便乗ユウワク

 帰宅。

 さて、これからいろいろ考えなければならないことがある。


 まずは、喫茶店フロイラインの営業再開はいつからにするか……なんだが。

 このあたりは、おふくろが恵理さんの研修をどこまで終えているかにもよるので、話し合わないとならない。


 …………


 あと、小百合に関してのいろいろだな。

 新生活に関して、何事にも準備が追いついてない。

 心機一転、新しい中学校で新しい友達ができれば、小百合の笑顔も増えると思うんだけど。


 なにからどうすればいいか。

 そんなことをしばし考えてから、ひとりでは煮詰まって。

 いちおう俺だけで決めるわけにはいかないと気づき、相談のために部屋を出て一階へ降りると。


 ……あれ? 誰もいないぞ?


 キョロキョロと探ったら、店のほうから何やら話し声がする。

 みんな喫茶店のほうにいるのかな、と思って俺も顔を出してみたら。


「……あ! 睦月君、なーに? 早苗ちゃんを公開痴漢したんだってー?」


「ぶはっ!!!」


 焼き肉屋『仙苑』の向井勇雄さんの奥さん、悦子よしこさんがなぜか来ていて、俺の姿を見たとたんにそんなことを口走る。俺は当然吹いた。

 あ、ちなみに忘れてる人もいるかもしれないが、早苗さんイコール米子さんだからな。俺はもう本名では名前呼びしないけど。

 おまけに前にも言ったかもしれないが、米子さんを知らない人はこの町内ではモグリだ。


 じとー。


 白い目で俺を見てくるおふくろと恵理さん。

 ふたりから発せられる『おにちく』オーラを感じたので、ここはひとつ言い訳をさせていただこう。


「違うって! あれは米子さんが紗英への借金を返さずに、奪われないよう財布を自分の胸の間に挟んできたから、そんな意図は皆無でしかたなく奪っただけ……って」


 なんで、さっき起きたそのことを、悦子さんが知ってるんだ?


「あらそうなの。早苗ちゃんが嬉々としながら『むっちゃんに汚された女になっちゃいましたー!』ってそこらじゅうで吹聴ふいちょうしてたから、睦月君、何を血迷ったのかしら? なんて本気で心配して相談しに来たんだけど……」


「常識で考えてください。あんな人間災害に手を出したら命どころじゃ済みませんよ、三代先まで祟られます」


 悦子さんが左頬に手を当て、本当かしら? みたいな顔をしてくる。


「睦月君くらいしか、早苗ちゃんは扱えそうにないけどねえ」


「冗談はよし子さんです、米子さんの面倒を見るくらいなら」


「死んだほうがましかしら?」


「一生懲役で暮らしたほうがましです」


「死ぬ一歩手前よりはましなのね……」


 それを聞いて、おふくろは心底ほっとしたようで。

 ようやく会話に割り込んでくる。


「よかったわー。宮沢家滅亡しちゃうかと気が気じゃなかったわよ」


「あなたの息子は一応常識人のつもりです」


 キリッと言い切ったはずなのに。


「……そうかなあ?」


 おいちょっと恵理さん、余計なことをつぶやいて混乱継続させないでくれよ。


「わかりました、恵理さんの給料をはずもうとおふくろと話してましたけど、常識の範囲内にしておきます」


「うそですうそです睦月様!!!」


 口は災いの元である。しかと胸に焼き付けてほしいですね、恵理さんには。


「……じとー」


 ん?

 なんかどこかから小百合の視線を感じたが……気のせいかな。


 まあいいや、とりあえず誤解を解くため悦子さんには協力してもらおう。

 このままじゃ俺は『米子にムラムラした男』という、人間として最低レベルの烙印を押されてしまう。



 ―・―・―・―・―・―・―



 しかし、問題はそのあとであった。


「胡桃沢、悪いが赤ペン貸してくれないか?」


「ん? いーよー? ……はい、どーぞ!」


 次の日、大学。

 レポートの内容を整理するため、俺が隣に座る胡桃沢にお願いしたところ。

 胡桃沢がわざわざ胸元の開いた服の谷間に赤ペンを挟んで、俺に取らせようとしてきやがる。


「……おい。なんのつもりだ」


 俺が固まるのも気にせず、胡桃沢は小悪魔みたいな笑顔で、はっきり言いきった。


「えー? だって宮沢っち、米子さんからは平気で奪い取ったんでしょ? 米子さんにできて、真砂にはできない、なんてことはないよね?」


「……もういいわ。ごめん、平野さん。赤ペン貸してもらえる?」


 ターゲットを変えて、平野さんに頼もう。


「……ん。はい……」


 おいちょっと待て待て。自称であれ化学科のアイスドールである平野さんまで、そんな無理して胸の間に赤ペン挟まなくていいってば。キャラ崩壊も甚だしいぞ。


 …………


 まさかここまで、俺が米子さんにした行動が広まってしまうとは。だから人間災害は相手にしたくなかったんだよなあ。


「……今回の件は、完全に睦月の自爆だと思うけどね」


「言うな紗英。俺も反省しているんだ」


 後ろから声を掛けられ、紗英に思わず愚痴ってしまう。

 というか俺は紗英のために行動したはずなんだけど。なぜ紗英に責められなければならないんだ。


「まあいい。紗英、悪いが赤ペン貸してくれ」


「え? ボク? わかったよ……ええと、んしょ、こうやって寄せてあげて……」


「だれが紗英おまえの胸の谷間に挟んで渡せと言った」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る