第10話 母さんは人たらし

 救急馬車が入り口の前に止まると、すでに待機していた治療魔術師と看護師たちが馬車の後ろに駆け寄り、両開きの扉から患者を乗せた担架を引っ張り出してネストへと運び込む。無駄のない素早い動きだ。


 その動きに遅れないように慌ててカメラで追いかける。

 担架には革鎧姿の若い男がぐったりと横たわっていて、その左腕は肘から先がなくなっていた。


 担架の後ろから、灰色のローブを着た付き添いが布包みを抱えて追いかける。カメラでズームアップすると、その包みの周りには淡く輝く魔法陣が浮かんで見えた。〈状態保存:レベル1〉と画面に表示されている。僕はその術式をサンプリングすると同時に録画を開始した。


 担架は待合室の脇を通り、急患用の入口から施術室に運び入れられる。

 前世で言うところの救急救命室ERかな。


「皆さん、ただいま急患が入りましたので、しばらくそのままでお待ちください」

 看護師が待合室の人たちに声をかけると、先程とは打って変わった真剣な表情で皆が頷いた。


 施術室にカメラを進めると、白いローブ姿の治療魔術師たちが、素早く、しかし落ち着いた様子で患者を診察台に移している。


「状況を聞かせてください」

 凛とした声が響く。

 声の方にカメラを向けると、隣の部屋から女性が現れた。母さんだ。


 生まれてまだ数日の僕は、おっぱい越しに見上げる母さんしか知らないので、全身を目にするのは初めてだけど、それでもすぐにそれが母さんだとわかった。あの透き通るような青い瞳と立派な胸は見間違えようがない。

 家ではまっすぐに下ろしているプラチナブロンドをシニョンにまとめて、白いローブを纏う姿がとても凛々しい。


 ローブが少し大きめなのは、例の若返りの影響だろう。

 僕は母さんの顔しか見たことはなかったし、その顔も元々若かったので、若返りと言われても正直なところそれほど実感はなかったけれど……


 こうして見ると、15、6歳にしか見えない少女が、丈の余ったローブの袖をまくり上げて医療に従事する姿は、なるほど、確かに世の中的にはインパクトは大きいかもしれない。


「ス……ワニ―さま?」

 その証拠に、患者の付き添いの男は母さんの姿を見た途端、見事に固まってしまった。まだ若返りの奇跡について知らされてなかったんだね。


「状況を聞かせてください」

 母さんは静かに繰り返した。


「も、森から出てきた爪長を追い返そうとして、腕を切り落とされました」

 我に返った男が答える。グレーのローブ姿でワンドを腰のベルトに差しているところを見ると、彼は魔術師だろう。


 爪長と言うのは、領民や衛兵たちの話にもよく出てくるので僕も聞いたことがある。暗い森に住む魔獣の一種で、木々の間を飛び渡り、長い爪を伸ばして敵を攻撃するらしい。


 その爪はそのまま剣として使うこともできるほど鋭利だという話だ。まだ姿は見たことはないけれど、僕は勝手に爪の長いサルをイメージしている。


「爪長は赤ですか、黒ですか? 時間はどれ程経っていますか?」

 母さんは傷口を覗き込んで訊ねる。


 流血沙汰の少ない世界から来た僕に対する神さまの配慮なのだろうか、傷口の映像にはモザイクがかけられている。だけど、想像力が豊かな僕にとってそれは逆効果なのかもしれない。小さなハートがドキドキして、もう泣いちゃいそうだ。


「赤の爪長で、切り落とされてから30分です」

「赤ですか……と言うことは毒を持っていますね」

 母さんはそう呟きながら傷口に手をかざした。


「毒抜きと止血の応急処置はされていますね。これはあなたが?」

「はい、ですが毒が強くて完全に消すことができませんでした、すみません」

「適切な応急処置です。戦闘の場でこれだけのことができるのは素晴らしいことですよ。後は私たちに任せてください」

 微笑む母さんと目があった途端、その魔術師は顔を真っ赤にして俯いてしまった。すかさずカメラを下に回して表情を確認する。すごい笑顔だ。


 母さんに褒められて嬉しいんだろうな……

 だけど、戦友が負傷している状況で諸手を上げて喜ぶわけにもいかず、秘かに喜びを噛みしめているというところだろう。


「エドさん、身体に残った毒素を分解してもらえますか? 腕は私が解毒をして繋げます」

「はい、スワニー様」


 母さんは、身体の毒抜きを若い治療魔術師に任せると、状態保存の魔法がかけられた包みに向かった。


 布を開くと……あぁ、やっぱり。切り落とされた腕が出てきた。

 おそらくそうだろうなと思って身構えていたいたので、驚きはしなかったけど、血の気のない腕は真っ白で、固まって蝋細工のように見える指が死を予感させる。血は苦手だけど、血がなけりゃないで、これもまた苦手だなぁ……


 母さんがその腕に何かを呟くと、腕は白色の光に包まれて、あっという間に血の気が戻った。


「えっ?」

 あまりの素早さに目と耳が追い付かなかったので、もう一度画面上で映像と音声をリピートする……やっぱりわからない。


 再生速度を2分の1にしてみる……まだわからない。

 5分の1……まだ早い。

 10分の1の再生速度にしてようやく状況が飲み込めた。


 母さんは、最初にかけられていた状態保存の魔法を解除し、次に毒素を分解したうえで治癒の魔法をかけていた。

 3つの魔法のスペル、というか、僕の場合は旋律と言った方がわかりやすいのでそういうけど、その3つの旋律を時間圧縮して連続発動していたわけだ。


 10分の1の再生速度にして、ようやくそれが旋律だと理解できるレベルでの詠唱圧縮。それが尋常じゃないことは、もう一人の治療魔術師と比べればすぐにわかった。


 若い魔術師が解毒魔法の発動に5秒かかったのに比べ、母さんは3種類の術の発動を0.2秒ほどで終えている。

 更に映像に現れた表示によると、魔法の質も魔術師のレベル2に対して母さんの解毒魔法はレベル4となっている。つまりこの世界の尺度で言うと最高位の第5位階魔法ということだね。


 僕はサンプリングした母さんの3種類の魔法にファイル名を付けて保存した。後でアレンジするのが楽しみだ。


「エドさん、準備はいいですか?」

「はい、解毒完了しました」

 母さんはエドさんに頷くと、腕を持って患者に近づいた。


 気がつくと、部屋の中の人の数が増えている。

 ネスト中の医療魔術師や看護師が、母さんの施術を見に集まってきたようだ。みな母さんの手元を見つめ、そして物音一つ立てずに耳を澄ませている。


 母さんは、切断された腕を本来あるべき場所にそっと置くと、向きと位置を慎重に合わせながら魔法を発動した。


 切断面が眩い光に包まれ、それが徐々に淡くなり、最後には腕の中に浸みこむように消えていく。

 その光が消えた後には、まるで何事もなかったかのように、ただ普通にくっついた腕があった。


「接合治癒のイメージはつかめましたか?」

 母さんは、腕がくっついた部分をつつっと指先で撫でて確認すると、周りに集まった人たちを見回した。

 母さんにしてはやけにゆっくりとした詠唱だと思ったけど、それはみんなに聞かせるためだったみたいだ。


「――なんとかイメージだけは……でも、今のは第3位階の術式ですよね……こんなに跡形もなく治癒するなんて……できるのかな……」

 エドさんはそう答えたものの、最後は自分に問いかけるみたいになってしまっている。


 そんなに考え込まなくてもいいのに……先ほどの解毒魔法を見る限りエドさんはかなり筋がいいと思うよ。


 そりゃぁ母さんと比べると見劣りしちゃうけど、彼の詠唱はとても丁寧で美しかった。だからこそ目の前に立ちはだかる壁の高さ、それを乗り越える難しさがわかってしまうのかもしれないね。


 目をしっかりと見開きつつも少し呆けたようなエドさんの表情からは、希望と絶望が入り混じったような複雑な心情が見て取れる。


 エドさんだけではない。そこに居合わせた治療魔術師たちはみな難しい顔をしてぶつぶつと何かを呟いている。あまりに高いレベルの施術を目の当たりにして自信を失っているのかもしれない。それでも、母さんの詠唱を繰り返し口中で唱えて自分に刻み込もうとしている。

 

 一方、看護師さんたちの表情は分かりやすい。

 両手を胸の前に組んで母さんを見つめる瞳はキラキラと輝き、奇跡のような施術を目の当たりにして、希代の聖女様への尊敬の念一色に染まっている。


「ありゃ?」

 僕はマップを見て驚いた。


 部屋の人たち全員が〈魅了〉の状態異常になっている。

 そんな魔法は発動されていないのに……

 これがカリスマっていうやつなのかな?


 それぞれの立場によって反応は様々だけど、いろんな思いが混ざりつつも、みな一様に母さんに心を惹かれているのがわかる。


 魔法もかけずに人を魅了してしまう……

 とにかく、母さんはとんでもないだということだ。

 僕は母さんの二つ名を『おっぱい聖女様』から『おっぱい人たらし』にあらためることにした。



 母さんは術後の騎士の容態を念入りに確かめ終えると、その部屋に集まった人たちに向き直った。

 興奮でざわついていた部屋が一瞬で鎮まり、皆は姿勢を正して母さんに注目する。


「私は人を見る目には自信があります。覚えていらっしゃいますか? ここにいる皆さんは、私がお願いをしてここに来ていただきました。もし、自分のことが信じられなくなったときは、あなた方に声をかけた私を信じてください」

 母さんは治療魔術師一人ひとりの目を見ながらゆっくりと見回し、そして付け加えた。


「私を信じていただけますか?」

「「「「はい!」」」」


「では持ち場に戻りましょう」

 母さんがにっこりと笑い軽く手を上げると、ザッ、と皆が一斉に持ち場へと駆け戻る。

 その引き締まった表情には、もう迷いはみられなかった。


「おっぱい人たらし……」僕は思わずつぶやいた。


 皆が去った部屋では、いつの間に意識が戻ったのか、騎士が見事にくっついた自分の腕を不思議そうに眺めながら何かを呟いている。


 ん? なんだって?

 僕はその声を再生した。


「聖女様……この腕は一生洗いません」

「洗って!!」

 つまらないものをってしまった……秒で音声データをごみ箱に捨てる。


 しばらくして一人で歩けるまでに回復した騎士は、恐縮した様子で母さんに何度もお礼をいってから付き添いの魔術師と一緒に部屋を出て行ったんだけど、待合室で盛大な拍手に迎えられると、つなげてもらった腕を自慢げに見せて回っていた。


 うん、さすがは魔法の世界だ。

 前世の医療技術でも切断された腕をつなげることはできるだろうけど、即時に傷跡もなく元通りというのは無理だからね。

 

 それにしても第3位階の接合治癒魔術……みんな驚いていたよね。

 確かにすごい完成度の魔術だ。でも、誰も気がつかなかったようだけど、母さんの実力はあんなものじゃない。


 母さんが騎士の腕を運んでいる時、僕はわずかな魔力の流れを感じた。

 はじめは気がつかなかったけど、よく見ると、母さんの手と切断された腕の間に少しだけ隙間があるのに気がついた。

 感染症の予防のためだろう、母さんはさりげなく腕を浮かしていた。


 この魔法、一見地味だけど、僕の能力でも発動の兆しが感知できなかった。普通の魔法じゃない、母さんだけが持つ固有の能力かも知れない。


 重力を制御する固有魔法……

 そんなことをサラリとやってのける。

 みんなに見せなかったのは、この魔術が誰にも真似できないからだ。


 母さんは『背伸びをすればなんとか手が届くかもしれない』と思えるくらいの目標値をネストの皆に見せていた。


 でも、どうあがいても届かない高所は見せない。百害あって一利なしということかな、心がおれるだけだから。


 ネストは、僕が思っていた以上に素晴らしい施設だった。

 僕は、次の患者さんと楽しそうに話している母さんに向かって、心の中で頭を下げると、カメラを次の視察場所へと移動させた。

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