難題は続く

 月曜日の放課後。


 江上から理事長室に呼ばれた俺は、土曜日に判明した内容を説明する。


 彼女は目をキラキラ輝かせて大人しく聞いてくれ、俺の話が終わると、拍手してくれた。




「よく気がついたね、里村君! 学生証の中に楽譜が仕込まれていたなんて、全然気がつかなかったよ!」


「俺も見つけた時にビックリした。何でわけの分からない場所に隠すんだ」




 江上が今凝視しているのは、俺が手渡した五線譜だ。そこには分解したコードが音符に変わり、並んでいる。


 俺が土日かけてチマチマと描いたわけだけど、たぶん合っているはずだ……。


 ただ、作業しながらもう一点問題が出てきた。


 しかもそれがかなり重大だったりするんで、ちゃんと伝えとかないとな。




「作業してみて気がついたんだけど、学生証に仕込まれていたコードだけじゃ曲にならないんだ」


「えっ!?」


「俺が書き起こした五線譜をもう一度見てみろ。仮にも合唱部の部長やってんだから、ピンとくるはず」


「うーん……ああ! 里村君は全部四分音符状態で書いてるね! コードの状態じゃぁ、音符の種類が分からなかった感じかな」


「そういうことか」




 そうなのだ。売られている楽譜では音の長さを示す、全音符や二分音符等の音符の種類や休符の種類、拍子記号、その他諸々が示されてるわけなのだが、学生証に載っていたコードだけでは、それらを読み取れない。


 つまり歌う時のリズム等が不明の状態といえるのだ。


 音階については、取り敢えず江上が歌うことを前提とし、女性の音域の平均であるmid1FからhiDあたりにしてみたが、ただの苦し紛れの措置と言う他ない。




「でもでも! ここまで来れただけでも凄いよ!」


「いや、全く……」


「もう! テンション低いなぁ! 楽しみにしとけってメッセージくれたくせに」


「結局完成しなかったからな」


「意外と細かい性格なんだね。あのさ、この楽譜の状態で弾いてもらえないかな?」


「ぐっ」




 正直に言おう。かなり嫌だ。


 ピアノを弾く者は、楽譜に忠実でなければならない。


 これは俺がガキの頃からクソババアに口酸っぱく言われてきたことだし、今は俺もそうあるべきだと思っている。


 だもんで、五線譜の上にチマチマ音符を並べる時には、原曲を冒涜しているようで胃が痛かったし、弾くなんてもっての外なのだ。




 気乗りしていないのを伝えるため、顔を顰めて貧乏揺すりしてみるものの、江上の大きな目からは煌めきが消えない。




 表情筋をどう動かしたら、そんなに期待を込めた表情になるんだ。




「雰囲気だけでも知りたいよ! だからお願い!」


「俺は完成してから弾きたい。じゃないと作曲した人に失礼だと思うし」


「今は私しか聞いてないんだし、作曲者さんには聞こえないはず! 気にすることないない!」


「うへー」




 まぁ確かに江上の言う通り、今この旧理事長室に居るのは俺達二人だけだ。それに、建物内に居る別の部の奴等は不出来な曲が聴こえてきたとしても、どうでも良いと考えるだろう。


 だったら別に弾いてしまってもいいか。




 俺は江上に出してもらった麦茶を一口飲んでから、グランドピアノに向かった。




「楽譜返すね」


「うん」




 妙に緊張する。


 大きく息を吸ってから、片手でメジャーのCコードに相当する和音ドミソの位置に手を置き、そのままゆっくりと下ろす。


 ポーンと明るく響く。


 一音だけでなく、次々に和音を続けて弾けば曲らしき何かが生まれた。


 四分音符にしているからなのか、割と爽快な音色かもしれない。




「うん。この曲好きかもしれない。歌詞があるなら歌ってみたいなぁ」


「女性三部合唱にも合いそう」


「確かに! というか、里村君がわざわざ女性の声域に合わせて弾いてくれたから、余計にそう思うのかも」


「うわ、バレてたのか」


「私もそのくらいの音楽知識はあるからね」


「フーン」




 俺も歌わされないように、わざと女性合唱的にした意図もバレていそうだ。


 蛇を出さないように藪を突かないでおこう。




「これからどうする?」


「ん?」


「校歌にはまだヒントが隠されている気がするんだけど、再び捜索するのか、全く別のことをやるのか決めて欲しい。江上が部長なんだからさ」


「謎を残してはダメだよ! 秘密は全部解いちゃおう!」


「さいで」




 そうなりそうな気はしていた。


 俺は学生証を再び取り出し、最後のページを開く。




”裏山からの清風は、街を吹き抜ける“


”長き伝統、後世へ渡そう“




「次の手がかりは裏山にあるのか、街にあるのか……。街だと範囲が広すぎるから、裏山なんだろうな」


「裏山っていうと、黒森山の事なのかな?」


「おそらく」




 江上が指差す方向には、こんもりと緑生茂る黒森山がある。


 『山』というのは若干語弊があって、高さ的には『丘』だろう。


 程良い標高で、階段等も整備されていることから、お年寄りや子供達のハイキングスポットして人気のあるエリアだ。




「今の時間から行ったら、帰りは辺りが真っ暗になりそうだよな」


「じゃあ、次の土曜日に一緒に行かない?」


「また休みの日に活動するのか。この部、文化系のはずなのに、やたらハードだな」


「弁当作って来てあげるから、協力してよ!」


「江上の料理……。ちょっと心が揺らぐかも」




 料理で手懐けられてしまった感じがして、少々悔しいが、またアレが食えるなら多少怠くても我慢するか。

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