第47話 読めない考えを持つ者達

 

 クラウンはミールによって城から追い出されていた。黒い三本の腕に掴まれ、テラスから外に容赦なく投げ飛ばされて。


「ちょッ!」


「クラウンッ」


 手を伸ばしかけたロシュラニオンの前にミールは立ちふさがる。王子は舌打ちし、道化師は小道具の風船をクッションに着地した。クラウンはロシュラニオンの部屋を見上げ、直ぐに戻ろうと地面を蹴る。


 まさかその肩を掴まれるとは思わずに。


 道化師がクラブを振り抜いて牽制すれば、相手も素早く身をひるがえして距離を取る。


 クラウンはその相手を見て目を見開いてしまうのだ。


「レキ……」


 いたのは右目に包帯を巻いたレキナリス。苦笑する彼は両手を上げ、その後ろにはガラが立っていた。


「団長まで、なんで」


「クラウン、今日はもう帰るぞ」


 ガラはクラウンの頭を撫でる。団長特有の少し荒い撫で方に道化師は口を結び、「でも」と零していた。


「ミールの奴なら大丈夫だ」


「……王子の何を導くの」


 クラウンはレキナリスに問いかける。青年は肩を竦め、口に人差し指を当てるだけなのだ。


 煮え切らない道化師は少しだけ苛立ってしまう。ガラは両手で黒い髪を撫で回し、クラウンを落ち着かせることに努めていた。


「今回はちゃんと俺に相談して、団員達も、王も王妃だって了承した導きだ。お前は心配しなくていい」


 ガラの言葉にクラウンは驚きを隠せない。レキナリス達の幸せを願った王達が、目を差し出す導きに了承したことが信じられなかったのだ。


「なら、尚更内容を教えてよ」


「それはまだ秘密だ。明日にでも分かるさ」


 仮面に隠れたクラウンの顔が歪む。ガラは悪戯っぽく微笑み、レキナリスはクラウンの背中を押していた。


 道化師は渋々歩き始め、少しだけ城を振り返ってしまう。帰って来たミールに聞いても教えてくれないだろうと考えながら。


 クラウンは息を吐き、レキナリスとガラと共に夜道を歩いた。


 ――そうすれば、お前は俺の傍にいることを迷わないだろ


 ロシュラニオンの言葉を頭に反響させながら。


 レキナリスがロシュラニオンに何の導きをしたのか、見当もつけられないまま。


(……私、迷ってたのか)


 そんな今更なことに気付きながら。


 * * *


 翌朝。熟睡出来ないまま目覚めたクラウンは仮面を付ける気が失せていた。


 それは八年の間で初めての感覚。ベッドに寝転がったまま朝日を浴びるクラウンは、青い毛先を見つめていた。


 ――おかあさんッ!


 喉を枯らして泣いた日が蘇る。それは仲間セレスト達と共に食料を取りに出た日。宝石の種族は他種族に見られることを嫌い、深い森の中で生活していた。


 青い髪や瞳は美しく、それを狙う者がいるから。それらを恐れて毛嫌いし、心まで冷えてしまった種族がセレストだ。


 クラウンは自分の体を抱き締めて目を閉じる。食料を入れていた籠を捨て、木の実が潰れ、一気に駆け出す同胞達の姿を思い出して。矢を射る他種族を瞼の裏に浮かべて。


 髪を掴まれて倒れこんだ仲間もいた。遅れた者は捨てられた。


 足に矢を受けたアスライトも、捨てられた者だ。


 手を伸ばした自分を母は振り返ったのに。冷え切った青い瞳に慈悲はなく、母は仲間と共に森を駆け抜けて消えてしまった。


 射られた足より――心が痛んだ。遅い自分のせいだと嫌悪して、足を引きずりながら何とか逃げ出して。


 木陰で震えていた恐怖を少女はいつでも思い出せる。その時も自分の体を抱き締めて、声を押し殺して泣いていたのだから。


 ――もう、大丈夫だよ


 そう言って包んでくれた黒い翼がある。怯え切っていた自分を温かく抱き上げて、傷を手当てしてくれたコルニクスがいる。


 思い出に浸り終わった少女は左目を開け、ベッドの脇に立つ少年を見上げた。


「……リオ、一回その頭を割られたいわけ?」


「既に一回割られかけたと思うんだけどな」


 可笑しそうに笑うリオリスがベッドに腰かける。クラウンは諦めた様子で起き上がり、時計を確認していた。


「寝過ごした訳でもないけど、何用かな」


「昨日から引き続き騎士さんからの伝言。スノーが今日こっちに来たいらしいから、クラウンとレキと僕はテント待機だってさ」


「そりゃまた急だね。活発な王女様らしいや。仕事は良いのかな?」


「スノーもロシュも一日暇を貰ったんだってさ。働き過ぎだって王様からのお達しらしいよ」


 微笑むリオリスを見るクラウンは青い髪を手櫛で直す。目を細めた少年は、白黒にしか映らない少女を茶化していた。


「昨日はロシュのお部屋で何してたんですかー?」


「さて、何でしょうねー」


 立ち上がったクラウンは伸びをしてから眼帯を付け、仮面を手に取る。リオリスも今日は潔く部屋を後にし、廊下に立っていたレキナリスを見上げたのだ。


 右目を無くしたレキナリスは少年を見つめ、軽く頭を撫でてやる。リオリスは笑顔のまま呆れたような声を吐いていた。


「勘違いしないでね、レキ。今までの態度は演技なんだ。俺はクラウンのことなんて、何とも想ってない」


 そう言って歩き去るリオリス。レキナリスはその背中を見送り、右目を覆う包帯を撫でておいた。


("俺"は、ねぇ……)


 レキナリスは暫し思案し、出てきたクラウンと鉢合わせる。道化師は黙って青年を見上げ、一応聞いてみた。


「おっはよーレキ。君は王子様の何を導いたんですかねー?」


 頭を切り替えて笑ったレキナリスはやはり口に人差し指を当てる。クラウンは肩を脱力させ、仮面に触れておいた。


 クラウンは今日も道化師だ。何が起ころうとも踊り子アスライトに戻ることなどなく、彼女は道化師クラウンなのだから。


 伝言を守ってテント待機をするクラウンは、本日の付き人業務が休みだと察していた。ランスノークが名指しで残るように言い、ロシュラニオンからの伝言が無かったことがそれを暗に伝えている。


 クラウンは目を伏せたが、今の定まっていない立ち位置で傍にいてもと考え直した。


「こんにちはクラウン、リオ、レキ。今日は時間を作ってもらってごめんなさいね」


 騎士を連れてテントを訪れたランスノークは、嬉々とした顔で裁縫道具を抱えていた。護衛の騎士達は通気性の良い鮮やか布を何枚も持たされており、団員三人は疑問符を飛ばしてしまうのだ。


「別に私達は一向に構わないんだけどさ……スノーさん? その道具で一体何をする気なのかなー?」


「眼帯作りに決まってるじゃない!」


 装飾の少ないドレスの袖を捲り、さも当たり前と言わんばかりの返答をするランスノーク。クラウン達は笑顔を固め、騎士達は遠い目をして苦笑した。


 テント横の芝生にマットを敷き、大量の布を並べていくランスノーク。快晴の元で裁縫道具を渡された団員達は顔を見合わせ、催促する王女と共に座っていた。


「折角五人仲良く眼帯族になったんですもの。どうせなら一緒の物を作りたいじゃない?」


「買うのではなく手作りとは、相変わらずスノーは突飛だねぇ」


「あら、不満?」


「まさか!」


 クラウンは肩を揺らして笑ってしまう。ランスノークは満面の笑みで紙とペンを取り出し、それはリオリスに押し付けていた。


「無地の眼帯なんて面白くないから、リオは何か刺繍を考えて?」


 リオリスの頭上に飛んだ感嘆符と疑問符を、レキナリスとクラウンは確かに見る。


 王女は少年に詰め寄りながら手を合わせ、騎士達は和やかに二人を見守っていた。遠慮なくリオリスに迫るランスノークは可愛らしく笑い、レキナリスの頬が微かに痙攣する。


 道化師は隣の青年を見上げて柔く肩を叩いておいた。


「まぁまぁ、スノーの距離感なんてその場の勢いに近いんだから」


 レキナリスは珍しく真顔でクラウンを見下ろす。何処となく不思議そうな青年の空気を察した道化師は呆れたように両手を上げていた。


「無自覚かよ」


 レキナリスは首を傾げて困った顔をしてしまう。クラウンは「なんでもない」と首を横に振り、渋々デッサンを始めたリオリスに視線を向けた。


「どんな絵柄にしてくれるのー?」


「花にするよ。みんなそれぞれ花から名前を貰ってる節があるし」


「そりゃいい」


 クラウンは楽しそうに拍手をし、ランスノークから鋏を渡される。型紙と共に眼帯の裁断を頼まれた道化師は個々人に合う色を吟味し始めた。


 ランスノークは騎士から一冊の本を貰ってレキナリスの隣に座る。青年は首を傾げ、王女様は笑っているのだ。


「レキは手話って知ってる? 文字を書かずに、手の動きで思いを伝えるの」


 レキナリスは目を瞬かせ、ランスノークは楽しそうに本を開いている。それは手話の教本であり、王女は道化師に言っていた。


「クラウン」


「いいよ。時々相談はするけど、スノーとレキは基本そっちで」


「ありがと」


 ランスノークは花が綻ぶように微笑み、クラウンは軽く手を振っている。王女が周りの者を考えて準備したことに賛同したからだ。


 リオリスはデッサンをしながら口角をあげ、レキナリスは教本をまねて手を動かし始めている。王女も青年と共に手話を覚え始め、その空気は酷く和やかだ。


「この方が文字を書いたり、糸で綴ったりするほど細かい作業にはならないでしょ?」


 ランスノークの言葉にレキナリスの目元が染まる。一冊の本を覗き見る二人にクラウンは微笑み、五人それぞれに合うであろう色を考えていった。


 ガラはテントから四人の様子を見つめ、隣に立っているミールとロマキッソも何も言わない。団長は安心したように口角を上げ、副団長の肩と玉乗り担当の頭を撫でていた。


「ミール、あいつら頼む」


「あぁ」


 ガラはテント内に戻って次の公演を考え始める。ミールは息を吐き、ロマキッソは両耳を握り締めていた。


「ロマも行ったら良い。クラウンの相談相手にはなれるだろ」


「い、いや、僕はそんな」


 首を横に振って柱に隠れるロマキッソ。それでも彼の赤い瞳はクラウン達に向かい、ミールは息を吐いてしまうのだ。


 引っ込み思案なロマキッソはいつも遠くからレキナリス達を見つめている。その輪に自分から混ざりに行くことは無く、手を差し出されても逃げるのがロマキッソ・ロンリーと言う少年だ。


 ミールはロマキッソを見下ろしてしまう。白い両耳を掴んでいる少年は自信が無さげで、副団長は考えるのだ。


「ならばロマ、私の愚痴に少しだけ付き合ってくれるかい」


「副団長が、愚痴ですか?」


「あぁ、狡い姉弟の愚痴さ」


 二本の腕を組んだミールは息を吐き、テントの外に歩み出る。温かな陽光を浴びながら芝に腰を下ろしたミールは、少しだけテントにもたれ掛かった。ロマキッソは迷いながらも隣に座り、副団長から穏やかな「ありがとう」を貰う。


 はにかむロマキッソは少し離れた場所にいるクラウン達を見た。ミールも彼らを見ているからだ。


 副団長は銀色の瞳を細め、穏やかな空気を感じていた。


「私に導きを願った姉弟はね、凍えた少年達を起こしたいと言ったんだ。まだ死んでないから。心臓と肺が凍った、冷凍状態だからなんて可能性の話をして」


 ロマキッソの目はランスノークを見る。王女は青年と手話の練習をしており、その目元は本当に幸せそうだ。


「弟は二人の氷が溶けることを願い、姉は二人の傷が癒えることを願った。狡い誓いを立ててね」


「狡い、誓い」


「弟は刃と敵意を向けないこと。姉は「好き」と言う言葉を伝えないこと」


 ロマキッソは耳を握り締め、ミールは肩から力を抜いてしまう。一体いつから王女様は考えていたのかと呆れながら。


「それ、狡いんですか?」


「狡いとも。二人共自分に都合の良い逃げ道を準備しているのだから」


 白い少年の頭の上に疑問符が飛ぶ。副団長は少しだけ微笑み、穏やかに目を伏せていた。


「弟の方は刃と敵意を向けないと言ったが、元々彼は目覚めさせた者を許すつもりだったんだ。許した相手に刃や敵意を向けないなんて当たり前だろ」


「あ、」


「姉の方だってそうさ。なんだい? 二度と「好き」と言う言葉を伝えないだなんて。好きだと伝えないではなくその言葉を伝えないと限定したのならば、それ以外の愛情表現は可能にしているじゃないか」


 天を仰いだミールはテントの布越しに柱に寄りかかる。ロマキッソは自分の中で副団長の言葉を咀嚼し、納得していた。


「確かに、そうですけど……それでもその、二人の誓いで、導きは出来たわけですよね……?」


「そうだよ。導けるように、姉の方がわざと導きを二つに分けたから」


「えぇ?」


 ロマキッソの頭に再び疑問符が飛ぶ。ミールの瞳は呆れを含んだまま王女を見つめ、自分の負けだと理解していた。


「氷を溶かす。傷を癒す。そんな願いはと言う導きにすれば一つで収まったんだ」


「……あ」


「そしてその考えを姉の方は浮かべていた。浮かべていたのに分けたんだ。わざわざね。二人で一つの導きをする心積もりで誓いを立てる為に」


「……導きたいと言う人が、一つを二つに分けたから……必要な誓いの重さが、変わった?」


「正解」


 ミールは自分の力に辟易する。


 導きとはそれ相応の大きな力であるが、何百人を従えたいと言う導きと一人を従えたいと言う導きでは内容の濃さが変わってくる。欲しい物を買う為の代金が違うのと同じことだ。


 導きが広大になるほど立てるべき誓いも釣り合わなくてはならない。片目と言う重さは変わらないのだから、後は誓いで補わなければいけないのが導きなのだ。


 その原理をミールは口外したことが無く、図鑑にだって載せられていない。それでも姉は推測し、予想し、やはり可能性に賭けて自分が望んだ結果を勝ち取ったのだ。


 ミールは白旗を上げる気持ちで息を吐き、青空に目を細めていた。


「私の力も安く買われたものだ」


「……それでも、咎めず愚痴にしてる副団長は、やっぱり優しいと思います」


 ロマキッソは微笑み、ミールは団員を見下ろす。それに白い少年の肩は揺れて自信なさげに赤い瞳が揺れた。彼が握っている長い耳は、それでもクラウン達の会話を拾ってしまう。


「ねぇスノー。今日はロシュラニオン様もお休みなんだよね?」


「そうよ。騎士団長達に仕事を取り上げられて、ニアと一緒に温室に行っていたわね」


「眼帯作りは不参加~? ノリが悪いなぁ」


「そう言って、本当は会って聞きたいことがあるんでしょう?」


 道化師は首を傾けて黙る。それからいくつかの布を見比べて、ランスノークは笑ってしまうのだ。


 王女は道化師の肩に柔く手を回し、クラウンは「なぁにぃ?」と笑ってしまう。


「大丈夫よ、ロシュを待ってあげて?」


 クラウンは返事を考え、結局何も言えずに頷いてしまう。こうしてレットモルの中でロシュラニオンと離れているなど、稽古や公演以外では本当に久しぶりだと思いながら。


(……私は付き人だよ。友達にはならない)


 自分に言い聞かせるクラウン。道化師は鮮やかな布を見下ろして、それぞれに合う色を探していた。

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