思春期の方程式

挫刹

a=全年齢対象!

中学一年生、一学期

a1 詰襟とセーラー服


 サクラの花ビラが散っている。もう散りかけのサクラだ。


「おーい、こっちむいて」

「はい、よそ見しない」


 桜の花びらが舞い散る快晴の空の下で。親たちの掛け声によって新一年生となる子供たちが整列させられていく。


「ねぇ、コッチだって」

「ちがう。こっちでしょ」

「……どっちでもいいよ。はやく並ぼう」

「ダメ。男はアンタ一人しかいないんだから」

「ちょっと、こっち側、女が三人もいるんだけど!」


 わいわいとハシャぐ、賑やかな黄色と桃色の声たち。たった一人の男を巡って、記念写真の立ち位置の取り合いに忙しい彼女たちが桜吹雪の風で翻しているのは中学校の制服だった。

 真新しい紺と白襟のセーラー服。初めて袖を通したばかりのシワさえない学生服の左胸には、入学式の際に取り付けられた桃色のリボンがそのままにある。


 今日の午前中に終えたばかりの記念すべき入学式……。その帰りに、自宅前に集まって記念撮影をしようという流れになったのだ。


「もういいか? お前たち」

「まだダメ、もうちょっと待って。おとうさん」

「なに言ってるの。早くしないと、お昼を過ぎちゃうわよ」

「……じゃあ、すみません。私たち先に用意しておきますね」

「ええ。はい。こっちも早く終わらせますんで……。ほら! お前たち」


 急かす保護者の一人から向けられた三脚に乗ったカメラのレンズを意識して、被写体となっている男一人と女四人の少年少女たちは、背筋を伸ばした。


「ほら、撮るぞ。はいチーズっ!」


「おじさん、ふるーい」

「いいからキミたちは黙って撮られなさい。あと三枚分、撮っておくからな」


 カメラを向けて、落ち着いたころに容赦なくシャッターボタンを三回、切った。焚かれたフラッシュを眩しく見て、ただ一人の少年を真ん中に挟んだ四人の少女たちは満面の笑顔を浮かべていた。


「……親としては……複雑な気分だな……」


 拘りのデジカメで撮り終えた写真の画像を確認して、保護者の男は呟く。


「上手に撮れた?」


 愛娘が覗きこんできたので、適当に頷いておく。先月にあった小学校での卒業式もこんな感じだった……。愛しい娘が……他の娘たちと一緒になって、たった一人の男を真ん中にして写真に収まる。


「次は三年後か……」

「気が早いよ。おとうさん」


 時間が流れる早さを分かっていない娘の声が切ない。そう言っていられるのは子供のうちだけだ。時が経つのは早い。ほら、ついこの間までハイハイをしていたばかりではないか。

 それがいつの間にやら……、こんなに成長して……。


「もしかして……泣いてるの?」

「そんなわけないだろう」


 娘の写真で泣くときは結婚式の時だけだ。その時もきっと撮らされるのだろう。こうやって、今はまだ全然想像さえもできない「五人一緒の結婚写真」で……。


「……ほら! みんな、さっさと着替えてきなさい。昼も一緒に食べると言っただろう? 予約は他のおじさんたちがやってくれたらしいから、俺たちも急いで用意しなきゃな」


 気持ちを切り替えてカメラを仕舞い、新入生の子供たちをそれぞれの家に戻らせようとする。


「ああ、モモくん」


 そう言って、帰ろうとする少年を呼び止めた。


「七紀さんたちにお礼を言っておいてくれ。予約ありがとうございますって」

「はい。芳野のおじさんも写真撮ってくれてありがとうございました」

「いやいや。写真あとで送るよ」


 丁寧にお辞儀をして、自宅の方へと去って行くぎこちない学ランの少年を細い目で見送る。あんな気の良い少年が、まさかこんな事になってしまうとは……。

 同情なのかひがみなのか、よく分からない感情を抱いたまま、いつか自分の義理息子むすこになるかもしれない離れていく少年に背を向けて、男も自分の家と撤収していく……。


 それは散桜の中を去って行く、当の少年も同じだった。解散した四人の少女の中の、その内の一人の後を追っていきながら……。


「入学式、終わっちゃったね……」

「……うん」


 黙ってついていき、少女が自宅の門扉を開けるのを見て立ち止まった。


「どうしたの?」


 まだ着慣れない新しいセーラー服の姿で訊いてくる。


(どう?……似合うかな?)


 同じセーラー服を着てるのに、どうしてここまで違うのだろう。


(……くんはすごく似合ってるね。男の子の制服。よかったぁ、一緒に制服を選ぶことができて。わたし、不安だったんだ)


 あどけない顔が手を伸ばしてきて触れたのは、少年が試着していた学生服の詰め襟だった。それは、つい最近の過去の記憶。

 ……そして、セーラー服特有の白い襟によって強調される……、思春期の少女の胸元に視線が下がってしまった気まずい思い出も……。


「……どこ見てるの?」


 現実の少女の声で我に返った。


「……制服、いつの間にか買ってたんだね。いっしょに買いに行こうって思ってたのに……」


 そんな記憶が後ろめたかったのは、この言葉の意味が物語っている。


「おばさんも事前に言ってくれればよかったのに。そうすれば、みんなで一緒に買いに行こうってことに……」

「いや……さすがにそれは……」


 この少女の気性でそれは絶対に不可能だと思う。気心が知れた四人の少女たちの仲に、もう一人のあの少女が入れる余裕はない。最初に約束を交わしたのが、親同士も仲がいいクラスメートの他の女子だったのだから、それはそれで仕方のないことのように思われた。


「だから埋め合わせはするって……」

「埋め合わせ? わたしは特に何も感じてませんけど」


 拗ねた声を聞いて、ついつい隣にある自分の家の方角を見た。


「そっちじゃないでしょ」

「わかってるよ」


 そう。これからこの少年が暮らしていく場所は隣で建つ自分の家ではない。


 それを知っていて、少女は試して見ながら制服姿のまま門扉を開けて自宅の玄関前へと歩いていく。そして玄関の前でじっと少年を見下ろしていた。

 少年が次にどうするのかをつぶさに観察するように。


「……ふぅ」


 一息ついて、少年も覚悟を決めると、少女と同じように玄関前の門扉をくぐった。


「……よろしい」


 そんな声が聞こえてきそうだった。勝ち誇るように笑って玄関の戸を開けた少女に続いて、少年も彼女の自宅に入っていく。


「靴の置き場所はどこでもいいから」


 少女の声に無言でうなずく。玄関を入ってすぐに漂ってくる、なかなか慣れない他所の家の空気。

 つい先月まで……遊びに訪れるだけだった他人の家の匂い。


「ただいま」

「……た、ただいま」


 言葉が……自分がここの家の子どもになったことを自覚させる。


「……あがって。わたしたちはもう家族同然だもん」


 少女が手招きをすると二階へとつづく階段を駆け足で上がっていく。それに続いて行き、少年の気持ちはさらに重くなった。


「部屋は……分かるでしょ? この春休み中、引っ越しで忙しかったもんね」


 ……あまり気乗りしなかった「やらされたこと」。自宅とココと。重い家具を持って散々と往復した疲労困憊こんぱいは記憶に新しい。

 二階に上がると、少女は階段の前のドアを当然のように開けた。

 自分の部屋のドアを平然と開けて……、当たり前のようにその部屋に少年も入って行くことを、もちろん許容して肯定する微笑。


「……ここが……、これから二人で暮らす、わたしたちだけの部屋……」


 部屋の中で、中学一年生になったばかりの制服の少女が振り返って少年を見る。

 薄暗い部屋。締め切られたカーテン。映る陽射しの明かり。一歩、奥へと離れた影が髪を掻き上げた。


「鍵……かけないの……?」

「すぐ食べに行くんだろ?」

「鍵……かけて……」


 言われたので、仕方なくドアの鍵をカチャリとかけた。同じタイミングで、セーラー服のスカーフが解けてするりと落ちる。


「おい、なにやって……っ」

「なにって……、着替えなくちゃ……いけないでしょ……?」


 さらに、さり気に制服のスカートの腰のファスナーにまで手を伸ばしていく。


「おいっ」


 ストンと紺のスカートが床に堕ちた。慌てて背後のドアに向く。


「ちゃんと見ないと損だよ?」

「できるわけないだろ!」

「他の男の子なら見ると思うけど?」

「おれは他の男じゃないッ」

「じゃあ、わたしが他の男の子とこんなことをしててもいい?」

「そうなったら絶交だ! そいつと付き合えッ!」

「やっぱり……最初に言っておこっかな?」

「なにを」

「女の子はね、不安なの……」


 背中から離れた距離で着替えを始める音がする。


「手を繋いでくれないと不安になるの……。キスしてくれないともっと不安になるの……。それでね……?」


 期待する足音が近づいてくる。


「目の前の、欲しい温かいカラダが実感できないと……もっともっと不安になる……っ」


 伸びてきた手から……逃げた。


「身体を触らせてくれないと……、この体を他の男の子に触らせちゃうよ?」

「それをやったら絶交だ、って言ったよな?」


 それが運命で結ばれていたハズの幼馴染みの関係が壊れていく最初の入り口……。


「……でも、わたしは我慢できそうにない……」


 子供の三年間は短いようで長い。とくに早く結果じっかんが欲しい女子にとっては絶望的に……。


「三年間は……長いの……」

「女子って、ホントにバカだなッ」

「だって女の子は、気になった男の子の体温を実感できてないと生きていけないっ」


 想像力だけでは生きていけない。女とはそれほど哀しい生き物だった。


「……言いたい事はいろいろあるけど……。とにかく今は早く着替えて下に行こう。おじさんたちが待ってる……」

「お義父とうさん、でしょ?」

「おじさん、だ」

「いけず」


 いつもの私服に着替え終わった少女が、密室をつくっていた筈のドアの鍵を外した。


「着替え、わたしに見られるのと、妹たちにも見られるのと独りで着替えるのとどっちがいい?」

「独りで着替えるよ」

「……つまんない男」


 そのつまらない男に入れあげている幼馴染みの少女が部屋から出て行ったのを確認して、学生服の少年はため息をつく。

 これから自分の部屋にもなるこの部屋にあるのは、両側に一つずつある学習机と、着替えを仕舞うクローゼットなどの基本的な家具……。

 そして真っ赤なシーツが敷かれたダブルベッドだけだった。


「おかしいでしょ。どう考えても……」


 さらに、そのダブルベッドの枕元にはカラフルな色をした避妊具コンドームの箱がある。そんな状況が、これからの中学校生活の三年間で待ち受ける未成年な中学一年生の少年の運命……。

 それほど女難と女難が待ち構えている宿命に選ばれた栄えある少年の名前を、七紀ななき百色ひゃくしきといった。



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