第15話 アルノー

 その後、ルピはしばらく不貞腐れて外にいた。

 クレドがあの黒い塊でそっと窓から覗くと、小屋の前の少し開けた陽だまりで、巨樹の根元に寝転がっている。いわゆるふて寝だった。

 しかし、日が暮れてくると、小屋へ戻ってきて湿布を支度し、木杓子を操っておさんどんを始めた。職務という意識があるらしい。


「ルピ」


 クレドはベッドから声を掛けた。先ほどから薄荷臭く湿布をし、全身打撲で寝込んでいる。


「はい」

「しばらくスープとか粥とかにしてくれ」



 ルピはホスタを小さく刻み、炙った干し鱒をもちもちした指先でほぐす。

 それを煮ていたカラス麦や大麦の中に入れてかき混ぜる。

 言うまでもなく、すでに粥が支度されていた。


 それはともかく、今日はルピの返事が短い。言葉が少ない。

 クレドは、なんで自分を一撃でこてんぱんにした幼児に斟酌しなければならないのかわからないながらも、おもねるように言葉を続けた。


「ルピ、あのな」

「はい」

「あのノネズミは、旨かった」

「はい」

「ルピが料理してくれるならまた食べてもいいと思う」


 ルピは木杓子を持ったままぐるっと振り向いて、病床のクレドを見た。


「ルピがさいしょにもってきたおにくやおさかなだけでは、いつかたりなくなるのです。しんせんなおにくもだいじなのです」

「うん」

「すきとかきらいとかいっているとおおきくなれないのですよ」

「……うん」

 

 ルピは、ふぅ、と芝居がかったため息を吐いた。

 お説教の口調だ。ルピではない誰かの口調を感じた。きっとルピ自身が、大人の人狼たちに言われてきた小言なのだろう。

 ノネズミを食べずともクレドはそこそこ育っているのだが、反論するのが面倒で、そして少し面白くてクレドは相槌を打った。


「あるものでがまんするのです」

「うん」

「ぜいたくをいっているとおしりぺんぺんされるのですよ」


 幼女の一撃で寝込んでいるクレドは、尻からの衝撃で尾てい骨から脊椎がやられるのを生々しく想像してしまい、黙った。人狼の仔は、少し残念そうに続ける。


「のねずみはすぐつかまえられるのです。でも、ルピはこどもなので、しかやいのししにはかけっこでまけてしまうのです……ちからではまけないのに」


 怪力娘と言えど、この小さな体では命を懸けて逃げる獣たちには追いすがれない、という。


 ルピがここへ来た翌日、クレドはこう尋ねた。


「オオカミと君たちはどっちが足が速いんだ?」

「オオカミのほうがはやいのですよ。でもにんげんよりずっとルピのほうがはやいのです」

「耳や鼻は、オオカミとどっちが利くんだ?」

「オオカミなのです……でもにんげんよりずっとルピのほうが」


 オオカミに劣るのを口にするのがルピは少し悔しそうで、殊更に人間になら勝っていると言い募っていた。


 オオカミは細く引き締まった体躯でありながら、筋量を誇る人間であっても簡単に倒してしまう。筋肉や腱の質が最初から違うのだろう。それが、人間の腕と掌、指の骨をつなぎ、くるんでいるとしたら相当な膂力が生まれるはずだ。

 しかし、聴覚、嗅覚、持久力、そして反応速度は、人間とオオカミの能力を足して割った、要するにオオカミの劣化した状態であるらしい。それでも人間をはるかに凌駕している。

 一方で、オオカミで五歳といえばもう立派な大人だ。堂々と群れの重要メンバーとして活躍してる頃だが、ルピはまだほんの子どもに見える。本人も子どもだと言っている。成長速度や寿命は人間とあまり変わらないようだ。


 今まで観察していろいろ考えても、ようだ、らしい、はずだ、という推測の域を出ないのがクレドは少々もどかしい。

 彼の母親の遺稿に獣人に関する記載はなかった。

 その他の書籍に記されているのは、凶悪そうな姿と獰猛で御しがたい性質。

 王都でたまに見かけていたのは、路上に引き据えられた、目に生気のない獣人奴隷たち。

 そんなイメージと、この健やかな子どもはかなりかけ離れている。

 ルピがもう少し育った状態であれば、彼らの生態について詳らかに尋ねることもできたのだが、人間が嫌いな彼は、ルピがもっと成長した姿でここへ来ていたら不快どころではなかっただろう。この幼児にさえとっとと帰ってほしいと思っていたのだから。よしんば幼児であっても、半獣でなければ帰していた。

 今、こうして押しかけ女中のルピと起居を共にしているのは、ひとえにクレドがルピを人間と見なさず、別種の非常にユニークな生き物だと思っているからだった。

 さらに、彼女にはちゃんと帰る家があり家族もいる。だから、飼養する責任はそこまで重大というわけでもない。

 

 クレドの臥せっているベッドへ、粥をよそった皿と匙を持って、ぽてぽてとルピがやってきた。


「ごはんなのですよ、クレドさま。おさじをもてますか」

「ぎりぎり持てる」

「起き上がれるのですか」


 匙が持てても、寝たままだと粥を顔に浴びるか、枕をべとべとにするかの二択になる。クレドは横臥から俯せ加減に起き上がろうとし、案の定痛みに呻いた。


「いててて……ちょっと無理だ」

「あのくろいのでなんとかできないのですか」

「できない」

「きもちわるいし、やくにたたないし」


 ぼろくそに言われている。本人としても気慰みという認識しかない。

 確かに、あれには五感を委ねて飛ばすこと、依り代にした小さなものを動かすこと程度のことしかできず、その間クレド自身は半分眠った状態になる。あれが受けたダメージは、動けなくなっている彼の肉体に返ってくる。実にぽんこつだ。

 ルピは粥の皿をテーブルに置いてくると、自分の寝具をくるくると丸めてクレドの寝床へ置いた。小さいのにやたらと力強い腕で、痛がる彼をじんわりと助け起こし、丸めた寝具を背凭れにして半臥させる。


「……でも、けがをさせて、ごめんなさいなのです」

「……どういたしまして」


 クレドが、匙で少しずつ流し込むように食べているのを見届けると、ルピはベッドの脚のあたりにぺたんと座って、食事を始めた。


「あのくろいのに、おなまえはないのですか?」

「ない」

「おなまえをつけるとよびやすいのですよ」


 デジャヴュを感じながら、クレドは少し考え、彼なりによい答えを導き出した。


「じゃあ、くろちゃん、で」

「……ちょっとよくないきがするのですよ」

「可愛くないか?」

「ようちなのです」


 幼稚なルピが顔を顰める。クレドは、いい名前なのに、とぶつくさ言いながら、昔母が聞かせてくれた物語の中から、「鷲」の名を持つ哀れな鳩を思い出した。


「じゃあ、アルノーで」

「よいなまえではないですか」

「はいはい、たぶんよいなまえですよ」


 腫れが引くのに三日、自力で歩けるようになるのに五日。

 杖をとるのにさらに三日。

 暴れ馬にはねとばされるような事故に遭ったのにこの日数で歩けるようになったのは僥倖だ。毎日湿布を作り、「ぐあいがよくなるおどり」を踊ってくれたルピのおかげもあろう。しかし何より、クレドの痩せ我慢によるところが大きい。生理的な必要に駆られて小屋の外へ出るとき、いちいちルピにおぶわれる屈辱は耐えがたいものだったから。


 クレドは体が復調すると、さっそくルピの足を、糸で測った。踵から爪先までの長さ、幅や厚みまでしっかりと。


「あんよをはかってどうするのですか?」

「村で、靴を買ってやる」

「おくつよりはだしがきもちよいのです」

「危ないところを歩くときは履け。見てるこっちが、痛い気がしてくるから」


 翌朝、クレドはルピに留守番するようよく言い含めて、村へと歩いていった。

 アルノーの眼で見たところによると、昨日から村に行商団が来ている。





 


 


 

 



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