第35話 培ってきた戦い方

 

 月光に照らされた剣先がリオリスに向けられている。


 パラメルの少年は目を細め、目尻を流れた血液を床に拭い捨てた。


 汚れた手の甲を一瞥いちべつしたリオリスは、眠りの香りが充満する部屋に立つ王子に視線を戻す。王子の口元を隠す面は微笑みを浮かべているが、赤い双眼は笑ってなどいない。その異質さにリオリスは笑ってしまい、指先からは糸を零し続けた。


「ロシュに面は似合わないね」


「自分でもそう思う」


 ロシュラニオンは息を吐いて答えるが、それで緊張がほぐれる筈もない。彼は団員から目を逸らすことなく、凍てついた空気が発せられていた。


「お前は、笑った仮面がよく似合う」


「ありがとう。ねぇ、なんでそれ付けてたの?」


「お前が来ると踏んでの予防だ」


 笑うリオリスは、笑わないロシュラニオンに問いかける。王子は当たり前の如く返答し、剣を下ろすことは無かった。


「襲いに来る時、もう一度イセルブルーを使うとは思っていなかった。そして、俺の動きを封じる手立てとお前とを関連付けるとネアシスが浮かんだ。それだけだ。お前がネアシスを摘んでいる姿を見たとクラウンも報告してくれたしな」


「わぁ、予感的中だね。その言い方だと俺が犯人だって分かってたらしいし」


「そうだな」


「なんでかなー、ロシュにはバレてないと思ったのに」


「白々しい」


 ロシュラニオンの瞳に嫌悪が浮かぶ。冷たい赤目はリオリスを射抜き、黄金の瞳は柔く弧を描いていた。


「副団長の図鑑で知ったってわけでも無いよね? 俺の種族が載ってる筈ないから」


「載っていないからだ」


 王子の声に団員は暫し思案する。ロシュラニオンはそれを待つことなく、半分に割って付けた面に触れていた。


「図鑑には記憶を奪う種族もなければ、黄金の瞳と糸を操る種族も載っていなかった」


「それだけ? 書き漏れただけかもしれないのに」


「他の図鑑にもいなかった。お前とレキナリスを表す種族は、何処にもな。まず俺はお前達の種族を知らない。姉さんやニアに聞いてもそうだ。クラウンが頭痛を覚えるのとも合わせれば、お前が怪しくもなるだろう」


「あぁ、そっかぁ、そうだよねぇ」


 リオリスは笑う。いつも通り、何の変わりも無く平然と。悪びれなく、悪意なく。


「駄目だなぁ。クラウンの時もそうだったけど、誰も知らないって言うのは問題なんだね。明日からの課題にするよ」


「そうしておけ」


 ロシュラニオンの目に怒りが浮かび、溶けている。リオリスはそれを見つけ、笑い続けているのだ。


「ロシュ、怒ってる? 八年前はごめんね、俺も必死でさ。今日もそうなんだけど」


「許されたいか?」


「別に? 君には悪いと思うけど、間違ったことをしてるとは思ってないから」


「――クラウンにも同じことが言えるか」


 地を這う声がリオリスに絡んでいく。突き刺すのではなく、背中に伸し掛かるような声が。


 リオリスは目を細め、あっけらかんと答えていた。


「言えるよ。あぁ、もしかしてロシュ、クラウンの記憶を消したことを怒ってるの?」


 ロシュラニオンの眉間に皺が寄っていく。それでも剣先はぶれず、冷えた緊張感が部屋に充満していった。


 緊張感に肌を撫でられるリオリスは、糸を床に這わせている。ゆっくりと、殺気すら滲ませずに。機会を伺って、伺って、伺って。


「アイツがどんな思いで家族を疑ったと思う」


 ロシュラニオンは覚えている。雨の音を聞きながら、信じたくない仮定を築いた付き人を。


「この八年間、何を思って仮面を付けていたと思う」


 彼は犯人だけを責めてはいない。その声はリオリスと、己に向けられているのだから。弱くすがり続けた自分自身に。


「どれ程の覚悟で、自分を殺したと思う」


 彼の怒りは酷く静かだ。クラウンのように煮えることはない。自分を凍てつかせ、嫌悪する冷たい怒り。弱かった自分と元凶たる犯人に向けて。


 対峙している二人は既に付き人と主ではない。団員と王子でもない。友達だなんて、以ての外。


 二人の目が言っている。相手に向かって凍てついている。


 黄金の瞳は笑うように細められて。大切な者の為に奪うと決めたものを求めて。


 赤の瞳は揺るがず相手を見据えて。想う者が泣かない為に剣を取って。


 張り詰めた空気の中、二人はそれでも静かな部分を持っている。


 静かに相手を見つめて、静かに勝つ為の道を考えて。


 リオリスは、ロシュラニオンの言葉を嘲笑あざわらった。


「俺の気持ちだって、知らないくせに」


 瞬間。


 緊張の糸が切れる。


 白い糸が床から勢いよく王子に伸びる。


 王子は太ももに付けているホルスターから短剣を抜き、床を勢いよく蹴った。体勢を低くしながら糸の束をかわした彼は、最小の動作で団員に向かって短剣を投げ放つ。


 リオリスはほぼ反射的に刃を掴んで受け止めた。糸で固められた掌は鎧を纏っているようであり、その間にロシュラニオンは壁を蹴っている。


 パラメルは王子に向かって短剣を投げ返す。体の横に剣を添わせていたロシュラニオンは、顔を少しだけ動かして刃を躱した。それが当たるなどと元より考えていなかったリオリスは素早くロシュラニオンの剣を躱している。


 研がれた剣先が緑の毛先を斬りつけた。リオリスは奥歯を噛み、より後ろに距離を取らざるを得ない。王子は直ぐに剣を体の横に戻し、団員を追うように大きく足を踏み出した。


 ロシュラニオンは無駄が削がれた戦い方をする。剣を抜く時も、斬りつける時も、常に最小の動きで最短の道を辿り、容赦も躊躇ちゅうちょも無く、何処にも隙などありはしない。隙がある動きなど彼自身が許さない。


 だからこそ少年は総騎士団長になり、狂戦士ベルセルクの名を冠したのだ。


 リオリスは体の前で両腕を交差させる。ロシュラニオンはその腕を斬り飛ばす覚悟で剣を体から離していた。


 真一文字の軌道を剣が辿る。リオリスはその軌道が変えられないと判断出来た瞬間、両腕に糸を纏った。


 リオリスはロシュラニオンが微かに目を見開く姿を凝視する。団員は剣を受け止め、糸で絡めとることに自信があった。パラメルの糸は寄り集まるほど強固になるから。


 だからこそリオリスは、王子が剣を持つ右腕を殴った姿に驚かされるのだ。


 王子は迷いなく、軌道を変えられない右腕を左腕で殴る。無理矢理動きを変えさせる為に。リオリスの腕ではなく、顔を斬りつける軌道にする為に。


 リオリスは脊髄反射で右足を後ろに大きく引く。その勢いで上体を後ろへ反らし、自分の目の前を過ぎ去った剣先を見ていた。


 ロシュラニオンは奥歯を噛み、リオリスは後方に両手を着く。その反動で鋭く振り上げられた足は王子の顎を狙うのだ。


 足を踏み込んでいるロシュラニオンはそれを躱せない。躱せる体勢ではない。


 それでも、どうやって避けるかは知っていた。避ける方法を知っていた。


 リオリスの蹴りは、道化師のそれと似ていたから。


 八年間、自分の稽古の相手をしていた付き人達の動きだから。


 ロシュラニオンは眉間に皺を寄せながら、腰から抜いた鞘でリオリスの踵を殴り上げる。それによって蹴りの勢いは増し、王子に当たるより先に顔の前を通過した。


 リオリスは舌打ちし、逆立ちした両腕に力を込める。ロシュラニオンはすぐさま剣を持ち直し、再度真横に振り抜いた。


 同時に、リオリスは膝とひじを曲げて体を縮める。日々の稽古で培われた体感は流石の一言に尽きる動きであり、ロシュラニオンは何も無くなった宙を斬ってしまうのだ。


 王子は即座に体の横に剣を戻す。


 団員は左腕だけで体を支え、右腕を勢いよく振り抜いた。


 自分に向かう糸を見たロシュラニオンは、扉を蹴破って廊下に飛び出す。


 リオリスは天井に張り付いた糸を直ぐに剥がし、床に足を着いた。


 黄金の瞳と赤い瞳は交わり、静寂に包まれた城内に王子は顔をしかめてしまう。


「……警備の見直しが必要だな」


「これから忘れちゃうのに?」


 リオリスが笑い、ロシュラニオンに向かって五指を向ける。そこから伸びる糸を躱した王子の後ろでは、窓硝子が割れる音が響いた。


 城中に蔓延まんえんしている眠りの香り。それは窓の外へも流れ出て、ロシュラニオンは仮面に指先で触った。


「外の騎士も眠っているのか」


「まぁね。俺だから騎士のみんなも警戒しなかったんだぁ。あ、眠らせた記憶も抜いてあるから大丈夫だよ」


(何が大丈夫だ)


 ロシュラニオンは眉間に皺を寄せ、廊下に散らばった硝子片を見る。それらが反射する月光が動いたと思った王子は、細く白い糸を見たのだ。


 硝子片が浮かび、ロシュラニオンに叩きつけられる。


 王子は剣でそれらを弾き返すが、砕けた硝子すらも向かってきてはさばききれない。


 リオリスは目元を歪めて笑っており、ロシュラニオンの目元が切れた。


 微かに血が舞い、王子は後ろへ跳びながら剣を鞘に収める。予備の短剣を抜いた王子は硝子ではなく、硝子を動かす糸を斬ろうと動いていた。


 しかし、どれだけ細くてもパラメルの糸。粘着性があるそれは斬ることが出来ず、王子は逆に短剣を手放す羽目になる。


 部屋に残っていた短剣と、今しがた奪った短剣にもリオリスは糸を繋ぐ。廊下に出てきた少年の周りでは硝子片と二本の短剣が浮いており、それらはまるで操られる糸人形マリオネットのようだ。


 ロシュラニオンは切れた手の甲の鈍い痛みや、目元から流れた血に気を回さない。微かに足を踏み出した王子はそこで気が付いた。


 廊下に張り巡らされた細い糸。


 それらはロシュラニオンが動けば触れる距離に、抜け目ない精度で張られている。


 少し動けば剣が触れる。剣が触れれば盗られてしまう。


 ロシュラニオンは周囲の糸の配置を確認するが、彼が通り抜けられる隙間がある筈もない。リオリスは王子の姿を見て笑い、糸の間に硝子片と短剣を縫わせていった。指先で器用に糸と糸を繋げ、まるで刃達が生きているように。


 鋭利な尖りがロシュラニオンに近づいて行き、身動きが取れない王子の周囲で止まる。


「動いていいよ。硝子が刺さって、短剣で貫いて、糸に剣を奪われるだろうけど」


 ロシュラニオンの面に硝子片が傷を入れる。王子は咄嗟とっさに、眠りの香りが入らないよう亀裂を押さえた。


 リオリスは指先を動かして王子の足や腕を刃達で傷つける。殺すほどの傷ではない。抵抗出来なくさせていく為の傷だ。


 ロシュラニオンの周囲には血が飛んでいき、張り巡らされた糸にも赤がつく。それでも剣が揺れないのは彼の積み重ねの結果だ。


 パラメルの少年は息を吐き、穏やかな声で王子を諭す。


「眠っていいよ」


「眠れば忘れてしまうんだろ」


「まぁね。でも別に良いんじゃない? 忘れるのはクラウンの記憶と、この夜の記憶だけさ」


「忘れていい記憶などあるか」


 赤い瞳が鋭く光る。月光が射し込んだ瞳は強く、気高く、美しい。


 犯人を忘れることなどしない。愛しい人を忘れる気も毛頭ない。


 彼がこの八年で忘れていいと思った記憶など、一つもない。


 対峙する黄金の瞳は細められ――微かに嫌悪の色を滲ませた。


「忘れたい記憶はあるでしょ。失敗した記憶、怖い記憶、痛かった記憶、否定された記憶、非難された記憶、傷つけた記憶、傷つけられた記憶、負けた記憶、理解されなかった記憶、嫌われた記憶、知りたくないことを知った記憶――忘れたい記憶は、誰だってあるに決まってる」


 短剣が素早く動いてロシュラニオンの顔を傷つける。面の一部が砕け、右頬に深い傷が入った王子は流れる血を拭わなかった。香りを吸わないことを優先した。


「その記憶を押し付けられるのが俺達だ。忘れた奴らは笑って何処かに行くんだろ。暗いものを置いて明るい明日へ。忘れて、忘れて、口の中の苦さを飲み込んだ俺達のことすら忘れてさ」


 リオリスの黄金の瞳に怒りが揺れている。


 ロシュラニオンは目を細め、静かに伝えていた。


「笑うお前より、今のお前の方が良いと思うぞ」


 リオリスの目が見開かれる。


 その時、硝子が砕ける音がするから。


 ロシュラニオンだけに意識を向けていたリオリスは反応が遅れた。


 自分の目の前に迫った鮮やかな衣装に。


 笑った仮面の道化師に。


「リオ、遺言は何が良い?」


 クラブでリオリスの側頭部を殴打した道化師――クラウン。


 パラメルの少年の体は吹き飛び、頭から窓硝子に突っ込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る