第5話 控えめに言って地獄

 キーンコーンカーンコーン……


「爽馬くん! 今日もお弁当作ってき――」

「爽馬」

 昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴った瞬間、右からエレン、左から山田。挟まれた神風は二人をしばらく見比べたのち……山田の手の中にある物体に視線を向けた。……ピンク色の布に包まれた、重箱じみた物体を。

「ねえ、山田……それはなんだい」

「この前のデート楽しかったな、爽馬」

「えっ!? で……デート!? あれデートだったの!?」

「えっ……?」

 山田の言葉に、エレンの笑顔が凍る。ギギギッと神風に視線を移し、彼女は光のない瞳で口元だけ微笑んだ。

「……どういうこと、爽馬くん?」

「真に受けないでくれよエレン!!」

 エターナルフォースブリザードの如き声色だったエレンだが、神風のツッコミに一瞬にしていつもの陽だまりのような笑顔に戻る。山田はそんな彼女を一瞥し、神風の机に歩み寄った。ドドンッと音を立てて重箱じみた物体を机に置き、二人が見ている前でピンク色の布を解く。その中からするりと現れたのは――……

「いや、本当に重箱じゃないか!!」

「いいだろ、一段しかないんだから」

「そういう問題じゃないんだよ!! 何で重箱なんだい!?」

「……あのぉ……それ、何ですか?」

「弁当」

「いや、それはわかるんだけど……!」

 あんまりにもあっさり答える山田に、最早どこから突っ込むべきかと頭を抱える神風。山田はそんな彼に歩み寄ったと思えば、乱暴にその肩を抱き寄せた。はっと顔を上げ、彼を見つめる神風をよそに、山田はエレンの緑色の目を真っ直ぐに見据えて言い放つ。

「――爽馬のために、作ってきたんだ」

「なっ……」

「……へぇ?」

 エレンは優雅に微笑んだまま、微かに片眉を跳ね上げた。つかつかと神風の机に歩み寄り、こちらは丁寧にお弁当を机に置く。エレンの緑色の瞳と山田の眼鏡越しの視線が交錯し、火花が弾けた。クラス中がごくりと息を呑む。

 ……が、それに気付かない者がいた。

「山田……ボクのために……っ」

 ピンク色の布を眺めながら、顔を赤らめている神風。目じりに浮かんだ涙を指で拭う彼は、能天気なのか、何なのか。そんな彼から手を離さないまま、山田は高らかに宣言する。

「――勝負だ、佐伯エレン。どっちがより爽馬を喜ばせられるか」

「ええ、望むところです」

 ここに、仁義なきお弁当対決の火蓋が切られたのだった――。


 ――先攻、佐伯エレン――


「一段目はのり弁。何が入ってるかは食べてからのお楽しみだよ。二段目は爽馬くんが好きな卵焼きは勿論、ミニハンバーグも入れてがっつりめに。ブロッコリーとミニトマト、グラタンで彩りもよくしたつもり。グラタンとハンバーグは勿論、冷食じゃなくて手作りだよ」

「ふーん……普通だな」

「いいんだよ普通で。シンプルイズベストって言うじゃないか。……いただきます」

 目を細めながらエレン作の弁当を覗き込む山田に、神風は反論しつつ箸を手に取る。少し考え、まずはミニハンバーグをつまんだ。口に含み、咀嚼する。

「……うん、美味しいよ!」

「よかったぁ! 今日も頑張って作ったんだ、爽馬くんに喜んでほしいから……。ね、こっちも食べて!」

「ああ!」

「……」

 そんな二人を眺める山田の胸に、重油に火をつけたような黒い炎が宿る。しかし小さく息を吐き、一瞬で黒い炎を取り払った。

(同じ土俵で勝負すれば、嫌でも決着はつく。……勝つのは俺だ)


 ――後攻、山田スターライト――


「おぉ……ちょっと待ってくれないかい? やたら豪華だね……?」

 重箱の蓋を開けるなり、神風は感嘆の声を漏らす。その横からエレンが顔を出し、値踏みするようにそれを眺める。

「でも中の具材は平凡というか。量は多いので彩りは十分ですけど」

「お前が言うな」

「喧嘩するなって……それじゃあ、この唐揚げから。いただきます」

 二人の視線が刺さる中、重箱の真ん中に陣取る唐揚げをつまみ、口に含……んだところで、彼はバッと口元に手を当てた。焦ったように短時間で咀嚼し、飲み込む。穴が開きそうなほど唐揚げを見つめ……やがて、ギギギッと首を動かした。

「……ちょっと待って山田」

「どうした」

「……なんか凄く辛いんだけど!? タバスコ入れただろ!!」

「入れた」

 しれっと応じる山田。なおも噛みつこうと口を開く神風に、彼は表情を変えないまま……いや、やや得意げに言い放つ。

「普通のじゃ面白くないから、揚げる前に軽く漬けてみた。不味くはないだろ?」

「いや不味くはないけど……」

「なら無問題だろ。水やるよ」

「あ、うん……」

 半分くらい減っているペットボトルを投げ渡され、神風がそれに口をつけた――刹那。

「間接キス」

「なっ!?」

 ――全身の毛が逆立つような感覚。といっても髪の毛と眉毛くらいしかないけど。衝撃で水が気管に入り、激しく咳き込む。慌ててエレンがその背をさする中、山田は表情を変えないままに内心ほくそ笑んでいた。

(……作戦、成功)

 これをやるためだけに唐揚げにタバスコを混ぜた。それに気付くものは、多分いないだろう。


「はぁ……はぁ……」

「大丈夫? 爽馬くん」

「ごめん、全然大丈夫じゃない……」

 顔を覆って細かく震えている神風。その手の隙間から見える真っ赤に染まった顔に、山田は満足げに頷く。エレンに向き直り、勝ち誇ったように宣言した。

「そういうわけで、俺の勝ちだ」

「……はい?」

 神風の背をさすっていた手が、不意に静止する。緩慢な動作で山田に視線を向け、光のない瞳で口を開く。

「……どう考えたらそうなるんですか?」

「最初に言ったろ? これはより爽馬を勝ちだ」

「……!」

 そう――山田は最初にそう言っていた。そしてそれに乗ったのは……他でもない、エレン自身で。だが。

「……これ、喜んでます?」

 喜んでいるというよりは、照れている。

 不意に神風は顔を上げた。未だにほの赤く染まった頬のまま、深く息を吐く。そんな彼に視線を突き刺し、山田が口を開いた瞬間だった。


 キーンコーンカーンコーン……


「えっ」

「……どうやら、昼休み終了みたいだな」

 特に動じることなく重箱をぱぱっと片付け、山田はヒラヒラと片手を振る。

「今回は引き分けでいい。またいつか、な」

「……はい。次は勝ちますから」

 再び二人の視線が交差し、バチリと火花が散る。神風はそんな二人を見比べ……ようやく、自身の現状を自覚した。

(……なんか、とんでもない修羅場に巻き込まれた気がするよ……控えめに言って地獄じゃないか)

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