第32話 愛ある所には嫌悪がある
ロシュラニオンは剣の柄に手を置き、テントの柱を背にしている。
王子の真正面から少しずれた柱にはミールが
「話とはなんだ」
「クラウンと、どこまで気づきましたか?」
ミールの銀の瞳がロシュラニオンに確認する。王子は眉間に皺を寄せ続け、指先は剣の柄を一度叩いた。
「それを確認してどうする」
「あの子がどう言った覚悟で今回貿易に出たのか、私は聞けず終いだったので」
ロシュラニオンは、自分に頭を下げて行ったクラウンを思い出す。道化師は「ミールは白だ」と確信しており、事件の日に寝込んでいたレキナリスも、共に看病していたベレスも白だと報告して旅立った。
王子は息を吐くと柱に背中を預けてみる。
「団員の中に犯人がいると確信して行った。残るテントの三人は白だともしてな」
「そうですか」
ミールは息を吐いてロシュラニオンは目を細める。副団長はそれに気が付くと、折れた腕を軽く撫でる仕草をした。
「私は答えを言えません。お許しを」
「それは犯人を守る為か」
「愛する団員に、変わりはないので」
淀みの無い声をミールは並べている。何も間違っていないと言う意思すら乗せて。
――他者の考えを間違いだと糾弾出来る存在とは、一体何者だろうか。
犯人を隠し続けたミールに考えを改めろと叫べるのは一体誰か。犯人にお前の行いは全て間違いだと罰を与えられるのは一体誰か。犯人を見つけ出して、お前は悪だと罵れるのは一体誰か。
そんな権利を持つ者など存在しない。
信念を持って行いをする者にぶつかり合えるのは、同等の信念を持った者だけである。
守りたい者を守る為。救いたい者を救う為。幸せにしたい者を幸せにする為。
どちらか一方が折れないと願いが為されないのであれば、お互いに相手が折れるまで戦わねばならない。
けれどもそこに、否定は不要である。
相手の信念を「間違っている」とする叫びは暴力である。必要とされるのは、信念を持ち続けるのであれば戦わねばならないと言う覚悟だけだ。
望みを叶える為に自分の道を守るのであれば、それ相応の覚悟を持って立ち続ける。
ミールが
副団長の脳裏には、クラウンの言葉が蘇っていた。
――黙ってんなら、墓まで持っていけよ。偽るなら、偽ったことを突き通せよ。嘘を嘘だって、気づかせんなよッ
(いいや、クラウン。私が貫けば、きっと君はまた傷ついたんだ。私はそう思わずにはいられない)
ミールは自分の折れた腕を見る。自分勝手な判断をして、自分勝手に未来を予想して、その結果が折れた腕なのだ。
「王子は犯人を憎んでいますか」
副団長の問いかけに王子は静かに口を噤む。赤い瞳は酷く凪いでおり、暗い影を落としていた。
ミールはその目を知っている。犯人である団員と同じ目の色をしているから。
ロシュラニオンは首を少しだけ傾け、当たり前の如く聞き返した。
「その犯人と俺のせいで、アイツは泣いたんだろ?」
ミールは固まる。目の前の王子が言う「アイツ」が一瞬では理解出来ず、人物を浮かべるのに時間を有してしまったからだ。
脳裏に浮かんだのは、カラフルな衣装を纏った陽気な道化。たった一人の為に髪を切り落とし、仮面を付け、幸せの為に奔走する愚かな子ども。
副団長は自分の目を塞ぐ包帯に触れかけたが、外すことなく腕を脱力させた。
「そうですよ。毎日自分を責めて、貴方の事を想って、泣いて、泣いて――泣いていました」
ミールの声に微かに皮肉が乗る。ロシュラニオンはそれを感じ取り、剣の柄を握り締めた。
「ですが、あの子が泣いただけで何です? それと貴方が犯人を恨むことなど繋がらないと思うのですが」
「お前は心を見る目があるくせに、人の感情に対して理解が足りないようだな」
ロシュラニオンの赤い瞳が細められる。
ミールはその目に慣れている。自分に導きを願い、代償と誓いがいると分かれば憎らし気に顔を歪めた者達を知っているから。自分勝手な者達に
だが、ロシュラニオンの瞳は彼らと色が少し違う。
ただ一人を想い、その者の為に他者を恨む色だ。自分の為に他者を恨むのではなく、想う者の為に恨んでいる色だ。
ミールはその目も知っている。
それは、彼が愛するサーカス団員達がしている色だから。
泣いていた青い少女が、全てを決めた緑の少年が、その色をしていたから。
「城や国に危機を持ち込み、被害を受けた者に不自由を残した犯人は勿論許せない。だがそれは総騎士団長として、王子としてだ。俺個人の感情ではない」
ロシュラニオンは揺るがない。王子としてレットモルに貢献し、総騎士団長として国を守る心に偽りはない。
けれど、彼は王子であり総騎士団長である前に、一人を想ってしまう子どもだから。
胸に
「――クラウンが泣いた」
ロシュラニオンは意志ある声を吐く。
冷えた暗い瞳で。
「犯人を恨む理由など、それだけで十分だ」
ミールは銀の瞳を一瞬だけ見開き、諦めたように伏せてしまう。
ロシュラニオンは柄から離した腕を組み、軽く肩を竦めていた。
「……勿論、弱い俺も恨んでいるがな」
「……貴方、泣き虫でしたしね」
「知っているのか」
「勿論」
少しだけ驚いた顔をしたロシュラニオンにミールは呆れてしまう。自分が予想していた以上の感情を王子が抱いていたことに、苛立ったからだ。
黒い嘴は言葉をオブラートになど包まない。
「いつもいつもあの子の後を追い、一人では城にも帰れず、直ぐに泣きそうになり、心配性で、やはりあの子の腕に縋りついて」
ミールの言葉には棘がある。ロシュラニオンはそれを黙って受け止め、苛立つ副団長の様子を見つめていた。
「あの子のことが大好きだった貴方が、私は大嫌いだった」
どこか疲れたようにミールは脱力してしまう。俯き加減の彼の前には、泣き出しそうな顔で懇願する青い少女がいた。右目を抉られると気づいても叫ばず、やはり止めて欲しいとも願わず、決してしたくなかったであろう誓いを立てて。
ミールは知っていた。あの時、少女が立てた誓いは彼女に逃げ道を与えていると。狡賢くも友達以上の道を捨ててはいないと。
それはきっと無意識であり、少女は気づいていなかった。気づいていないからこそ、
だから温室で泣くことになるのに。苦しくなるだけなのに。彼女が残したのは、彼女がつらくなるだけの道だ。
髪を見せられない。瞳を見せられない。素顔を見せられない。自分を偽り、永遠と仮面を付け続けなければ――クラウンでいなくては、彼女は王子の傍にはいられないのだから。
「だった、ではなく、大嫌いだの方が正しいのではないか」
ロシュラニオンは息を吐き、ミールは鼻で笑ってしまう。銀の瞳は馬鹿にするように王子を見下ろし、フードの奥で鈍く光っていた。
「おや、お気づきですか」
「気づかないほど鈍感ではないのでな」
「隠そうと言う心がけはしていたのですけどね。あの子に守られるだけの王子など、嫌いで嫌いでなりませんよ」
「それでも、アイツが道化師になることを止めなかったのだろう。お前も、団員の誰も」
「あの子は一度決めると動きませんから」
他国での空き時間。アスライトに手を引かれ、観光につき合わされた記憶がミールにはある。目の前で跳ね回り、緑の少年達や白い少年とも笑っていた青い少女がいる。
――副団長! あのお店行こうよ!
導くだけだったミールを初めて導いたのは、ガラと言う太陽のような男だ。
そして、光を当てる側の自分に笑顔を向けてくれたのは外れ者の団員達だから。
彼は守ろうとする。自分が愛する団員達の感情を、考えを、心を。
その一人が起こしたことで、一人の踊り子が消えた。
ミールは犯人を恨めない。彼の感情を、考えを知っているから。
ミールは少女を責められない。彼女の心を、想いを知っているから。
「犯人がまた動き出そうとしていることもご存知ですね」
「あぁ」
「ならば二度と襲われることなど無いように。お気を付けください」
「嫌いな奴の心配をするとは、嫌味にしか聞こえないな」
「本心ですよ。貴方が再び起きなくなれば、あの子は残った左目すら捧げてしまいそうだ」
ミールはそう言い残して歩き出そうとする。彼が王子を心配するのは、道化師がこれ以上傷つかない為だ。そして、緑の兄弟にこれ以上のものを背負わせたくもなかったのだ。
願う彼はどちらも止めない。止められない。犯人たる少年の心も、守ろうとする少女の心も知ってしまっているから。
ミール・ヴェールは、子ども達を止められない。
そんな彼の足を、上着の袖を掴むことによって止めた者がいる。
副団長が嘆息しながら振り返ると、そこには目を見開いている王子が黒い上着を掴んでいる光景があった。
「何か。私は確認と嫌味と忠告が済んだので、王女が痺れを切らせる前に隠れたいのですが」
「……お前、今なんと言った」
ミールの眉間に皺が寄る。王子の唇は震えており、その表情でミールは気づくのだ。
黒い嘴の端がゆっくりと歪んでいく。
苦渋を啜ったような顔かと思えば、それは、心底面白そうだと気づいた笑みだ。
ミールは勢いよく王子の顔を覗き込み、酷い悪戯を思いついたような顔をする。
嫌いで堪らない相手を後悔の谷に突き落とす方法を見つけたと言う、恍惚の笑みを浮かべて。
ロシュラニオンの目の前は黒に染められた。
「あぁ、貴方は守られるだけで知らなかったのですね。ロシュラニオン王子」
高笑いしそうなミール・ヴェール。
彼は折れていない二本の腕でロシュラニオンの頬を掴み、嬉々とした声を吐きだした。
「あの子が導きを
ロシュラニオンは唇を結ぶ。
無言は肯定。無言こそ肯定。
ミールは今にも声を上げて笑いそうになり、銀の瞳は歪んでいた。
「教えて差し上げましょう。守られ、救われ、導かれるだけの愚かな王子様」
ミールの目には
(どうしてあの子だけが、苦しまなければいけなかったのか)
何度も言うように、ミールは団員を愛している。
団員が傷つけば、傷つけた相手が死を望むほどの事が出来る。団員の為ならば他者がどうなろうとも気にならない。団員が泣くのであれば、その涙の根源を
彼の愛とは、酷く重く歪んでいる。
いいや、全ての者の愛はどこかしら歪んでいる。
正しい愛など、何処を探そうとも存在しないのが現実だ。
「あの子が導いたのは、記憶を奪われて眠り続けていた――ロシュラニオン王子ですよ」
ロシュラニオンの呼吸が止まる。
彼の顔からは血の気が失せ、自意識過剰だと消してた考えが答えだと叩きつけられる。
ミールの指は、痛いほどにロシュラニオンの頬に埋まっていた。
「右目を差し出し、貴方と友達にならないと言う誓いを立て、踊り子を止め、髪を切り捨て、仮面を付け、あの子はクラウンとなった。自分を殺して、自分の名前を捨てて、貴方を想う心だけでね」
「それは、」
「そうだ、これはあの子の我儘だ。あの子の懺悔がさせた愚かな行為だ。貴方はそんなこと望んでいなかったと目覚めさせた後のあの子は気づいていたさ。それでも、一人血豆を作る子どもを放っておけなかったから」
「ッ、」
「けれど、あの子の腕に縋ったのは貴方でしょう?」
ロシュラニオンの腕が剣の柄を握り締める。
ミールは流れるように後退し、言葉を無くした王子を
「剣を振って、地位を得て、強くなったのでしょう。ならば自分の身は自分でお守り下さい。私は犯人を止めはしない。そこには信念があるのでね。だからどうか、貴方が傷つき、あの子が泣かないように努力してください」
笑いながら吐き捨てたミールは踵を返す。貿易団筆頭の副団長と言えど、王子に礼儀も忠誠もない態度はいかがなものかと見ている者がいれば咎めるだろう。
けれどもこれは彼らの会話。彼らだけの会話。
ロシュラニオンは奥歯を噛み締め、ミールの背中が見えなくなった瞬間、柱を勢いよく殴ったのだ。
「分かっているッ」
彼は傷ついてはいけない。王子が傷つくことは、道化が幸せになれないことと同義なのだから。
関節が白く浮くほど手を握り締めた王子は、荒い足取りでレキナリスの部屋へと戻って行った。
「姉さん、俺は稽古がしたいので帰ります」
「駄目よ。ミール・ヴェールの目を潰してないもの」
「潰したければお一人でどうぞ。俺は止めません」
「貴方が帰ったらミール・ヴェールの目を潰した後、誰が私の目を潰す様を見届けてくれるのよ」
「自分で潰す覚悟が無いのですか」
「潰したその後の話よ。意識を飛ばしたり止血が間に合わない可能性を考慮した予防策で、貴方に傍にいて欲しいの」
「待って待って待って、二人共ちょっとその話ストップ」
真顔で会話していたキアローナ姉弟をレキナリスが押し留める為に、一時間も押し問答したのはまた別の話。
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