一人暮らしの危機④

 親父と母親のつまらない話を聞き流しながら、牛肉とフォアグラの重ね焼きをチマチマと切り分けながら食べる。

 この店は高いだけあって、味はかなり良い。


「そういえば翔。あなたの学校に江上瑠璃という生徒が居るそうね」


 話の中に出てきた名前に聞き覚えがあり過ぎて、喉に肉が詰まりそうになった。

 何故その名前をこのオバサンが知っているのか。


「元生徒会長だけど、それが?」

「先日行われた日本アマチュアクラシックコンクールのヴァイオリン部門で、一位に選ばれたというのに、辞退したのだそうよ」

「えぇ!? 本当かよ! 一体何で……?」


 ピンときた。

 たぶんそのコンクールは、先日彼女が東京に行った際に開催されていたやつだろう。

 江上琥珀に瑠璃さんのことを聞いた時、おそらく良い順位までいくと思っていたけど、辞退までは想像してなかった。

 わざわざ時間を割いて取り組んだだろうに、どうして賞を受け取らなかったのか。


――まさか、ウチの学校の理事長になる為に……。


 あの時言っていた”腕試し“は、本当にそれだけの意味でしかなかったわけだ。


「日本アマチュアクラシックコンクールは、入賞者披露演奏会でオーケストラと弾くチャンスがあるのよ。大きな経験になるというのに、彼女勿体ないことをしてしまったわね」

「オケと……」


 上着のポケットに入れたスマホを触る。

 彼女からファミレスで貰ったデータは、彼女がしてきた地道な努力が詰まっていた。

 総譜の読み方を勉強して、いつかオーケストラと共演する日を夢見てたのに……。

 理事長になるか否かは置いておき、チャンスをものにすれば良かったんじゃないかと思わずにいられない。


「あの人にも色々事情があったんだろ」


 適当に話を終わらせようとすると、母親が化物じみたギラついた目で俺を射抜いた。


「あなた、江上瑠璃と知り合いなのね。今から仲良くしておくのよ」

「なんで……」

「言わなくても分かるでしょう!? 才能がある者同士で刺激し合うのよ!」

「煩いな! そんな指図要らないんだよ! てか、二歳も上の女が俺なんかを相手にするわけないだろ!」


 逆上するあまり、余計なことを口走ってしまった。

 その隙を突き、親父までわけの分からない話を言い出す。


「二歳差がどうした! お前は男としての魅力に欠けているが、里村家の遺産がある。それで大抵の女は落ちるぞ! 嫌味を感じさせないようにアピールしろ。いいな?」

「あなた、愛海ちゃんを好きなのかと思ってたけど、漸く目が覚めたのね。音楽センスのない嫁は絶対に認めないわよ」

「大きなお世話だ!」


 この夫婦は揃いもそろってまともではない。

 俺は呆れ果てて、手元の肉塊をグサリと切り裂いた。

 

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