第24話 散らばった破片を集めて

 

「この図鑑、普通のものとは何か違うのか?」


「少しだけね。見てご覧よ」


 ロシュラニオンは手渡された図鑑を見る。そこには手書きのような文字と、所々に絵が載っていた。絵は種族を表しているようだが、それらも決して上手いものとは言えない。


「それは伝承図鑑だよ」


「伝承?」


「そう。語り継がれた事柄だけを記した図鑑さ。噂しか聞いたこと無かったけど、まさか本当にあるとはね」


 クラウンはページを捲っていき、ロシュラニオンは文字を追っていく。


 書き留める為だけに書かれたような文字は、縦書き横書き斜め書きが混在し、読み易さは考えられていない様子だ。


 よく見れば文字も少しずつ筆跡が違い、図鑑が一人によって制作されていないことが判断出来た。


「あった」


 クラウンはページを捲る手を止めて一つの文字を指している。そこには〈キノ〉の記述があり、ロシュラニオンは赤い目を走らせた。


 〈閃きのキノ。何でも作り、構成させたら右に出る種族は無いと言ってもいい。力は弱く、頭を使って武器を生む。生活環境によって性格形成が左右されやすい為、性格の見極めには注意して〉


「書き方が今までの図鑑とは違うな」


「だって伝承だから。御伽噺おとぎばなしとかそう言うのに近いんだよ」


 ロシュラニオンは自分が見てきた図鑑を思い出す。他の図鑑は事細かに身体的特徴や歴史、特性が書かれていることが多かったが、今見ている物は違う。


 そこにあるのは端的で、それでも種族をよく表したもの。閃きの種族と言うのは口伝される程度の事であるが、この図鑑はそこに重きを置いていることが見て取れた。


 ロシュラニオンは目を細め、近くに書かれている種族の項目を見る。


 〈宝石のセレスト。青い髪は深海の美しさ。青い瞳は魅力の鉱石。瞬発力なら誰にも負けず、捕まえた者には幸運が。遅い者は捨て置いて我が身を守るが最優先〉


 ロシュラニオンが指で撫でた項目にクラウンは気づいている。気づいてはいるが何も言わず、口を開いたのは王子の方だ。


「お前か」


 クラウンは少しだけ考える。考えて、黙って、心境など悟らせない。


「だったら?」


 そうして、質問に質問で返すはぐらかし方をする。それは奇しくもミールと同じやり方であり、クラウンは自分を嘲笑ちょうしょうした。


「いいや」


 ロシュラニオンも詮索はしない。自分の瞼の裏に残った青。それを思い出せば確かに額は痛むのだから。


 それから二人は図鑑を確認していく。


 不審者はあの日いなかった。


 ならば犯行は、不審者でない者によるものだと考えながら。


 〈長寿のアイロス。幼い容姿に惑わされないように。しなやかな尾が多いのは長く生きた証。年功序列、孤高の生き物。馴れ合いは好まず、双子はとっても嫌われてる〉


 〈規律のシルマ。彼らは細かい。時間にうるさく、配置に厳しく、冗談なんて通じない。強固な体を動かして、規則正しく働き働き働き通し。それが至福なんだって〉


 クラウンの頭に、空中ブランコの双子と道化の師匠が浮かぶ。


 イリスサーカス団は外れ者の集まりだ。自分の種族に馴染めなかった者。自分の種族から弾き出された者。それが集まり出来た、はぐれ者のサーカス団。


 クラウンは入団した頃を思い出し、左目を伏せていた。


 不意に道化の頭を撫でた手がある。この状況で撫でることが出来るのは一人であり、クラウンは目を見開いた。


 柔く黒いカツラを撫で、その下の青い髪も慈しむような手つき。


 ロシュラニオンはクラウンの頭を穏やかに撫で、道化の体から力が抜けた。付き人は王子に体を預け、努めて茶化しておいたのだ。


「かぁっこいい」


「お前にだけだ」


 ロシュラニオンは図鑑を机に置いてページを捲っていく。クラウンの体はまた固まったが、ロシュラニオンは気にしていない様子だ。


 〈導きのコルニクス。彼らに望めばどんな他者も導いてくれる。願うならば目を差し出して、大事なものを捨てる誓いを立てていよう。それは彼らに、力を与えてくれるから〉


 ロシュラニオンの片眉が上がり、膝の上で固まっているクラウンに視線を投げる。道化もそれには気づいたようで、口は固く閉ざすという空気が流れていた。


「クラウン、副団長はコルニクスではなかったか?」


「だったら何だい」


「お前、右目に眼帯をしていたな」


 クラウンは思う。この王子は目ざといと。


 自分の顔を見て気絶する癖に、どんな顔だったかきちんと見ているのだから。


たちが悪い)


 クラウンは考えつつ、顔を逸らしておいた。


「僕が副団長に導きを頼んだって言いたいのかな?」


「あぁ」


「だったら何だよ」


「誰を導いた」


 赤い瞳が聞いている。


 まるでクラウンを責めるように。


 道化は顔を逸らし続け、導いていないと言う返答は信じてもらえないと理解した。視線は図鑑で止められる。


「それは今話す議題ではないと思いまーす」


「クラウン」


「犯人について話さないなら、リオリスを召喚して俺は帰る」


 クラウンは図鑑を一度閉じる。ロシュラニオンは腕に力を入れ、道化師を離そうとはしなかった。


「二人で、考えるぞ」


「もう聞かないなら」


「今日はな」


「ずっとだよ」


 かたくなな道化師に王子は息を吐いてしまう。クラウンは図鑑を持ち、自分だけが見えるように開いていた。


 ロシュラニオンは図鑑を見ようと手を伸ばすが、クラウンは全くもって見せようとしない。


「……クラウン」


「こちとら、過去より未来が心配なんでね。終わったことについて語る前に、これから起こりうるであろうことを思案するよ」


 ロシュラニオンの眉間に深い皺が刻まれていく。クラウンは今まで自分が見てきた種族に、一癖も二癖もある説明がつけられているのを確認した。


「……分かった。だから一緒に考えさせろ。もし本当に犯人が動こうとしているなら、俺だって無関係ではない」


「……お前が中心でないことを祈ってる」


 クラウンは視線を走らせて種族を探す。記憶と言う文字を探し、探して、けれども見つけられないまま最後のページに来てしまった。


「え、記憶って単語ねぇじゃん」


 道化師は独りごちし、再び最初からページを捲っていく。


 ロシュラニオンは図鑑を覗き込もうと顔を近づけ、本はすぐさま机に置かれていた。クラウンのその行動に、ロシュラニオンはあえて何も言わない。黒いカツラから覗く耳を見れば、道化の態度など一目瞭然なのだから。


「記憶の種族はいないのか」


「見つからない。まずその単語が無いんだよな」


 クラウンはページを延々と捲っていくが、該当する単語がなく再び最後のページに辿り着いてしまう。そこに載っているのは白く長い耳の種族であり、クラウンとロシュラニオンは同時に文字を追った。


 〈伝承のシュプース。長い耳はどんな音も拾ってしまう。小さな足音、聞きたくない悪口、拾ってしまった噂話。だからここに書き留めた。そうすれば、聞いたことを自分達だけで抱えなくていいと思ったから〉


 それは揺れたような、図鑑の中で一番控えめな筆圧。


 クラウンは仮面に触れ、ロシュラニオンは目を細めた。


「シュプースの種族、いただろ、サーカス団に」


「あぁ、いるよ。いつも震えてる、可愛い玉乗り君が」


 クラウンは温室から走り去った白を思い出す。


 テントに帰った時、ミールと共に部屋を訪れた玉乗り――ロマキッソ・ロンリーは、酷く揺れる瞳をしていた。


 怖がりな彼が決めたこと。震える彼が伝えようとしたこと。


 それを聞きたいのに、ロマキッソは走り去ってしまったから。


 クラウンは考える。ロマキッソと共にいたミールが渡してきた本。その本の最終ページに書かれているのはロマキッソの種族であり、十中八九この図鑑を書いたのもシュプースであると検討がつく。


 ミールはヒントを与えると言ってこの図鑑を渡している。しかしそこに記憶の種族は載っていなかった。


「今日、温室にロマキッソが来ていたな」


「まぁね。凄く……大切な話があったんだ」


 クラウンとロシュラニオンは図鑑に目を向けている。


 伝承のシュプース。聞きたくないことも拾ってしまう聴力を持った、震える種族。


 クラウンはロシュラニオンの膝から降り、王子も立ち上がった。


「ロマキッソと話をしろと言うヒントか」


「だろうね」


 クラウンは頷き、図鑑を持つ。


 最初にクラウンの元に来たのはロマキッソであった。温室で何かを話したがっていた彼は、ロシュラニオンとリオリスが来て話を中断させた。


 その次にクラウンの元を訪れたのはミール。彼はクラウンを呼びつけたが、ランスノークと鉢合わせた為それも保留となった。


 だからだろう。次にはミールとロマキッソが揃ってやって来た。犯人を知っているミールと、伝承の種族であるロマキッソが、だ。


 しかしやはり、ロマキッソは走り去った。何も語らず、震えたまま。


 その後ミールは少しの間を持って、クラウンを自室に呼んだのだ。


 もしも、元々のミールの要件が「ロマキッソと話させること」であったならば。


 クラウンは仮定を築き、自分が考えている仮定と合わせ、再び背中に冷や汗が流れた。


 ロマキッソはクラウンに話したがっている。ミールもそれを分かっており、だからヒントと称して図鑑を渡したのだとしたら。


 全てを聞いているロマキッソと話をしろと暗示して。ロマキッソとクラウンが話すことを促す為に。


 ――私は言えない!


 そう訴えたミールは、イリスサーカス団を常に想っている。サーカス団のこと、団員のことを優先して考える者だとクラウンは知っている。


 そのミールが「言えない」こと。


「言わない、じゃなくて、言えないんだ」


 クラウンは呟き、窓の外を見る。雨が降りしきる空は時折光り、雷鳴はそれでも遠のいていた。


 ロシュラニオンは資料をまとめ、クラウンの話と図鑑の意味を思考する。


 ミール・ヴェールは「言えない」と叫んだ。


 ロマキッソ・ロンリーはクラウンと話せる機会を伺っている。


 イセルブルーの事件の日、不審者は入城していない。


 青い少女が頭を殴打される前。


 怖がりな王子の無事に安堵していた時。


 近付いて来た足音に、振り返る前の、ほんの一瞬。


「……ふざけんなよ」


 クラウンは黒い前髪を掴む。


 忘れられないあの日を思い出して。忘れてはいけないと言い聞かせた、怖がりな王子の姿を思い浮かべて。


 あの瞬間の少年の表情は、それは、確かに。


 ――ロシュラニオンは顔を、アスライトも反射的に振り返った。


「――団員だ」


 クラウンの口から考えが零れる。


 ロシュラニオンは資料を見下ろし唇を結ぶ。


 道化師の耳の奥では心臓が早鐘を打ち、指先が痙攣した。


 頭の中では、寝食を共にし、お互いの手を取ってきた団員達の姿が浮かんでいく。レットモルを愛し、サーカスを愛している、家族の姿が浮かんでしまう。


 外を知らなった王子が、外からやって来た誰かに安堵する筈が無いのに。


 クラウンは気づかなかった。図鑑を見る時も団員の種族は深読みしなかった。


 気づきたくなかった。考えてはいけないことだった。


 そんな防衛が邪魔をして、八年の歳月を過ごしてしまったのだとしたら。


 クラウンの膝から力が抜ける。頭を下げ、机の端を握った左手は震えていた。


「そうだよな……そう、だよな……」


 クラウンの右手は仮面を覆う。


 ――彼が目覚めないのは簡単だ。目覚めるのが怖いから目覚めないのだ


 ミールの言葉を耳の奥で反響させながら。


 ――彼の心は深く抉られる程傷ついていた。だから彼は目覚めたくないのだ


「……起きるのを怖がるのも、当然だ」


 クラウンの中に嫌悪が広がる。気づかなかった自分に。浅慮せんりょだった自分に。気づけたかもしれないのに、気づかないようにしていた自分に、彼女は嫌悪を抱いたのだ。


 ――ラニ、是非またサーカスを見に来てね


 ――うん、行く、見に行く


「大好きだったもんな……君は、サーカスが――団員が、大好きだったもんなぁ」


 雷が遠くて鳴っている。


 ロシュラニオンは道化師を見下ろし、隣に膝を着いた。


 俯いているクラウンは願ってしまう。


 この仮定が、全て間違いであればいいと。


 ロシュラニオンは急かすことも、命令することもせず、クラウンの背中に手を当てていた。


 彼が覚えていない日。忘れてしまった出会いの日。自分の背中を、踊り子が撫でていたとも知らないで。


 忘れた彼は、それでも自然とクラウンの背中を撫でたのだ。


「――ロマと、話さないとけない」


 言葉を吐いた道化師は、ゆっくりと仮面から手を下ろしていく。


「……行けるのか、クラウン」


 ロシュラニオンは確認する。


 温室で仮面を外し、泣かせてしまった道化師を想いながら。


「行くよ。行かないといけない。聞かないといけない」


「それでお前は……幸せに、なれるか」


 王子は聞いてしまう。


 総騎士団長まで進んできた彼を襲うと言うことは、そう容易いことではない。イセルブルーの持ち込みも今の検品体制ではされない自負もある。


 このまま進めば、クラウンは傷ついてしまう。背負わなくていいものを背負ってしまう。


 それが、ロシュラニオンには耐えられないから。


「……言ってなかったかな」


 クラウンはロシュラニオンを見上げる。


 王子が仮面の奥の青い瞳を見ることは、叶わなかった。


「君が、怖いを思いをしないこと。君が……幸せだと思ってくれること。それが私の幸せなんだ」


 ロシュラニオンの指先が痙攣する。


 笑顔の仮面をつける道化は、確かにその下でも笑っていた。

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