第6話 別のことをやってみる、というインプット

 僕が十年を超える長ったらしい創作活動の中で、二つ、ないし三つの転機がありました。

 一つは大学生になった時。僕は大学でたまたま、近現代の詩の研究をしている講師の方の授業を受けました。必修だったかもしれませんが、この授業がとにかく面白い。それまで僕は詩はあまり知らなかったし、実は今でもよくわかっていない。それでも、僕もちょっと詩を書いてみるか、という気持ちになった。それから毎日のようにパソコンに詩を書いていって、最終的には二百ほど書いた。一部はその講師の方にお見せしたのですが、褒められたわけでもなく、しかし否定もされない、みたいな具合でした。まぁ、その程度の才能なんでしょう。

 でも、この詩を書いた後に、初めて公募の一次選考に残る短編が書けるわけで、無駄ではなかったのかな、と考えています。どう作用したかは、不明ですけれど。

 もう一つ、あるいは二つの転機は、ラジオにメールを送り始めたことです。ラジオは中学生の時から好きで、はがきや封書を送っていて、しかし読まれたことはありませんでした。それがたまたま、携帯電話を手に入れてからすぐに投稿したメールが読まれて、それから細々とメールする、みたいな感じになりました。それがいつの間にか増えていって、一時期は週に二百五十通くらい書いてましたね。ガラケーでしたが、送信済みメールのデータが自然と押し出されて二週間経つくらいで古い方から消えていく、みたいな。そこに至るまでに、一ヶ月に一通読まれた、とか、一ヶ月に四通読まれた、とか、そういう段階は踏みましたが、最盛期では、一ヶ月で三十通くらい読まれて、とにかくあの時は最高に楽しかった。

 このラジオへの投稿が、小説には明らかな影響を与えていて、一つは、ギャグ、笑いの要素を僕が獲得することができた点、もう一つは、短い文章の組み立て、でしょうね。僕は家庭的にバラエティやコメディをほとんど見たことがないまま育って、流行っているお笑い芸人のコントやギャグも知らなければ、下ネタの使い方もわからない、という有様でした。あまり友達もいませんでしたが、たまに、真面目な顔で変なことを言う、とは笑われてはいました。それくらい、世間や常識とずれていたのでしょう。

 僕はアニメや声優関係のラジオが専らで、しかしそれが良いように作用したとも思っています。とにかくオールジャンルに渡る業界なのです。あまり説明してもあれですが、萌えセリフを募集したかと思えば、川柳を募集したり、大喜利をやったり、でたらめなんですね。だからだいぶ、鍛えられたな、と思います。文章の組み立てに関しては、投稿するメールは長すぎると読まれないのが鉄則なので、文字数は知りませんが、スマホの画面で、四行とか五行とかに内容をまとめて書くことになり、これは文章弄りの訓練には最適でした。

 これを読んだ人に、詩を書けとかラジオにメールしろとは言いません。ただ、小説を読んで、それだけで文章が書けるようになるかといえば、あるいはものすごい天才なら、できるかもしれませんが、普通の人はできません。常にジャンルを横断して、多くを知っている方が、有利に働く場面がきっとあると思います。何がどこでどう作用するかは、わかりません。それでも挑戦することにも、意味があるかな、と思います。

 ちなみに、ラジオにメールを投稿する作業は、ふと考えてみると、インプットとアウトプットを同時にこなす、奇妙な作業だった気がします。どこかで得た知識や聞いた話、実体験、見たもの、考えたこと、そういうものを、文章やネタに落とし込むのですが、これが右から左へというだけではないんです。

 具体的な例を挙げますが、僕はとあるラジオ番組に、コンビニで十八禁の本を買った時に起こる「展開」を捻ってネタにしたことがあります。コンビニでその手の本を買うと、紙袋や黒い袋に入れてくれるわけですが、僕は創作のジョークを求めるコーナーに送るネタの中で、紙袋に入れてもらえるんですよ、という形ではなく、店員に紙袋に入れてもらえませんでした、というジョークに捻って投稿しました。

 僕はメールを書く作業を、何かを右手で受け取り、両手でこねて、左手でどこかへ渡す、というようにイメージをしていますが、こねる作業が常に必要で、こねる行為はインプットとアウトプットの渾然一体といた中間地点、みたいなイメージです。この、何かを受け取る、イメージを受け取って、こねていくのが、物語作りに意味を持つように感じます。連想ゲームを常に続けているとも言えるかもしれません。受け取ったイメージから連想することが、物語の場面、展開などになるのですね。

 これははっきりさせますが、ラジオにメールする時は、同じネタは二度と使えません。採用でも、不採用でも、です。他人のネタも使ってはいけません。この、常に新しいこと、誰も発見していないことを探す作業も、創作の助けになるかもしれません。

 物語を書いていく中では、選択肢の幅の広さは、地味に重要な要素だと感じます。多くを知っていることが選択肢の幅に直結する、とは言い切れませんが、ただ、そこが僕が実感じている「果てしない連想ゲーム」の真髄になります。手持ちの少しの幅でもうまく使えば、僕がラジオに十年以上、メールを送っていてもネタが尽きる気配のない、言ってしまえば「果てしなく掘っていける鉱脈」とでも呼べばいいのか、とにかく、無限の展開にたどり着ける、そういう道筋なのかもしれません。

 ここまで書いたことは、インプットの重要性ではありますが、知識や情報を頭に入れることだけがインプットではない、と捉えることもできます。Aという既存の何かをBに置き換える、という作業のためにAに当たる部分の情報を大量に集まるのはシンプルですが、「置き換える」という部分、情報ではない「発想」が実は大事かな、と言えますね。発想さえあれば、情報は少なくてもなんとかなる、かな?

 次では、少し、自分の根性(?)に触れましょうか。

 では、次回に続きます。


 オススメ曲

 IRONBUNNY 「Street Strider」

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