第12話 お姉さんと初笑い

「ヒルダお嬢さま、ダメです! お待ち下さい! んんおおっ!」

 その声は、僕の寝室からだった。


 すぐに意識を自分の身体に戻して目を開けると、真っ赤な髪に真っ青な瞳の女の子が僕を覗き込んでいた。

 うわっ近い! それにしても凄い笑顔だ。


 あぁ、この子がヒルダ姉さんか。確か5才だったかな。


 産まれて間もない弟を見にきたお姉さんという微笑ましい状況なんだけど、何というか、とても違和感がある。


 その違和感の原因は明らかで、小さなヒルダ姉さんが鎧姿の衛兵2人を引きずっている絵面がどう考えてもおかしい。


「ヒルダさま、お子が、お子が潰れてしまいます! あぁ~!」

 姉さんが軽く腕を振ると、左腕に縋り付いて叫んでいた衛兵が床の上をジャーっと凄い勢いで滑って行って、ドシャ! と壁に激突した。


 乳母さんは何食わぬ顔で、椅子ごとヒラリと衛兵をかわしていたので、こういうことには慣れているのかもしれない。


「もう、しつれいしちゃうわ! だっこするだけよ!」

 飛んで行った衛兵の方を見て頬を膨らませているその姿は、少しおしゃまな5歳の女の子そのものだけど、振り向いた弾みで今度は足元に縋りついていたもう一人の衛士が、ドシャガシャと派手な音を立てながら冗談のように転がって、開いていた入口から廊下に飛び出していった。


 なんて怪力だ……僕は生まれて二度目の命の危機を感じながら、武具屋でサンプリングしておいた〈身体強化:レベル2〉の術式を身に纏う。


 それだけでは心配なので、その術式の旋律を即興でアレンジ。和音のパートをキーボードで打ち込んで補強した。


 僕の小さな体が淡い光に包まれ、〈身体強化:レベル4〉と表示される。これで握りつぶされるようなことはない……よね?


 でも、そんな心配は全く不要だった。

 ヒルダ姉さんは僕をそっと抱き上げて目を見つめる。

 母さんと同じ青い瞳がキラキラと輝いている。


 突然ボワッと熱いもので全身が包まれた。

 あぁ、これは姉さんの身体強化魔法だ。

 僕を自分の怪力から守るために付与してくれたんだろう、母さんの治癒魔法とはまた違った旋律が身体を巡る。


 母さんの魔法は自然の情景そのものだった。太陽の光に煌めく川のせせらぎ、歌うような鳥のさえずり、木々の間をわたる風のさざめき……今思い出しても心が溶けてしまいそうな優しい旋律。


 それに比べてヒルダ姉さんの魔法はとてもパワフル!!

 重低音の利いた8ビートにどこまでも突き抜けていくような力強いサウンド。単純明快なフレーズが心と身体を震わせる。

 これは……ロックです!


 自分で掛けた身体強化魔法に姉さんの魔法が上掛けされて、マップを見ると自分のマーカーの横に〈身体強化:レベル?〉と出てる。

 〈レベル?〉ってなに……

 とにかく、矢でも鉄砲でも持ってこい状態になっちゃっているのは分かる。


「おねぇちゃんですよ~よろしくねぇ~かわいいでちゅねぇ」

 ヒルダ姉さんは、いろんな表情をして僕をあやしてくれた。


 姉さんの変顔はバリエーションが豊富で、僕は思わずうひゃひゃと声を出して笑ってしまった。この世界での初笑い。


 僕は、自分の生まれて初めての笑い声をサンプリングした。後で何かに使おうってわけじゃなくて、これは、ただそうしたかったから。


「あらあら、どうしちゃいましたかぁ? こわいこわいですかぁ? お姉ちゃんが守ってあげるから大丈夫ですよぉ」


 心配そうに僕の目を覗き込む姉さんの顔がぼやける。

 あれっ、どうしてだろう。

 僕は笑いながら涙を流していた。



 生まれ変わる前の僕には兄と姉がいた。

 僕たち兄弟は仲が良かった。

 とても。


 よく友達から聞かされる兄弟姉妹のいざこざとは無縁で、何をするにも3人で一緒だったし、2人とも僕の作る曲をすごく気に入ってくれて、小さい頃から一緒に演奏していた。

 兄さんがドラムで、姉さんはギター&ボーカル。

 キーボードが抜けて困っているかな……


 思い出さないようにしてたけど、ヒルダ姉さんの変顔バリエーションの中に、前世の姉の十八番おはこがあったから……


「んっぱぁ!」

 僕は、ヒルダ姉さんの心配を吹き飛ばそうと、精いっぱいの笑顔で一声上げた。


 マップの音場効果で話しかけようかとも思ったけど、僕をあやす姉さんの姿を見ていると、赤ちゃんらしくしておくのが正解のような気がしたのでやめておいた。


「そうですかぁ、笑いすぎちゃいましたか。でもまだまだこれからですよぉ~だってわたしは、なんてったって、おねぇちゃんですから!」


 ヒルダ姉さんは、それからしばらくの間そうやって一緒にいてくれた後、僕のおでこにキスをすると、優しくやさしくベッドに戻してくれた。


「いい子だからこれあげちゃいます~またきますねぇ」

 姉さんはそういうと、片手に下げていた大きなウサギの人形をベッドの端に置いて、手を振りながら部屋から出て行った。


「ぷぁ?」

 思わず声が出た。

 これ、ぬいぐるみじゃないんだ……硬いや。


 僕は、ウサギを中心に深く沈み込んだベッドの上を転がって、ぺたりと人形にへばりついていた。

 よく見ると、ウサギの人形の横に〈籔角やぶつのウサギの人形:鉄製120㎏〉と表示が浮かんでいた。



 モーレ教には3柱の神さまがいる。

 知の神イスラ、力の神タトラ、そして慈愛の神アムートだ。


 僕をこの世界に送り込んでくれた神さまは、さらにその上、この世界のすべてを司る創造神として認識されてはいるけれど、人々の間では畏れ多くて信仰するのも憚られる存在らしい。


 聞き取り調査によると、レオン兄さんが知の神イスラの、ヒルダ姉さんが力の神タトラの加護をそれぞれ授かっているともっぱらの評判だけど、あの姉さんの怪力ぶりを見ると、あながち間違ってはいないかもしれない。


 ちなみに、聖女と呼ばれる母さん譲りの銀髪で、自ら誕生宣言をした僕は、加護持ちどころか慈愛の神アムートの使徒ということになっている。


 とにかく、両親もさることながら、タキトゥスの3兄妹はヤバい奴らだという風評は領内にとどまらず、国中に広がりつつあるようだ。


 僕は、角の生えたウサギ型の鉄アレイを2人がかりでベッドから降ろす衛兵を横目に、再び城内の視察に戻ることにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る