第8話 設定の整合性と、作品を作る上での設定の融合とパッチワークについて

 僕の世代だと谷川流さんの「涼宮ハルヒの憂鬱」が大きすぎるけど、僕はあまり好きではなかった。ただこの作品のすごいところは、学園モノ、キャラクター小説、そしてSFという要素を、一度に全部、取り込んだことだと思います。これと同じ現象が各要素は違うものの、だいぶ時間をおいて、川原礫さんの「ソードアート・オンライン」でも起こりました。

 この「ソードアート・オンライン」の衝撃は、僕の中では大きすぎる。まず、異世界転生という概念の隆盛のきっかけであると思われる、現代人がファンタジー世界に取り込まれる要素。これが同時にゲームと現実の直結という斬新な発想にも結びついています。何よりもびっくりしたのは、例えば、リアルの現代人の九割九分は武道の達人ではない。戦い方も知らないし、そもそも武器の使い方も知らない。しかし「ソードアート・オンライン」という世界では、ゲームに取り込まれたという設定もあって、素人がシステムのアシストで、達人級の使い手に変化できる。これが地味に大きい要素で、僕もライトノベルを書いていて感じますが、一般人、それも高校生などの十代の子どもを選択すると、その年齢で超一流の使い手である、という設定が、非常に成立しづらい。例えば「機動戦士ガンダム」のアムロ・レイはいきなりガンダムを自在に操るわけですが、それが可能だった理由が、最初は開発者の息子という要素でどうにかフォローし、のちに、ニュータイプだから、というような説明になるかと思います。それでもアムロ・レイは今になってみると、無茶ですけどね。ジオン軍の熟練のパイロットに、いきなりMSに乗った少年が、機体の性能差はあるにせよ、同等以上の技量を発揮するわけですし。

 面白い要素なのは、漫画やアニメと、小説では、表現できる限界が微妙に異なります。僕が好きな漫画である大暮維人さんの「天上天下」を見ると、高校生が普通に真剣を持っていたり、超一流の体術や剣術を使います。これが漫画だと成立するのに、小説だと説明が非常に難しくなる。作中における高校で、どうして真剣を持ち歩いても、法的に問題にならないのかは、漫画だと、そういうもの、そういう世界、で片付けられます。しかし、小説だと、どこかに逃げ道を作っておかないと、説明不能に陥る。銃器もそうですね。銃器がある世界をイラストで描けば漫画は成立しますが、小説では、どういう世界観かを説明する必要が生じるわけです。例えば、学園生活と戦い、という組み合わせは非常に魅力的ですが、この組み合わせを成立させる抜け道を考えることが、物語を書く人間の技量の見せ所、となります。

 今のネット小説では、異世界転生がやけに流行していますが、僕はそれをやるつもりがなくて、古いから、とか、使い古された、とは思いませんが、次を考える必要がある、と考えています。この「次を考える」という要素が、例の如く、連想ゲームです。今、すでに誰かが構築した設定を元に、こういう変化はどうだろう、と考えるわけです。変化というのは、つまり誰かが組み上げた組み合わせの一部を削って別の要素と置き換えたり、そうでなければ全く別の作品の部分と部分を組み合わせる、という手段もあると思います。

 怖いのは本当の才能の持ち主が全く新しいことを始めることですが、そんな才能の持ち主は極めて少数です。谷川流さん、川原礫さんレベルの才能のことです。

 組み合わせの構築が言ってみればジャンルを設定しながら、逆にジャンルの横断でもある、となります。もちろん、切り離せない要素はあります。創作論で自作を挙げたくはないのですが、それでも、自分の作品で申し訳ないですが、「支配された銀河の片隅で」は、ありきたりのSFの設定で、同時に人間ドラマを意識して、これはどちらも目新しい要素ではないし、特別な組み合わせでもない、むしろありきたりです。ただ作者は、群像劇を目指して、そのためなら分かりやすい世界観でも良い、となりました。一方で短編の「自分を切り裂くという適応方法」においては、近未来SFで、医療、精神疾患、思想、近未来の社会の空想、という要素をまとめて放り込みました。組み合わせが複雑になると、やや手に余りますが、新しい方向へ踏み出す近道にはなるかと思います。

 話を「ソードアート・オンライン」に戻すと、異世界に現代人が入り込む設定、誰もが短期間で達人になる、そしてデスゲーム、と、要素が組み合わさるのと同時に、非常に無理のない設定になっている、と何度もこの設定を意識して、脱帽させられています。川原礫さんの「アクセル・ワールド」も同じように、現実時間と仮想空間での時間を別にすることで、主人公たちは現実世界では短い時間しか経過しないのに、仮想空間で長い時間の訓練を積み、力をつけることが可能です。思い返してみると鳥山明さんの「ドラゴンボール」の中でもセル編で、精神と時の部屋、という設定が登場しましたね。設定とは別にしても、創作におけるキャラクターの成長と、成長に必要な時間や、そこから生まれる努力を経たから成長した、という説得力は、外せないのかもしれませんね。この辺りの説得力と作品世界の整合性が、小説や創作全般における難関だと考えています。

 この辺りは、十五年前と比べると、だいぶ厳しくなった要素ではありますが、考えてみれば、実はうまく処理できるのかもしれません。多くの先人が、それを形にしているのです。僕が大好きな三雲岳斗さんのライトノベル「ランブル・フィッシュ」では主人公のうちの一人が、いきなりロボットに乗って、仲間のサポートもありつつ、トントン拍子に、劇的な結果を出すわけですが、そのロボットに乗る前には、格闘技をやっていて、走り屋だった、と設定して、さらに抜群の身体能力を持つ、としています。それでも素人なのですが、ストーリーが進む中の、様々な場面でこのキャラクターが実はすごいのでは、ということを徐々にはっきりさせていきます。成長物語という認識を読者に与えれば、短時間で、ちょっと嫌な表現ですが、「都合よく」素人が達人になるのも、許されるのですね。どういう形で成長するか、成長をどう描くかが、むしろ重要なのでしょう。いや、少し話が逸れましたね。

 さて、そろそろ終わりが近づいてきました。次は、僕が何を読んできたのか、大雑把に振り返ります。

 とりあえず、次回に続きます。


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