第3夜 昨夜の出来事
ーー楓と葉霧が優梨から教わり向かったのは、都内にある病院だった。
葉霧が受付で簡単なやりとりをすると、まだ患者の多いロビーを抜け、病室に急いだ。
日曜の昼過ぎ。
診療を待つ患者が多い。
「葉霧! こっちだ!」
楓は、病院にも関わらず病室の並ぶ通路で、そう声を上げた。
病室の前に制服姿の警官がいたからだ。
葉霧はエレベーター前のナースステーションで、受付をしていた。病院にはいるのも入館証がいるし、見舞いに入るのも受付が必要だ。
それらを済ますと、葉霧はようやく楓と一緒にその警官の男性が立つ、病室に向かったのだ。
話は通っているのか……楓と葉霧が病室に、入るのをその若い警官は、特に何もしなかった。
声を掛けられる事もなく病室に入れたのだ。
完全な個室であった。
「おお。来てくれたのか」
意外にもーー、“
頭に包帯を巻いているが、その身体はベッドの上に起こしていた。葉霧と楓が驚いたのは、その脇に鎮音がいたこと。
それに、驚いた。
「ばーさん! 来てたのかよ!」
と、楓は声をあげた。
「葉霧にメールしただろ? お陰でお前達がここに簡単に入れたんだ。」
鎮音は少し渋い薄緑色の着物姿であった。
柄はどうやらひなげし。
何とも色鮮やかな紅い染色だ。
椅子に座り来栖の脇でそう言ったのだ。
「まーそうだけどよー」
楓はそう言いながら窓側の方に向かう。
鎮音の正面だ。
水色の病衣を着た来栖は、その胸元から包帯を覗かせていた。
どうやら胸元を怪我したらしい。
「この病院は?」
葉霧がその怪我を見ながらそう言った。
「警察と“密”なんだ。だからここに入院させて貰った。俺の怪我は、人間相手じゃないからな。」
と、来栖はそう答えた。
頭の包帯以外は顔にも怪我はしていない様子。
その鋭い目つきも険しい顔つきも変わってはいなかった。
五十代半ばぐらいの白髪混じりの頭だけが、何とも痛々しい。
「何があったんだ?」
楓は葉霧と並びそう聞いた。
「昨日の夜だ。“通報”があったからビルに向かったんだ。飲食店なんかの入る雑居ビルだよ。そこに“女性”を人質にとった、“あやかし”がいたんだ。」
と、来栖はそう話を始めたのだ。
楓と葉霧はその話を聞く。
「人間に化けてたあやかしだそうだ。」
と、言ったのは腕を組む鎮音だ。
その顔色はとても厳しいものだった。
「どうゆう事だ? まさか化けてる奴が人間を襲ったのか?」
楓はそう聞いた。
人間に化けて生活しているあやかしは、基本的に“友好関係”にある。つまり、人間として暮らしているからだ。
「そうだ。覚えてるか? 楓ちゃん。“新宿の闇喰い”の事件」
と、来栖はそう言った。
ぐるぐる巻の包帯は、額まで巻きつけてある。
頭の上は何もついていない。
「ああ。アレは闇喰いに身体を乗っ取られた人間が、起こした事件だったよな?」
と、楓は思い出した。
来栖に再会した事件である。
「あの時の“人間”と様子が同じだった。そう……いきなりだ。俺達の前で、人間の姿から“鬼みたいなあやかし”の姿に変わったんだ。たぶん。元々……そうゆうあやかしだったのかもしれないが。」
と、来栖は少し考え込みながら話をしていた。
「鬼も人間に化けられるのか?」
「ああ。勿論だ。オレはムリだけど、中にはいるよ。人間の姿をして近づいて襲う奴もいるんだ。」
と、葉霧の声に楓はそう言った。
鬼にも種類がある。
姿を変えて騙し人間を襲うタイプだ。
「だが……すまん。角が無かったんだ。何と表現していいかわからんから、鬼の様だと言っただけだ。」
と、来栖はそう言った。
“異形の者"を言葉で表現するのは、困難なのだろう。
その表情はとても苦い。
「似てるってことか。獣人系じゃねぇってことだな。」
楓はそう頷く。
「それで……そのあやかしはどうしたんだ?」
と、葉霧が聞くと
「逃げられたよ。俺と“
と、来栖は少し悔しそうな顔をしていた。
ベッドの上の右手は強く握られた。
「“銃"で発砲して戦ったが、来栖警部はこの通り。怪我を負った。胸元を長い爪で切り裂かれたそうだ。頭の怪我は倒れた時に、ぶつけたんだ。」
と、鎮音が来栖の怪我の具合を説明した。
楓はそれを、聞くと
「“霊弾”ってのが効かなかったのか? フツーのあやかしなら効くだろ。」
と、そう言った。
「女性を人質にとられていて……俺も新庄くんも、撃つタイミングを見計らっていたんだ。その一歩の出遅れが……、助けてやる事が出来なかった……」
と、来栖は肩を落としたのだ。
その項垂れた様子に楓は、ようやく納得した。
(女性を目の前で殺されて、ぶちキレて銃を撃ったってことか。そんで……怪我させられたんだな。)
と、腕を組む。
想像がついたのだろう。その光景が。
来栖はーー、あやかしを憎んでいる。
人間が殺された場面を見れば“理性が飛ぶ”。
楓には、そう視えている。この男が。
葉霧はそんな来栖を見ると
「あやかしを“挑発”したな? 人質にとられてる女性を救うよりも……先に手をだした。違うか?」
と、そう聞いたのだ。
「え……?」
楓はその言葉に驚いて葉霧を見つめた。
だが、一番驚いたのは来栖だった。
その顔をあげたのだ。
「なんで……わかるんだ?」
と、そう言った。
ふぅ。
葉霧は息を吐く。
「こう見えて、俺はあやかしと戦ってきたからね。確かに何もしなくても“人間を殺す奴”はいる。だが、いきなり“自我”を忘れて人間を襲うほど豹変するなら……」
と、葉霧は来栖を強く見据えた。
「そんな怪我じゃ済まない。殺されてるはずだ。貴方も。新庄刑事も。」
と、そう言ったのだ。
「………」
来栖は葉霧を前にして、何も言えずにいる。
ただ、目の前の少年の真っ直ぐと自分を見つめるその眼を、見上げていた。
「恐らく……そのあやかしは、貴方に撃たれて暴走した。女性を殺し撃った貴方を襲い……新庄さんに撃たれて逃げ出した。違うか?」
と、葉霧はまるで見ていたかのようにそう言ったのだ。
楓は隣で尊敬の眼差しだ。
ほぇぇ。と、目を丸くしている。
鎮音はフッ……と、少し笑った。
(伊達に経験してないね。)
「……そ……そうだ。その通りだ。いたのか?」
来栖は驚いてそう言ったのだ。
「いや。いない。俺はその頃、海の向こうだ。」
と、葉霧はそう言った。
“防人の街”のことである。
来栖は目を丸くしたまま
「そうだ。俺が……撃ったばっかりに……」
と、そう言ったのだ。
「気持ちはわかるが、あやかしを憎んでも娘さんは還ってこない。それに……これから“戦う”ならその思考は危険だ。犠牲者を増やすだけだ。それに……貴方自身も危険に晒すことになる。」
葉霧は強くそう言った。
来栖は頭を抑えた。
「……そうだな。たしかに……」
と、そう呟いた。
「にしてもだ、そのあやかしは何処行ったんだ? まだ彷徨いてんのか?」
と、楓が言うと来栖は顔をあげた。
「沙羅ちゃんと、新庄くんが探してるよ。」
と、そう言った。
「沙羅か。聴いてみるか? 葉霧。」
楓は葉霧にそう言った。
「ああ。そうだな。放置しておく訳にはいかないな。」
葉霧は頷いた。
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