勝敗の行方①

「NESSUN DORMA《誰も寝てはならぬ》!」


 江上は良く通る声で歌い出す。

 合唱部員以外の面々は、ソプラノでの歌唱を想定していなかったのか、軽くどよめいた。

 脳天から出ているかのように高い歌声に、歌詞通り“目の覚める”思いだろう。


――江上は前より声が出るようになった。充分な声量のソプラノは迫力あるよなぁ……。


 この歌声に伴奏を合わせられる充実感から、自然と俺の口元は笑みの形を作る。

 お遊びの範疇から一歩踏み出した程度の、ほどほどな緊張感が心地良い。


「SULLA TUA BOCCA LO DUO QUANDO LA LUCE SPLENDERA《夜明けを待ち、この唇で、あなたの唇に伝えます》!」


 盛り上がりの部分では、室内に居る全員が江上の歌に聴き入っていた。あの百瀬生徒会長ですら、だ。


 そのまま最後まで痛快に歌い切った江上は、瑠璃さんの方を向き、ニヤリと笑った。

 対する瑠璃さんは苦笑しながらも、両手を叩いて彼女の妹を称賛する。


「琥珀ちゃんの歌、久しぶりに聴いたな。随分上達したんだね。少し感動しちゃった」

「ふふん! 評価は公平にしてよね!」

「勿論! というか誰が勝者なのか、皆分かるくらいの差があったかな。課題曲一曲目は、琥珀ちゃん率いる合唱部の勝利だよ!」

「わーい!!」


 江上は飛び上がって喜ぶ。俺も嬉しいけど、まだ一曲残ってるので気が抜けない。


 女子コーラス部の連中がどういう反応をしているのか観察する。

 何故か彼女達の大半はホッとした表情を浮かべている。さっきから感情が読み取りづらい連中だ。

 その空気を霧散させるように、百瀬先輩が切り出した。


「課題曲二曲目の『ゲルマン人の行進』ですが、私達は歌える状態にありません」


 俺達合唱部と瑠璃さんは唖然とする。

 以前聞いた話によれば、生徒会長は瑠璃さんに与えられた課題曲のアレンジや伴奏を、音大の学生に委託したとのことだったはず。そこから一体どうなった?


「百瀬ちゃん、分かる様に説明してくれるかな?」

「……知人を介して大学生に編曲を依頼したんですが、手間がかかりすぎるからと完了まで三日かかり、そこから多数の不備が見つかったため、伴奏等の録音にまで至りませんでした」

「アカペラも無理なのかな?」

「無理ですね。楽譜の修正が追いつかなかったので、歌の方は全く練習してないのです」


 どうやら、生徒会長の依頼を請け負った人間の腕が悪すぎたようだ。

 無理もない。頼む側もある程度の知識がなければ、適切な技術を持った人間に当たらないだろうから。


 女子コーラス部員達の先程からのお通夜ムードは、どうやらこれが原因だったらしい。

 彼女達からすれば、江上のソロが完璧だった時点で、負けだったということだ。

 これ以上変なことに付き合わずに済むのだから、ホッとしたのかもしれない。


「なるほどぉ。白川ちゃんだけなら男性パートをそのまま歌えるんだろうけど、この曲は合唱だしね。他の子達の声域に合わせるには編曲しないといけない……と。翔君擁する合唱部がやっぱ有利だったかなぁ」


 瑠璃さんはこの展開を見越してそうだ。

 唇を噛みしめる生徒会長に少々同情する。

 無駄に悔しがらせるくらいなら、始めから“妹の部に戻るように”と命じれば……と思わなくもない。


「じゃあこの勝負はどうなるのかな?」

「そうだね。君達合唱部が一音でもあたしに披露してくれたら、その時点で総合勝利は合唱部にするよ~」


 江上姉妹の会話を聞き、近寄って来た染谷とニンマリと笑い合った。

 予想外な勝ち方ではあるものの、自力で取り組んだこその勝利といえる。


 俺はピアノで『ゲルマン人の行進』の前奏を弾き始めた。



 女子コーラス部との対決後、俺達三人は江上家で祝勝会を開いた。

 クラスメイト三人だけという弱小部だったわけだけど、明日からは違う。

 過去に問題を起こした奴等を迎え入れることで、問題ごとが立て続けに起こりそうな予感に震えはするが、瑠璃さんとの対決を考えたら欠かせない人員だ。なるべく上手く付き合っていきたい。


「染谷さん、少食すぎー! もっと食べてよね!」

「うぅ……。力士ではないので、程々にしか食べれない……」


 ちゃんこ鍋を前に攻防を続ける二人の姿に噴き出す。

 染谷が入部した頃はあまり仲が良くなさそうだったのに、いつの間にか友人になっていたみたいだ。

 和みつつも、ここに居ない人について質問する。


「瑠璃さん帰りが遅いんだな」

「お姉ちゃんは百瀬先輩と少し話してから帰ってくるって言ってたよ」


 どういう会話をしているのか気になる……。

 生徒会長は瑠璃さんを好きなのだ。瑠璃さんの方もまんざらではないのか、今回の勝負次第で二人が付き合うことだって有り得た。


――変な事態になってなきゃいいけどな。


 時刻を確認する為にスマホを取り出してみると、ちょうど良く瑠璃さんからメッセージが入った。


“今から駅前のス○バに来れない?”


 心臓が煩く鳴り出す。

 時刻はもう十九時を過ぎている。よっぽど親しい間柄でなければ会わないような時間帯なのに、一体何の用なのか。


 というか、この祝勝会を途中で抜けるって、かなり空気読めてない奴に思われそうだな。

 元から陰キャだと思われてるだろうから今更だけど。

 瑠璃さんには悪いけど、断ろうかと思ったのだが……。


「江上。親がそろそろ心配する時間だから、帰るね」

「うんうん! 気を付けて帰ってね!」


 染谷が先に帰宅準備をし始めてくれたので、抜けやすくなった。

 

「俺も帰るよ。今日は補修とかもあったから疲れたし」


 便乗して告げると、江上に寂しそうな顔をされた。

 染谷が居なくなったら二人きりだし、特に話す事もないんだから許してほしいところだ。

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