第42話 許すと言う呪い
――許されることなど兄弟は望んでいない
それは誰もが分かっていることだ。死を選んだ覚悟を砕いて欲しくはない。兄と共に眠ることが出来た幸福を覚まして欲しくない。そう兄弟が願っていても、受け入れられない友達がいるから。
クラウンは勢いよく剣を打ち合わせる。深呼吸をした道化師は霜を纏った繭と対峙し、ミールはガラの赤い眼球を握っていた。
「……起きた二人がどう言った状況であるか、それは私にも分かりません」
副団長はキアローナ姉弟に背中を向け、最期の念押しをしておく。ランスノークは微笑みを浮かべ、ロシュラニオンは剣の持ち手に腕を置いていた。
「私達の行いは自己満足ですもの」
「頼む」
嘴を閉じたミールを見てクラウンは繭に近づく。両手の剣を回した道化師は研いだ刃を上げていた。月光を反射して、持ち手を固く握り締めて。
「まずは、二人からイセルブルーを剥がすんだよね」
「……あぁ、補助を頼むよ」
「任せて」
ミールは繭にギリギリ触れない距離で手の中を見下ろす。
握るのは共にサーカス団を支えてきた者の片目。それを糧にして、ミールはガラの導きを叶えるのだ。
――俺は、二人がイセルブルーから解放されることを願うよ。ミール
そう言った泣いていたガラ・テンティア。
クラウンは呼吸を整え、一息の間に繭を切り裂いていく。
いつものパラメルの糸であれば斬れなかったもの。それでも今は霜が降りて凍り付いているから。固く弾力性のない繭など花を
現れたのは全身が凍り付いた兄弟。
クラウンは剣を振り、ベッドのように残した繭に倒れた二人を見つめている。
ミールは黒い翼で宙を舞い、二人の上で赤の眼球を握り締めた。
「ガラ・テンティアの覚悟を受け、リオリスとレキナリスをイセルブルーから自由にする為に導こう」
副団長の金色の瞳は輝き、黒い手は赤い眼球を握り潰す。
滴る赤はあの日ランスノークから隠された色。王妃の指の間から、王の手の間から覗くことしか出来なかった色。
血液はイセルブルーに当たる前に輝く粒となり、
それは夜の闇の中、酷く温かく燃え盛る。
「イセルブルー、どうか二人を自由にしておくれ」
ミールの掌が
赤い炎は力強く
砕ける
ミールは直ぐに瓶にイセルブルーを入れて根は下ろされずに終わる。
それに安堵する前にロシュラニオンは小瓶を投げ渡し、自分の右の眼球を手放した。
ミールはそれを受け取り、ランスノークも瓶を投げ渡す。掴んだ副団長は息を一度だけ吐き、ロシュラニオンの赤い眼球を掴み出した。
肌も内臓も凍り付いたままの兄弟へ。目覚めさせられると言う我儘の元で。許されると言う
ミールは新緑の瞳も掴み、震える手で握り締めた。
「ロシュラニオン・キアローナの覚悟を受け、リオリスとレキナリスの氷が溶けるように導こう」
赤い瞳が握り潰される。
「ランスノーク・キアローナの覚悟を受け、リオリスとレキナリスの傷が癒えるように導こう」
新緑の瞳が握り潰される。
輝きは兄弟の氷に触れ、赤い炎と新緑の炎が交じり合う。それは穏やかに燃え盛り、氷が溶けた二人の傷が幻想のように塞がれていくのだ。
貫かれた肌が。食い荒らされた内臓が。凍り付いていた肺が――凍結されていた心臓が。
氷が溶けて熱を帯びる。傷が癒えて血液が巡る。寒さが遠のき温かさに包まれる。
瞬間――リオリスが、咳き込んだから。
クラウンはランスノークを抱え、ロシュラニオンと共に繭に飛び乗る。
ミールは赤と新緑の炎が弾ける様を見届けて、静かに繭の外へと降りたのだ。
深く
「リオ、おい!」
「レキ、聞こえる?」
クラウンは見る。焦点が合っていなかった黄金に光が戻り始める様を。
ランスノークは気づく。吐血が止まった友の顔が上がる様を。
「ぁ、す、らいと……」
そう言って、ゆっくり道化師の裾を握る手があるから。
王女の頬を撫でた青年がいるから。
我儘を願った三人は――泣いたのだ。
残された左目で。捧げた右目の事など思わずに。目覚めた二人に確かに喜んで。
「リオの馬鹿野郎!!」
「いッ!!」
クラウンの平手がリオリスの顔に入り、少年は目を白黒させている。そんな彼を置いて道化師は抱き着き、唇を噛み締めて泣いたのだ。
「……待って、アス……クラウン、ねぇ、何したの。何で俺、起きたの」
リオリスの目が動き、右目にハンカチを巻いているロシュラニオンで視線が止まる。その瞬間、団員の体からは血の気が引き、起き上がった兄よりも王子を凝視したのだ。涙の筋を指先で拭った、襲うと決めていた王子を。
「ま、て……まさか君達……導き、を……」
「あぁ、そうだな」
「ッ、副団長!」
振り返ったリオリスは黒いフードに隠れたミールを探す。月光の中に溶け込むような副団長を。彼を緑の団員は見つけられず、クラウン達は違和感を覚えたのだ。
「貴方が、俺達を導いたんですか」
「我儘な姉弟に頼まれてね」
「ッ、どうして!」
「私が喋るのはここまでだ」
ミールは黙り、リオリスはまだ副団長を見つけられない。クラウンは違和感を口にしないまま、リオリスの首に抱き着き続けた。
リオリスの体から力が抜けていき、恐る恐る道化師の背中に手が回る。その手は微かに震えており、クラウンの首筋にリオリスは顔を埋めていた。凍り付いた自分が温かいことを理解しながら。イセルブルーに貫かれた傷も、兄に刺された傷も治っていることを理解しながら。
「わざわざ起こして、殺すつもり? 自分の手で殺せないのがそんなに憎かった? なら殺せよ、さっさと、早く、今すぐにッ」
「違うよ、リオ」
「お前を許す為に目覚めさせたんだ」
リオリスの顔が弾かれるように上がる。近づいていたロシュラニオンは息を止め、勢いよくリオリスの頭を引き寄せた。
二人の額が低い音を立ててぶつかり合う。余りの勢いにリオリスの目が回る。少年は道化師に
「一度死んだ者を再び殺すほど腐っていない」
「何、言って、」
「死んだから許す。お前が俺にしたことも、クラウンを泣かせたことも」
クラウンはリオリスが緊張したのを感じながら抱き締める。団員は体を震わせ、道化の背中と自分の頭を抱えてしまっていた。
「許すってなんだよ。誰が許して欲しいなんて言ったよッ、兄さんと眠った最期を起こしてまで、誰が、なんで、なんで……ッ」
リオリスの両目から涙が零れ落ちる。奥歯を噛み締めて、緑の髪を掻き毟って。
クラウンはリオリスの背中を叩き、少年の首筋に顔を埋めていた。
「全部私達の我儘だよ。君を殺したかった。殺したいほど恨んでた。殺した先で許したかった。でも、君は自分で死を受け入れたんだ。私達が殺すことを許してはくれなかった」
「それは、ッ」
「屁理屈だよ。それでいい。それでいいから、リオ……一回死んだんだから、許させろ」
リオリスはクラウンに縋りつく。縋って泣いて、返事をせずに泣き続けた。
少年は許されたかったわけではなかったのに。兄を想って、友も家族も裏切る覚悟をしたのに。
「殺された方が、マシだ……死んだ方がましだよ……ゆるされるなんて、くるしくて……堪らないじゃないかぁ、ぁ……」
泣きながらリオリスは訴える。クラウンを抱き締めて咽び泣く。
道化師は息を吐くと、あやすように団員の背中を叩いていた。
「なおさら許したくなる言葉だね。許した方が君が苦しむなら、私もロシュラニオン様も、喜んで君を許し続けるさ」
リオリスは唇を血が出るほど噛み締めて、ロシュラニオンは息を吐きながら緑の髪に額を寄せる。
この泣きじゃくる少年が八年前の事件の犯人だったと知っても、誰も責めないのだろうと思いながら。
八年前は八年前だ。体の一部が凍った者は城の中にいるが、彼らは全員それを受け止めて生きている。受け入れて今日を歩んでいる。街に被害が行く前にリオリスは種を回収し、民に残ったのは平和は永遠ではないと言う教訓だけだ。
ならば今更リオリスを吊るし上げても意味はないだろう。
「団長に拳骨でも貰うんだな」
ロシュラニオンはリオリスの背中を叩き、クラウンは笑っている。リオリスは泣き続け、兄は弟を見つめていた。
「……怒ってる? レキ」
ランスノークはレキナリスの顔を覗き込む。青年は顔を上げると、唇を結んで王女の右目の布を撫でていた。
労わるように、震える指先で。奥歯を噛み締めて。
体に力を入れた青年は、力強く王女を抱き締めた。
そこでランスノークは違和感に気付く。リオリス以上に分かりやすかったレキナリスの変化。覚悟していた筈の違い。
王女は唇を軽く結んだ後、穏やかに努めながら確認した。
「レキ、貴方――声が、出せないの?」
その言葉にリオリス達の顔が勢いよく上がる。
レキナリスは肩を揺らし、王女の顔を覗き込んだ。
開けられた口からは――何も出ない。
彼の柔らかな声が出てこない。ただ空気が吸って吐かれる音だけがして、ランスノークの手が震えた。
「……ミール・ヴェール」
ランスノークは副団長を呼ぶ。視線が交わった銀の瞳は伏せられ、新緑の左目は悔し気に伏せられた。
「……言った筈です、王女様。瀕死と死の曖昧な状態で貴方の夢は無事に成し遂げられた。けれども私の仮定もまた当たった――彼らは死に片足を浸けていた」
ランスノークの手が恐る恐るレキナリスの喉に触れる。そこに、目に見える傷は残っていない。
「
レキナリスは自分の喉に触れ、指先に残る痺れや喉の違和感に気付いている。
リオリスは自分の目の下を撫で、震えた足を受け入れるのだ。
「……全部綺麗に蘇生されました。なんて、都合が良すぎるってもんだよ」
リオリスは
ランスノークは脱力し、レキナリスの背中に手を回す。青年は穏やかに王女の背中を撫でて呼吸した。
「レキ、ごめんね、我儘を言ったの。燃えたり出血多量で死んだわけではない貴方達は、氷漬けになった貴方達ならば、希望を持てると思ったの」
レキナリスはランスノークの金糸の髪を撫でる。
瀕死だった彼らの体は無事癒えた。だが、氷が侵食していたことに変わりはない。無呼吸状態であった中で脳などの繊細な器官に影響が残らない筈もなかった。傷は癒えても、障害は変化として治りはしなかった。
「もっと早く導けば間に合った? それも意味は無かった? あぁ、ごめんなさい……全て言い訳になるわ」
それでも、ランスノーク達が起こしたのは確かにレキナリスとリオリスだ。
まだ心は死んでいなかった。体も完全に機能を停止してはいなかった。だから二人は二人として起きることが出来たのだ。
「……まだ、考えてた導きが一つある」
そう零したのはクラウンで、キアローナ姉弟とてそれを忘れていたわけではない。
ミールも覚えていたからこそ立ち去ることはせず、パラメルの兄弟は顔を上げたのだ。
「レキの心臓に、病気が治るように導きをしようって話さ」
クラウンは肩を竦めてリオリスの目が見開かれる。レキナリスの肩は震えて、それを撫で摩ったのはランスノークだ。
レキナリスは左胸を押さえて口を結ぶ。ロシュラニオンは自分の左目の下を撫でてミールに顔を向けた。
だが、王子より早く口を開いたのは道化師だ。
「待った、ロシュラニオン。今度こそ私の番だ。王子が両目喪失とか断固反対」
「お前の方こそ両目が無くなったらサーカスや貿易、付き人業務に支障が出るだろ。引退など許さんぞ」
「付き人と主を天秤にかけたら付き人が差し出すに決まってんだろうが!」
「天秤にかけて良い関係などこの世に存在すると思うなよ」
「ちょっと、言い出したのは私なのだから。私抜きで話を進めることは許しません!」
「スノーはマジで駄目却下お口チャック!!」
「姉さんはもう話に混ざらないでください」
「ちょっと何でよ!!」
騒ぐ右目を失った三人にミールは深く息を吐く。
この子ども達は常にそうだ。誰かの為に、君の為に、貴方の為に。誰一人として自分の為にと叫ばないから
自分のことは二の次で、利益や損得など眼中にない。
だから二人を起こすと言う我儘を突き通すし、殺したいけど許したいと言う表裏一体の感情すらも成立させる。
彼らは子どもだ。暴れ回るような子ども。我儘ばかりの子ども。自分の幸せより他者の幸せを望む馬鹿な子ども。
無くすことを恐れもせずに、自分が求めることを手に入れる為に捧げる。
愚かで、無知で、傲慢で――それでも愛しい子ども達。
「ねぇ、まずなんで兄さんを助ける役が俺じゃないの」
そう言ったのは、やっぱりどうして頑固な子ども。
兄の為にだけを考えて、兄の為にと友を裏切り、兄と共に死にたかった寂しがり屋の弟。
リオリスはクラウンの背中を叩き、ロシュラニオンの肩を殴り、未だに見つけられていないミールに言った。
「俺がやるよ。それで兄さんが助かるなら。ロシュの記憶を奪うのも、もう無理そうだし」
その言葉を聞いて暴れ出したかったのはレキナリス。ランスノークは勢いよく青年にしがみつき、顔を見合わせたクラウンとロシュラニオンは兄を押さえつけに行った。
「落ち着きなさいレキナリス。間違えてた貴方の弟が八年越しの回答を導き出したのだから」
「これを正答だとは言わないがな」
「右目でお揃いだぜー、リオ」
「分かってるー」
大きく口を開けても、掠れた声も出せないレキナリス。リオリスは先に兄の方へ歩み寄り、覚束ない足取りで四人の輪に倒れこんだ。
少年を抱き留めた道化師と王子は息を吐き、そのまま五人は繭のベッドに倒れこむ。暴れ出しそうなレキナリスを押さえつけて、全てどうでもよくなったリオリスを笑いながら。
「……俺、パラメルとして間違ったことしたとは思ってないから」
リオリスはロシュラニオンの頭を何度も叩き、王子は息を吐いている。
「そうだな」
「……それに、レキ兄が恋の記憶を受け取ってくれなかったの。結構根に持ってもいるんだ」
ロシュラニオンに頭を撫でられるリオリスは、レキナリスを見上げる。兄は目を見開くと歯痒そうに顔を歪めていた。
「だから、今度こそ受け取ってよ――お願いだから」
リオリスは目を閉じてレキナリスの頬を軽く叩く。兄は全身から脱力し、やはり早く早く動く心臓を恨めしく思っていた。
レキナリスは腕を伸ばし、リオリスの額を思い切り叩く。その衝撃に弟は目を見開き――泣き出しそうな顔で笑った。
声を出して笑い始めたリオリス。それに釣られて笑ったのはランスノークであり、クラウンも肩を揺らして団員に腕を回していた。
道化師は手招きして、呼ばれたロシュラニオンも仕方が無さそうに笑ってしまう。その手は泣き出しても笑い続けるリオリスを抱き締め、最期に笑いだしたのはレキナリスだった。
泣きながら笑うパラメルの兄弟。笑いながら泣いてしまう寂しがり屋の兄弟。
死んだ方がマシだと思ったのに。もう戻れないと思っていたのに。
右目を差し出すだとか、許すだとか幸せだとか。そんな事ばかり話して、怒って、泣いて、後悔して。
(あぁ――あの頃のままじゃないか)
レキナリスは唇を震わせながら必死に笑う。
いつかの晴れた日に、五人で遊びを決めていた頃のように。手を繋いで作戦会議をしていたあの日々のように。
澄んだ月光の下で。彼らはお互いを抱き締めて、泣きながら笑っているのだから。
「さぁ――導きたいならば、目を差し出して、己に誓え」
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