第44話 王と王妃である前に
帰国したザルドクス王とフィラム王妃は、自分の子ども達の顔を見て言葉を無くしていた。
晴れやかな顔で凱旋パレードを行ったサーカス団員達の空気がいつもと違うことを悟りつつ、途中並んだガラが「謁見したい」と申し出てきたことに何かあったと察し、心構えはしていた。
けれどもまさか、大切な娘と息子の右目が無くなっていたなどとは想像も出来なかったわけで。
城の正門で医療用の眼帯をつけて出迎えた姉弟を見つめ、黙ったままの王と王妃。共に外交に出ていた第五騎士団の顔色も青を通り越して白くなった。その場は凍り付いた空気が流れ、従者も騎士達も自分の命は今日までだと覚悟する。
朝から慌てふためいていた者達に、午前中を使って昨夜の事とイセルブルーの事件について説明をしたキアローナ姉弟。泣き崩れる者や自害を望む者が現れたことにより説明は困難を有したが、今の所は誰の首も切らせていない。
警備騎士達にはロシュラニオンから「危機察知能力が足りない」と言葉はあったが、流石の総騎士団長も強いことは言えなかった。一歩間違えれば発狂しそうな騎士達の不安と後悔と罪の意識を作り上げたのは、紛れもなく自分達の姿なのだから。
「……スノー」
「おかえりなさいませ、ザルドクス王」
「……ロシュ?」
「おかえりなさいませ、フィラム王妃」
事態が飲み込めていない様子のザルドクスとフィラム。ランスノークとロシュラニオンは身に沁みついた礼で二人に頭を下げ、口火を切ったのは聡明な王女だった。
「長期のご公務でお疲れとは存じておりますが、お話したいことがございます。お時間をいただくことは可能でしょうか?」
「あぁ、勿論だ」
「ありがとうございます」
ザルドクスは頷き周囲を見ようとする。しかし騎士達に向きかけた視線はロシュラニオンの剣が遮り、王は息子に視線を戻していた。
「この右目についてでしたら、騎士も従者も責められる道理はありません。故にどうか、家族で話す時間を頂きたいと考えます」
ロシュラニオンの左目がザルドクスの双眼と視線を交える。フィラムは静かに王の袖を引き、ザルドクスは頷いた。
* * *
いつかクラウンが言っていたように、ランスノークはお茶を淹れることを得意としている。ロシュラニオンが花を育てることを得意とした頃に、自分も何か人を笑顔に出来る得意を探した結果だ。
キアローナ家族がついたのは温室と続いているティールーム。ランスノークが淹れた紅茶の香りはフィラムの心を落ち着かせ、ザルドクスは静かに子ども達を見つめていた。
ランスノークとロシュラニオンが語った事はザルドクスとフィラムにとっては寝耳に水であったが。王も王妃も最後まで口を開くことをせず、感情も読み取らせない表情で子ども達の声を聞いていた。
「――報告は以上です」
ランスノークはそう話を締め括る。嘘偽りなく、リオリスが犯人であり、レキナリスが自殺未遂の道を選び、目覚めさせる我儘の為に右目を姉弟揃って差し出したのだと。
ティールームに落ちる沈黙は重かった。陽光がふんだんに射し込む造りであっても空気は晴れず、ランスノークもロシュラニオンも背筋を伸ばし続けている。
両親は目を伏せて子ども達の話を脳内で
「リオリスとレキナリスは無事、目覚めたのですね」
「はい。レキナリスは声を失い、腕に軽度の痺れを残した状態です」
「リオリスは軽く平衡感覚に麻痺が見られ、色覚を失っています」
ランスノークとロシュラニオンは視線を下げることなく告げる。
レキナリスは声が出せなくなっても笑っていた。王女の腕を取った手には上手く力を入れられないようで、微かに震えが残っていたとランスノークは覚えている。テントで筆談をした時も文字が震えたとはまだ知らないが。
後遺症についても団員達に説明しただろうと王女は思いながら、それで彼の幸せは成されるだろうかと危惧している。
――レキナリスの心臓は、無事リオリスの導きによって治された。
その時にリオリスはレキナリスの声や手についても望みかけたが、青年自身が許さなかったのだ。元々心臓を治すことにも煮え切らなったレキナリスは声と手については断固拒否を示したのだ。
その意思の固さに負けたリオリスは兄の病が治る導きをした。一夜にして四人の目を抉ったミールの心労は他者の想像の中には収まらない。
誓いによりレキナリスとの兄弟関係に終止符を打ったリオリスは、片足立ち等でバランスを取ることに困難があり、色を判断する力もなくなった。彼の世界は墨が落ちたようなモノクロと化しており、だからこそ夜に溶け込んだミールを見つけられなかったのだ。
彼の世界は光りがないと黒に染まる。ロシュラニオンは、淡々と報告していたリオリスが笑ったことを思い出していた。
――これがいいよ。俺はもう、夜を歩けなくていい
夜の闇の中で家族の記憶を奪い、王子の記憶を再び狙ったリオリス。ロシュラニオンは、クラウンに手を引かれてテントに向かった少年に何も言いはしなかった。
フィラムは子ども達からの返事に息を詰め、深く息を吐いている。それはため息ではなく、自分に冷静さを纏わせる為のものだ。
「……信頼していた」
ぽつりと、ザルドクスの声が零れる。ランスノーク達の視線は王に向かい、ザルドクスは肩から力を抜いていた。
「リオリスのことを私は信頼していた。私だけではない。フィラムも、騎士も、従者達もだ」
ザルドクスの言葉に怒りは見られない。責める色も滲んでいない。感じられたのは哀愁のような空気であり、ロシュラニオンは眉間から力を抜いていた。
「それでも、あの子は信頼してくれていなかったのだな」
自嘲気味に王は笑ってしまう。娘が淹れた紅茶を見る目は穏やかで、空気はやはり寂しげだ。
「……サーカス団は私にとって特別なんだ。もちろん我が国の多くの貿易団は皆よく働いてくれている。その筆頭としてレットモルの貿易の大きな血管となってくれているのがサーカス団だ。だが、それだけではない」
ザルドクスは王冠を机に置いて息を吐く。フィラムも王妃のネックレスを机に置き、二人は椅子の背もたれに体重を軽くかけていた。
それは一種の線引きである。王冠無き王は父であると同時に一人のキノに。象徴を外した王妃もまた母であると同時に一人のキノに。
部屋に蔓延していた緊張の糸は二人の行為によって
席についているのは父と母と、娘と息子。その関係を四人は理解し、ザルドクスは続けていた。
「団長のガラがいるだろう。彼は私の弟のような立場でね……幼少期から城で共に過ごし、育ってきたんだ」
ザルドクスが思い出すのは、王子だった自分と学び、鍛え、遊んでいた一人の少年。ガラは貿易の勉強を熱心にしており、成長すれば貿易団に在籍するようになっていた。
「彼が初めて家族だと紹介してくれたのがミールとフィカ、リューン、それにベレスだった。最初はサーカスをしながらの貿易だなんて負担が大きいと驚いたが、ガラはどうしても意見を変えてはくれなかったよ」
――ガラ! サーカスって、お前何か芸が出来たか!?
――これから練習するんだよ! 見てろよドク! 俺は商品だけじゃなく、笑顔も運ぶ貿易団を作ってやるから!
まだまだ若かった二人。ザルドクスはサーカスと貿易の両立に渋ったが、どちらも成功させると豪語したのがガラだった。そして彼の言葉通り、サーカス団はどの貿易団よりも良い品を安全に、的確に集めてレットモルに貢献してきた。
ガラが多くの国と繋がりを持てばサーカス団の人数も増えていった。その一人一人を自慢げに紹介してくれるガラを見る度に、ザルドクスとフィラムの心も温まったのだ。
「団員達の種族は確かにバラバラだ。それでも、彼らは確かに家族だ。幸せな、ね。だからこそ彼らの演目は我々に笑顔を与えてくれる。そんなサーカス団を作り上げているガラが私は誇らしかったし、彼が家族だと紹介してくれた団員達は、私にとっても家族に等しいんだ」
――ザルドクス、フィラム。この子はアスライト。俺の新しい家族だよ
――よろしくアスライト、私はザルドクス。君がこのレットモルで幸せに暮らしてくれるよう努めるよ
――よろしくねアスライト、私はフィラム。王と共に、貴方が健やかに育てる国であるよう努めるわ
思い出したのはガラの服の裾に隠れ、目深にフードを被っていた青い少女。周囲を警戒する青い双眼は酷く怯えていたとザルドクスは覚えており、フィラムが伸ばした手から逃げ出したのも記憶している。慌てたガラと謝るフィラムに少女が泣き出したのも、今となれば思い出だろう。
バラバラな団員達がそれぞれに傷を負っているとも、ザルドクスは知っていた。フィラムも理解していた。だからこそ、ガラが連れてくる家族はレットモルの民として、幸せで健やかにあってほしかったのだ。
二人の前に緑の少年達が連れて来られた日。痩せ細った二人は不安そうに黄金の瞳を揺らし、レキナリスがリオリスを守るように背中に隠していた姿が印象的だ。
――はじめまして、レキナリス、リオリス
――ようこそ、レットモルへ
そう声をかけて握手をした少年達はぎこちなく頷くだけだった。他者の温かさに戸惑い、求めているのに恐れるような目。
ザルドクスとフィラムが並ぶ姿を見て、リオリスが泣き出しそうな顔をしていたとも気づきながら。抱き締めようと伸ばした手から逃げてしまった二人は、それでもやはり寂しかったのだろう。
そんな三人と自分の子ども達が仲良くなってくれたことが、両親はとても嬉しかった。本当に嬉しかった。泣いてしまうほど――幸せだった。
不安そうだった子ども達の笑い声が響く毎日が愛おしくて、この日々を守らねばいけないと誓っていた筈なのに。
「ガラは私の家族同然だから、彼が家族だと言ってくれた団員達を特別視してしまった。贔屓目と言うやつだな。レットモルの生まれではなく、キノでもないのに国に貢献してくれる姿に感謝して。他国に出向いた時にサーカス団が褒められた時は我が事のようにフィラムと喜んで。ガラが団員達を誇りに思うように、私達にとっても誇りだった」
父は、中庭から笑い声が無くなった日を覚えている。
青い眼球が握り潰された日を覚えている。
あの時の副団長の表情を、アスライトへの配慮が欠けていた事を、少女が努めて笑ってくれた姿を。
青い髪が見られなくなった日を、彼らは覚えている。
緑の兄が繭に籠って姿を現さなくなったことも、緑の弟が穏やかにしか笑わなくなったことも。全て気づいて覚えているのに。
「あの子達が言う「大丈夫」を信じてしまった自分の、なんと愚かな事だろう」
ザルドクスは静かに立ち上がり、ロシュラニオンの右頬を撫でる。眼帯の縁を撫でる節くれだった手は、微かに震えていた。
フィラムは
「ランスノーク、ロシュラニオン。大切な民を救ってくれたお前達を――私は誇りに思う」
娘の目が見開かれる。息子の肩が揺れる。
「ロシュ、スノー。大きな決断をした貴方達を――私は立派だと思うわ」
母は愛情深く姉を抱擁し、父は慈しみを持って弟の髪を撫でてやる。
ランスノークの呼吸は少しだけ早くなり、ロシュラニオンは唇を固く結んでいた。
「……叱られると、思っていたわ」
震えそうな声を抑えたランスノーク。彼女は母の背に手を回し、フィラムは悲しそうに笑った。
「これから国を背負う子が右目を無くしてって? 後先考えず進みすぎですって? 異変があると気づいていたなら、従者の方や騎士の方に事前に相談なさいって?」
「そう。とても叱られる気持ちでいたわ。導きを願ったのは私の我儘で、その場の勢いもあったことも否定は出来ないし」
「もちろん叱りたかったわ。自分の子が片目を、自分の意思で差し出したなんて……」
フィラムの頬を涙が流れていく。ランスノークは肩越しにそれを感じており、「それでもね」と言うフィラムの声は震えていた。
「貴方達はもう、自分の行いは我儘で正しくなかったと言い聞かせているもの。どういう結果を選んだのか理解しているのもの。その上から叱っても、貴方達が抱えているものを重くするだけだわ」
「……お母様」
「だからスノー、ロシュ。知っていて。貴方達がしたことは、大切な民を救った立派なことなのだと。自分の行いを分かっている貴方達を私達は叱れないと。ただ、ただやっぱり――親として、つらく悲しいと思ってしまうことは、許してね」
フィラムは泣きながら笑ってしまう。ランスノークの髪を愛おしそうに撫でながら。ザルドクスがロシュラニオンの頭を撫でてくれていると確認しながら。
ランスノークの視界が滲んでしまう。ロシュラニオンは奥歯を噛み締め、自分の頭が父の肩口に誘導される事に黙って従った。
ザルドクスが思い出してしまったのは、アスライトに連れられて城に戻って来たロシュラニオンの姿。一人城を抜け出した小さな我が子。
――ねぇねぇ王様、王妃様、ラニね、迷惑かけてごめんなさいって私の前でも泣いたの。自分で自分の事叱ってたよ
浮かんだ少女の声と、今のロシュラニオンの姿を重ねてしまう。
「お前は、自分の事を叱っているんだろう」
ザルドクスは仕方が無さそうに笑ってしまう。ロシュラニオンは深呼吸をし、膝の上で手を握り締めている。
「俺は、リオリスを殺そうと思っていました。殺して、許す為に。クラウンに家族を殺させないように。けれどもレキナリスの覚悟が俺の覚悟よりも強かった。だから二人に自殺未遂のことをさせてしまった。この右目は、自分への戒めの意味を込めています」
父は息子の言葉を受け止める。総騎士団長の肩書を持った息子を誇らしく思うと同時に、彼もまた自分を頼ってくれることなく進んでいたのだと知りながら。
「お前自身も、殺す覚悟などしなくていい。殺して背負って欲しくなどないよ。リオリスは誰にも相談出来ないまま背負ってしまった。レキナリスは誰にも打ち明けられなくて背負ってしまった。クラウンもそうだ。お前達はみんな、自分を嫌って、大人に頼れないまま背負ってきたのだから」
「……父、上」
「謝るのは我々の方だ。責められるべきは気付けなかった私達だ。お前達が傷つかねばいけない道を歩ませてしまった。ロシュとスノーが決めてくれなければ、ミールが聞き入れてくれなければ、私達は大切な者を二人も失っていたのだから――民を救うと決めてくれて、ありがとう」
ロシュラニオンは奥歯を噛み、ザルドクスは息子の背中を軽く叩く。
「……リオリスについて……何か、処分をされるのですか」
ロシュラニオンの問いにザルドクスは目を伏せ、静かに息子の頭を叩くだけする。
ランスノークを離したフィラムは涙を拭い、二人は王と王妃の象徴を付け直していた。
その時ノックが聞こえるから。
入室したニアは一礼し、全サーカス団員が城を訪れていると伝える。
ザルドクスとフィラムは頷き、ランスノークとロシュラニオンも立ち上がった。
ニアはキアローナ姉弟を見て微かに悲痛の色を見せる。腰を折ることによって表情を隠した執事長の肩を王は軽く叩き、王妃と共にティールームを後にした。
「ニア、貴方達のせいではないの」
「これは俺達の我儘だ」
「ですが、」
顔を上げたニアに、姉弟は微笑んで行ってしまう。執事はその表情に何も言えず、再び腰を深く折ったのだ。
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