理事長はどっち?④

 理事長選が終わってから一週間が経とうとする頃、俺は新校舎の二階にある理事長室の扉をノックした。

 普通だったら、一般生徒が来るような部屋ではない。

 だけども、新理事長とは知り合いだし、許してほしい。


「は~い。どなた様~?」


 久し振りに耳にする瑠璃さんの声にドキリとして、声が詰まる。しかし黙っているままだと不審がられそうなので、どもりながらも返事を捻り出す。


「さ、里村翔です。少し相談したいことがあって……。お忙しいところすいません」

「ちょっと待ってね」


 引き戸を開けて現れたのは、疲れ顔の瑠璃さんだ。

 それでも余裕で可愛いのは凄い。


「入って入って~」

「失礼します」


 中に踏み入ると、旧校舎の理事長室よりも洗練された内装だった。

 そして、ここにもスタインウェイのグランドピアノが置かれている。江上家は代々音楽を愛する家系なのかもしれない。


「そこのソファに座って」

「はい」


 革張りのソファの端に腰を下ろし、持ってきたノートPCをローテーブルの上に置く。

 彼女に会いに来た目的を思うと、心臓が縮むような思いだ。

 切り出す勇気が湧かない……。


「理事長の仕事、忙しそうですね」

「そうだね。思ったよりも大変だよ。楽だと思っていたのにな~」


 瑠璃さんはピアノ前に置かれた椅子に座り、肩を回して見せる。


「……俺がここに来たことに驚いてないですね」

「予想してたからね。君が近々私を訪ねて来るって」

「うわぁ……、お見通しだったのか……」

「だってさぁ、理事長選が終わった直後の君の顔、完全にスイッチ入ったみたいに見えたんだもん。あー、これはもう一ラウンド突入すんのかなーて思ってた」


 俺の目をジッと覗き込む彼女は、妙に大人びた表情をしている。

 その仕草一つ一つに、俺が動揺するのを分かってやってそうだ。


「翔君て、本当に面白い子だよね。人畜無害を装うくせに、心の奥底に闘志を燃やしてるの」

「闘志なんて無いです。自分が失敗するのが許せないだけというか……。でも今日来たのは、勝負の為です」

「学校の理事長相手に良い度胸してる! でも、いいよ。事務仕事に飽き飽きしてたから、受けてたとーう!」

「勝負の相手は瑠璃さんじゃないです」


 俺の言葉が意外なのか、瑠璃さんは大きく瞬きしてから笑み崩れた。


「ノートPCに関係あるんでしょ?」

「当たりです。瑠璃さんに嫌われるのを覚悟してたりしてます」

「何する気なんだろ?」


 ノートPCを操作し、件の録音データを再生する。

 流れ出したのはフレデリック・ショパンが作曲した『スケルツォ第二番 op.31』だ。

 ピアノの音色に瑠璃さんはニコニコしていたが、三分程過ぎると真顔になった。


「あれ? これ、もしかして……」

「そうです。瑠璃さん達の幼馴染、倉橋大和さんが演奏した録音データを再生しています」

「……」


 真顔のままノートPCを凝視する瑠璃さんは何を思っているのか。

 もしかしたら、本当に軽蔑されてしまったかもしれない。でももう後戻りは出来ない。


「母が栗ノ木坂音大の教授をやっているので、その伝手で入手してしまいました」

「あー分かった。君の勝負の相手は大和ってわけね」

「そうです! でもどっちが上手いかを競うわけではなくて、この人の演奏を完全コピーしてみせます」

「コピー? 大和と全く同じ様に弾くってこと?」

「はい。瑠璃さんは以前言っていましたよね? 録音じゃなくて、生で聴くのが好きって。だから、俺がここで完璧に再現します!」


 俺が力強く宣言すると、瑠璃さんは腹を抱えて笑い出した。

 その様子に、急に羞恥心を思い出し、顔が暑くなる。


「君って、ホント……面白い! そんな事言い出す人初めてだよ」

「へ、変でしょうか……?」

「変!! すっごい変! でもさ、そういう芸を披露して、大和ソックリだと私が認めて、何になるんだろ? 何を期待しているの? 琥珀ちゃんを理事長に据えたいとか?」

「そういうわけではなく、瑠璃さんに区切りをつけてほしいんです。大和さんを待つのをやめてほしいなって思ってまして……。別れてほしいとかじゃなくて、大和さんの為に居場所を作ってやるために自分の進路を曲げるとか、コンクールで実績を作らないとか……、やめませんか」


 瑠璃さんは笑い続けながらも大きく首を振った。


「大和とは付き合ってないし、恋愛感情もないな~」

「じゃあ何でそこまでするんですか?」


 恋愛関係にはないと聞き、ホッとするものの、疑問が解消したわけじゃない。


「古くからの親友の為に何かしてあげたいと思ったら駄目?」

「駄目じゃないですけど、限度があると思います。大和さんが少年院から出た後、瑠璃さんが自分の将来を歪めてまで、アレコレ取り計らってたって知ったら、重いって思うんじゃないですか?」

「ハッキリ言うんだね」

「誰も言ってなさそうだから、俺が仕方なく言ってます! 本当はこんなこと言いたくない」


 瑠璃さんは少々考える素振りを見せた。

 それはそうだろう。こんな一年のモブがいきなりやってきて、滅茶苦茶な事を言い出しているのだから。普通に考えたら、ほいほい要求を飲むわけがない。

 だけど、彼女は普通じゃなかったみたいだ。


「……分かった。君の演奏を聴くよ。大和の演奏を再現してみせて。似ていたら、君の願い通りにしてもいい」

「え!? いいんですか?」

「いいよ。何かさ、いい加減ウンザリもしてたから、いい機会なのかもって思ってる」


 瑠璃さんは椅子から立ち上がり、デスクの天板に足を組んで座った。


「スケルツォを聴かせて。どう感じるのか体験してみたい」

「本気でいかせてもらいます!」


 ノートPCの電源を落とし、グランドピアノに近寄る。

 練習は充分すぎるほどやった。後は丁寧に弾くだけだ。

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