狛ヶ峰限界説」に関しても同様であった。白ヶ峰は幕内最高優勝という、何ものにも代えがたい良薬によって、折に触れ噴出する限界説を吹き飛ばしてきたのであった。
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