第18話 月夜に思う

 焚火が小さくなってきたころ、レイナもテントの中に入って静かに眠ってしまった。静寂に包まれた町には不気味さを覚えた。瘴気があふれる前なら今の時間にも人々が往来して、夜の店は仕事帰りの大人たちでにぎわっていたのだろう。今となっては空から月光が淡くむなしく町を照らすだけだった。

 僕は今のこの国しか知らない。物心着いた頃にはすでにこんな世界になっていた。だから昔の生活がどんなものなのか知りたかったし、体感したかった。

 焚火に小枝を数本投げ入れた。

 今日見た白骨死体、あれは本当に賊だったのだろうか。瘴気に飲まれていないとはいえ、突然に生活が一変してしまえば飢えて死ぬことだってあると思うのだ。正教が手を差し伸べてもその手を払い除けた者だっていたはずだ。そういう人たちの死体ではないのだろうかと思えて仕方がなかった。

 母から聞いたことを思い出す。突然当たり前が当たり前ではなくなり、生活に必要なものがほとんど失われた。サバイバル能力のない人間や人間不信に陥った人からどんどん死んでいって、物取りをしようとしたものも逆襲にあって殺された。瘴気が蔓延し始めたころのこの国は法も何もかも、すべてが形骸化した無法地帯となってしまったのだと。そんな状況で幼い僕を女で一人で守り抜いた母には感謝しかない。

 母は強い人だった。僕のために懸命に畑を耕して作物を作って、魚を取って僕が飢えて苦しまないようにしてくれた。時には襲ってきた賊を追い払ったこともあった。そんな母も3年前に僕の目の前で突然倒れてそのまま死んでしまった。死因はわからなかったが、多分急病だったのだろうと思う。

 あの日以来、僕は人の死というものから目を背けるようになった。今日の白骨死体、あれを見た時も死んだ母に見えて気分が悪かった。


「そうだったんですか」


 テントから寝いているはずのレイナの声がした。振り返るとテントから出てこちらを見ていた。


「寝ていたんじゃないの?」


「なんだか目が覚めて。そうしたらアスカの声が聞こえてきたのです」


「僕は声なんて出していないよ」


「じゃあ心の声を聴いたのかもしれません。たまに聞こえるんです」


 巫女にはそういう能力もあるのか。どうやらさっきまで考えていたことはすべて知られたらしい。


「あなたにそんな過去があるとは思ってもいませんでした」


「難民なら僕みたいな経験誰でもしてるよ」


 レイナは言葉に詰まってうまく出てこないようだった。当然だ、誰だって暗い話題なんて聞きたくないものだ。


「……私は幼いころ、教祖に選ばれて島根から広島の教会に連れていかれました。だから外で何が起きているのかまるで知りませんでした。生まれ故郷では私の家族も同じような状況に陥っていたのかと思うとななんとも言えない気持ちになります」


 島根。確かあそこも現在瘴気の影響が強くなってきている土地だと聞いたことがある。強大なモノノケが住み着いてしまって今では足を踏み込んではいけない禁域となっているそうだ。


「きっと無事だよ」


「……ありがとう。気休めでもうれしいです」


「……レイナ、僕はずるい人間だろうか」


「詩を目の当たりにするのは誰だってつらいですよ……。ずるくはないです」


「そうか……」


 これもまた気休めだろう。僕自身わかっている。いずれ克服しなければいけないことだということは。


「そろそろ寝ましょう。明日に響いてしまいます」


「うん、そうしようか」


 僕とレイナはテントに入って眠りについた。明日はいよいよ広島に突入だ。

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