第14話 「寝るなーっ! 眠ったら死ぬぞっ!」

「ね、眠い……」

「寝るなーっ! 眠ったら死ぬぞっ!」


とまるで雪山で遭難したような会話が繰り広げられているがもちろん雪山ではない。

 「オキシドール7」の夏祭りライヴの最終日だった。


「いーじゃんかよ…… どーせ御大は最後なんだし、あと一時間……」

「駄目ーっ! お前らに友情ってものはないのかっ!」

「この点についてはないっ!」


 などと言って爆睡する者が続出する時間。夜中二時半。オールナイトライヴのラスト「第三部」直前である。

 夕方六時から十時までの「第一部」、十一時から日付を越えて二時までの「第二部」、そして三時から最後、六時までの「第三部」と三部構成になっている。


「あたしは次がお目当てなんだよーっ!」


と友人二名を揺さぶっているのはナホコ。揺さぶられているのはユキノとアナミの二人だった。


「……」


 駄目だこりゃ、とナホコはつぶやくと自分も眠気がさしてきているのが判るので、トイレへ飛び込んだ。洗面所の水はさほど冷たくはないけれど、とりあえず顔を洗うのには充分だった。

 もう洗面所もずいぶん汚れている。化粧くずれを直す時のティッシュ、髪の毛、飛び散った水、果ては煙草の吸いがら等々。絶対に今なら男子トイレの方が綺麗だろうな、とナホコは思う。

 もちろん彼女も化粧はしていたので、律儀にもポーチからクリームを取り出してぱーっと顔一面に塗る。はっきり言ってそれまでのライヴで汗かきまくりでファンデーションはほとんど取れていた。

 ファンデだけではない。口紅もシャドーも、だ。まあ実際観客席など暗いんだし、念入りに化粧してどうすんだ、という感じもナホコにはなくはない。でもまあ、着ている服に合わせるとどうしてもメイクしない訳にはいかなくて。

 水道の蛇口をひねって勢いよく水を出す。そして塗りたくった「水で洗える」クレンジングを一気に洗い落とした。


「う」


 鏡の中の自分の顔を見て眉を寄せる。あーあ、隈ができてやんの。

 この夏祭り、通しの参加証があるくらいだから、三日間全部見る者もいることはいる。ナホコはいい例だった。何しろとにかくこの「オキシ」に関わっているバンドを一気に見られることなんて滅多にない。カタログ状態だ。だから三人の友達と申し合わせて、一日づつ互いの家に泊まり込むということにして参加していた。


 ナホコの母親はなかなかな人物だった。

 とにかくちゃんと帰ってきて学校なり補習なりにきちんと翌日出られるなら文句は言わないぞ、だが一回でもそれを破れば容赦しない、と。

 「脅しじゃないかーっ」と言う娘に彼女は、「何をゆーとる扶養家族」と切り返した。

 のでナホコは意地でもそれを守っている。他の二人も似たかよったかだった。

 だがまあそういうことのしにくい友人もいることはいるので、それはどうしようかな、と時々ナホコも思わずにはいられない。

 これでPH7の、今日の奴良かったら、無理にでもあの子連れてこよう。

 ナホコは顔を拭き、すっきりさせる目薬をさし、もう一度顔を作り始めた。大人しい、隣のクラスの隠れロック好きの子を思い出しながら。

 と、そこへ数人の少女達が入ってきた。さほどナホコには見覚えのない顔だった。着ている服も自分の好みとは別系統のファンだということが丸分かりである。

 そこではた、と思い当たる。


 どーしてこの系統の集団が「今」いる訳?


 オキシにはいろいろな系統のバンドが出演している。一日目はどちらかというとパンク系であり、二日目は「露骨にハード・ロック」が中心だった。

 はっきり言ってしまえば三日目の今日は「それ以外」だったのだが、洗面所にどかどかと入り込んできた少女達は「二日目」にたむろしていそうな集団だった。

 別に居ても悪くはない。―――のだが、集団でいるというところが気になる。化粧なおしでもするのか、と自分は済んだのでナホコが鏡の前からずれても、鏡の前へ向かおうとはしない。ひいふう…… 六人居た。円陣を組むようにしてしゃがみこむ。


「……でさ…… 連中が出てきたら一斉に……」

「中指かよ、それとも親指下向けブー?」

「中指じゃ印象弱いってば」


 何の相談だ。ナホコはポーチの中身を直すフリをして会話に聞き耳を立てる。


「やっぱブー、だぁ」

「だな」

「だべ」


 うんうんと少女達はうなづきあう。どうやら特定のバンドへのブーイングの相談らしい。がさごそとかばんの中身をひっくり返してにっと笑う。卵? そんなふうに見える。


 ……


 ナホコは嫌な予感がした。

 最終日の第三部、大トリはPH7とダブルアップとラヴィアンローズである。この中でブーイングをいきなり食らいそうなのは…どう考えてもPHしかいない。


 どーしよう。


 開演まであと十五分である。


「こら起きろってば!」


 フロアに戻って荷物と一体化して堕眠をむさぼっている友人二人を蹴飛ばして起こす。


「痛てーなあこの野郎!」

「起きろよっ! アナミお前、前ん時、お前のツレが『連鎖反応チェイン』のファンがどーとかって言ってたろ」

「『連鎖反応チェイン』のぉ? あー」


 起きぬけというのは頭がぼーっとしているらしい。どうやらナホコの態度が真剣なのに気付いたアナミはぺしぺしと自分の顔をひっぱたく。


「……あー、言ったな。あそこのファンが、あそこのベース引き抜いたPHペーハーに怒ってるって」

「そーか」


 そう言えば、「二日目」に出てもおかしくないCHAIN-REACTIONは参加していなかった。結局いいベーシストもサポートも見つからなかったのだろう。


「なにぃ……? 何かあったんか」

「あーと……」


 どうしたものか、とナホコは考える。


「何かあったんだな?」


 アナミはナホコの様子を見て真剣な口調になる。


「あった」

「あ、そ」


 じゃ、とアナミは立ち上がるとぐっとナホコの手を引っ張った。


「どーすんだよっ」

「忠告しかなかろ」

「へ」


 確かにそうだが、アナミの口からそういう言葉が出るとは思わなかった。


「荷物はどーするよっ」

「ユキノが上で寝てるからいーだろ」


 確かに。

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