ヴァンパイア刑事はどのようにして戦うのか

 牙月区の歓楽街で、ヴァンパイアを含む三人が立て続けに殺された。三つの現場は十三年前に牙月区に統合され、歓楽街に変わった地区に集中している。

 犯人は近いうちに必ず付近に現れると見て巡回を続けていたが、目ぼしい情報は得られないまま三日が過ぎた。

 この三日間、死体が増えることはなかったが、新たな手掛かりが増えることもなかった。三人の被害者の衣服も調べたが、個人の特定に至るような指紋は見つからず。生きた毛根の残った頭髪等、DNA鑑定に使えるようなものも採取はできなかった。


「立て続けに三人が殺されたかと思えば、やけに今度は静かになったわね」

「先日、酔っ払いの喧嘩があったぐらいですね」


 時刻は夜の九時。三人の死体の死亡推定時刻からして、犯行は夜の十時から未明にかけて集中している。その間の巡回および張り込みは、普通の人間である須藤にとってはもちろん、夜行性のヴァンパイアである九十九刑事にとっても重労働であった。まともな食事を取るヒマもないので、九十九刑事は、巡回中の車両の中であんパンをかじる。そしてそれを沖縄原産ヤギの血の紙パックを絞って胃の中へと流し込んだ。


「というか、九十九さん。それ、どういう取り合わせなんですか? あんパンと血って……」

「結構イケるわよ。あんたも試してみる?」

「死んでもイヤです」


 そういう須藤は、九十九刑事が思わずむせ返るくらいの濃いコーヒーを美味そうに啜るのだった。

 ビルの影に着けた車のフロントウィンドウからは、ぽつぽつと点在する街灯に照らし出された石畳の路が見えている。すぐ向こうには、歓楽街のネオンが光っているが、人通りは全くと言っていいほどない。


「そろそろ張り込みのポイントを変える?」

「三人目の被害者の現場と近いんで張り込みを強化していましたが、相変わらず何もないですね。少しポイントを変えますか」


 須藤が、コーヒーの香を逃がすために開けていたサイドウィンドウを閉めて、エンジンキーを回したところで、警察無線に通信が入った。車が急停止するものだから、九十九刑事は、あんパンを喉に詰まらせてむせた。


「おいおい、大丈夫か?」

「何でもないわよ、ちょっと変なとこ入っただけ。えっほえほ……」

「お二人が張り込んでいる場所の付近で、何やら妙な目撃情報があった。鉤爪を引きずって歩くヒル・・のような怪物・・が出たとか」


 怪物。巡査のその言葉に二人が喰いついた。


「巡査、その目撃情報があったのは、どこですか!?」


 荒唐無稽な通報内容から、半ば出鱈目かと思っていた巡査は、二人の興奮具合にやや当惑したものの、詳細な場所を教えてくれた。

 張り込んでいた場所からは、距離にして数百メートル程。地理的には、一人目および二人目の被害者の死体が発見された場所と近い。ちょうど、あの廃ビルを挟んで反対側の位置だった。


「「ありがとうございます。巡査」」


 声を揃えて、巡査に礼を言った後、二人は通報があった現場へと急行した。


     ***


 車両から降りる。微かに歓楽街の喧騒が耳に残る裏通り。それは三人が殺された現場に共通している。牙月区は栄えている地域と寂れている地域の落差が激しく、ギラギラと光るネオン街から数分も歩けば、心許ない街灯が照らすだけの閑散とした裏通りに辿り着く。

 ガラの悪い連中が歩いている酒屋通りのすぐ傍に人気のない通りがあるのだから、治安が悪くなるのも自然の摂理というもの。


「最初に二人の死体が見つかった現場のちょうど裏手ね」


 巡回中は流石に須藤の運転も大人しいため、九十九刑事も車酔いせずに済んだ。吐き気を催さずに、警察車両から降りてすぐに捜査に移れるという有難みを感じながら、先頭に立って須藤に背中を預ける。


(ここで怪物が出たというのか。ヒルに似た姿と聞いたが――)


 自分が利き血の能力で読み取った怪物の姿をもう一度思い描く。無数の節を持つ、てらてらと光った灰色の表皮。かろうじて人の形を保った唇から覗く長い二対の牙。地を這うほど長く伸びた腕の先についた巨大な鉤爪。

 それらの特徴からして、ヒルとは似ても似つきそうにない。もしや、目撃情報があった怪物とは別個体なのか――と思案していたところ。


 べちゃり、とぬるぬるした粘液が上から落ちてきて、髪を濡らした。たらり、と垂れて頬を伝う。背中を虫が這うのを感じた。が動揺している間などない。すぐさま上方を仰ぎ見る。

 記憶の中で見たままの姿の怪物が、レンガの壁に鉤爪を突き立ててへばりついていた。そしてその長い腕が鞭のようにしなって伸びてくる。刃先は真っ直ぐに須藤の方へ。


「危ないっ!」


 彼女は、須藤に向かってタックルをかまして押し倒し、そのまま二人揃って地面に伏せる格好になった。彼女の背中から僅か数センチだけ離れた空を切る鉤爪。

 怪物がレンガの壁からアスファルトの地面に向かって飛び降りたところで、覆いかぶさっていた彼女は須藤に跳ね除けられる。


「ちょっと、礼くらい言いなさいよ」

「ありがとうございます。でもあんまり借りを作るのは性に合わないんで」


 九十九刑事の前に躍り出る格好で拳銃を構えると、須藤は迷わず引き金を引いた。銃声が轟いて、怪物の身体から体液がほとばしる。奴の血は赤かった。続けざまに数発撃ち込むも、奴は怯む気配すら見せない。


「あ、これ、発砲許可下りますよね?」

「撃ってから聞くやつがあるか!?」


 須藤を怒鳴りつけたところで、奴が右腕を振りかぶっているところが目に入る。


「須藤、伏せろ!」


 風を斬るほどの素早さで、刃渡り五十センチは優にある鉤爪が宙を舞う。須藤の立つすぐ横の赤レンガの壁が崩れ、ばらばらと瓦礫が転がった。


「どうやら、一筋縄じゃ行かなそうね」


 奴は須藤が撃った銃弾を、右腕と右膝に一発ずつ。そして左胸に三発喰らっている。人間ならば急所である心臓は外しているとして、いくらなんでもタフ過ぎる。おまけに明らかにこちらを殺すつもりで攻撃を仕掛けてきている。


(ならば――)


 彼女は深く、大きく息を吸い込んで、腕を交差させる。そして両腕を大きく広げたときには、さっきまでは人の形を保っていたはずの爪がぎらりと白銀に輝く刃に変わっていた。


「九十九さ……ん……?」


 一瞬の間に変化した彼女の姿に、須藤は目を丸くする。


「須藤、逃げるなら今のうちだぞ。こっから先は怪物同士の戦いだ。この能力は、あんまり使いたくないんだけどな……」


 がくっと崩れ落ちる彼女のもとに須藤が駆け付ける。


「来るな。近づくと怪我するぞ」


 彼女は長い爪を振りかざし、彼を遠ざけた。怪物に対抗するために彼女が使った能力の名は、“侵蝕”。この能力は身体を変化させ、機動力を飛躍的に向上させる代わりに、使用者の理性が侵される。ともすれば敵味方の区別さえ、つかなくなるかもしれない。だから、彼を巻き込みたくない。というのが彼女の真意だった。


(久しぶりだな、この力を使うのは……、うっ)


 彼女の羽織ったジャケットの背中が盛り上がり、内側からはじけ飛ぶ。


「ああ、もう! この服結構気に入ってたのに!」


 中から現れた巨大なコウモリの翼。やがて、彼女の体格も大きく変化していく。長く爪の伸びた両手、身体は漆黒のベルベットのような体毛に覆われ、頭部はコウモリのそれに酷似している。まさしく石像から動き出し、空を飛び回るガーゴイルのよう姿だった。

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