第21話 懺悔なんて狡いだけ


 気絶したロシュラニオンを私室に寝かせたクラウンは、気が重いながらもテントへと向かった。


 道化師の時は陽気を演出した虹色の傘も、青で統一された少女がさせば奇抜以外の何物でもない。


 慣れないヒールで濡れた地面を走ろうとも考えたが、衣装と仮面を抱えて、かつドレスの裾を汚さないように持ち上げて走ることは流石にはばられた。いくら道化でも、だ。


 しかもドレスのデザイン上、走ると言う行為に難しさも存在する。


 その為クラウンは極力早足、しかしドレスは汚さないと言う神経を使って雨を抜け、精神を摩耗しながらテントに辿り着いたのだ。


 だが、それだけで彼女の緊張が解ける筈も無い。ここからが本番と言っても間違いではないのだから。


 仮面が割れてドレスを纏い、はたから見れば完全に「アスライト」として立っているクラウン。


 彼女がどれだけ否定しようとも、団員達が諸手を挙げて歓喜する光景が道化の頭には浮かんでいた。


 それは彼女の覚悟を揺るがす喜びになる。突き進んできた彼女の足場を崩しかけない反応になる。


 泣いていたレキナリスがクラウンの脳裏に浮かび、少女はテントの軒先で息を吐いた。


 何度か傘を開閉させて水滴を飛ばした道化は、曲がりそうだった背筋を伸ばして意を決する。


 出入口から彼女の部屋まで全力で走れば十秒もかかりはしない。ハイヒールであることを考慮しても、そこはセレスト。ここで瞬発力を発揮せずして何処で発揮するのかと言う話だ。


「大丈夫。取り敢えず、絶対ナル先輩とリオは会っちゃ駄目。会ったら終わる。集中しろクラウン」


 小さな声で自分に暗示をかけ、クラウンは顔を上げる。


 傘と衣装と仮面を抱えた彼女は、誰にも会わないことを目指して振り返ったのだ。


「……」


「……ひぇ」


 まさか三歩踏み出した瞬間、リオリスと鉢合わせるとも思わずに。


 彼女は学んだ。角を曲がる時はまず、誰も来ていないことを確認する必要があると。


 リオリスは抱えていた物を全て落とし、放心状態でクラウンを見下ろした。


 クラウンの顔から血の気が引いていく。


 後退してリオリスから距離を取ろうとした少女は、少年がゆっくりと両手の指を広げる様を確認していた。


 じりじりと。じりじりと。


 二人の背後に合う効果音は、きっとそれが正しいから。


 クラウンは冷や汗をかき、リオリスは驚いた顔のまま神経を尖らせる。


 少女の足は後退し、ゆっくり膝を曲げていく。


 少年はすり足気味に前進し、黄金の瞳を輝かせる。


 その時したのは――双子の声。


「わぁぁぁぁ!」


「アスライトだぁ!!」


 無邪気な姉、フィカの声。


 純粋な弟、リューンの声。


 クラウンはそれを合図に床を蹴り、同時にリオリスの指から糸が飛んだ。


 普段のクラウンならば避けられた糸。そう、普段の道化の衣装ならば。


 しかし何度も言うように、今の彼女が着ているのはドレスだ。


 俊敏性など考慮されず、布面積は美しく見せる為の計算がされ、柔軟性など視野に入れられていない装飾具。


 リオリスの糸は青いドレスの裾を捉え、クラウンの足が止まりかけた瞬間を見逃さないのだ。


 瞬時に白い糸はクラウンを拘束して引き寄せる。


 道化は釣られた魚の如く宙を舞い、緑頭の少年に捕獲された。


「アスライトッ!!」


「人違いです!!」


 そんな少女の悲鳴空しく、テントの中には歓声を聞きつけた団員達が集まり始めたのだ。


 * * *


「ちょっと、おい、離せ、私は着替えて城に戻るんだよ」


 観客がいない舞台で、クラウンはリオリスの糸によって宙吊りにされている。


 ギリギリ爪先が届かない距離に浮いている少女は、自分の頭を無言で撫でるリオリスとピクナルに嘆息した。


 腰にはフィカとリューンの双子が満面の笑みで抱き着き、騒ぎを聞きつけた団員達も嬉しそうだ。


 いや、嬉しそうではない。間違いなく彼らは嬉しいのだ。


 捕まっているのは、八年前に消えてしまった踊り子なのだから。


 団員達の前でさえ仮面を取らなかった少女が舞い戻り、美しい転身を遂げてそこにいる。


「ほんっと綺麗になっちゃったね~。眼福眼福!」


「流石はセレスト、と言ったところかな?」


「バレ先輩、メーラ先輩、からかってないで助けてくださーい」


 顔を蕩けさせながらクラウンを褒めるのは、ダンサーのバレバットである。

 バレバッドは波打つ桜色の髪を持つ団員であり、踊り子のアスライトとは別の部類になる。青い少女が担当していたのは布を使った空中での舞であり、バレバッドが担当するのは地に足をつけてフラッグを操るものだ。


 バレバッドは時間帯によって肌の色が変わるネシスの種族。語源は眠りの花、ネアシスであり、夜が近づくと肌から睡眠作用のある鱗粉が零れるのだ。


 彼女の頭に留まっているのは天気読みのメーラ。晴れ渡る空色の怪鳥であり、天気を的中させることが出来る。貿易を生業とするサーカス団には欠かせない存在であり、貿易路の決定は彼とガラに一任されている程だ


 クラウンに願われた二人は「嫌だ」と笑顔で拒否をし、クラウンは唸ってしまう。少女の青い瞳は別の団員へと向かった。


「バンムルせんぱぁい」


「こっちに頼らないでおくれよ、クラウン」


 茶色い毛並みの団員、バンムルは苦笑する。彼は茶色い毛並みが自慢のバーキュオンという種族であり、担当はフープ使いだった。垂れた耳や箒のような尾は時折アイロスの双子の玩具にされる為、極力動かさないようにしているのだとか、していないのだとか。


「うぇぇ……じゃぁ、ズィー、タンカン、助けてー」


 クラウンが次に助けを求めたのは、銀色のスライムのような音響担当達だ。


 ズィーとタンカンは目無めなしのキスシス。目が無い代わりに口が大きく、音感も優れていることから音響を努めている。公演で使われる音響素材は彼らの作曲であり、音源を買いたいと言う客も多くいる程の人気ぶりだ。


 柔らかい体を揺らしたズィ―とタンカンは、大きな口に思い切り弧を描いた。


「もっと見てたいわぁ、クラウン」


「そのままがいいなぁ、クラウン」


「この、ほんと……ッバロル先輩は!? バロル先輩もそっち側なわけ!? てか今どこ! いる!?」


「ぃるよぉ……」


「いた! ごめんなさい!」


 バンムルの影から這い出てきたのは、漆黒のてるてる坊主のような団員である。


 彼、パロルは何でも飲み込み、何でも吐き出すグリュームという種族だ。影の中を移動できる特性と目立つことが恥ずかしい性格から、光りを当てる照明担当をしている。生まれつきの特性や性格から、夜は見失われることも多々ある団員だ。


 団員達はクラウンをからかい、青い少女は不満を惜しげもなく醸し出す。そんな騒がしい団員達の波をかき分けて、ガラはやって来た。


 ガラは唖然としながらシルクハットを胸に当てる。それは彼が考えを整理する時の癖であり、赤い両目には涙の膜が張っていた。


「アス、ライト……」


「残念団長、容姿がどうであれ、私はクラウンだ」


 前後に振りを付け始めた少女をフィカとリューンが力強く止め、シルクハットを被った団長は笑ってしまう。


 クラウンの前で腕を組んだガラは、努めてからかうような声を出すのだ。


「ならクラウン、いつもの衣装と仮面はどうしたんだ? 等々ロシュラニオン様に素顔を晒して、結婚でも申し込まれたか」


「馬鹿言うなよガラ団長、仮面は王子と頭突きして割れたんだ。衣装は王女とお茶会するのに、着替えなきゃ参加も退場も許されなかったんだよ」


「おいおい、色々聞きたいことが多いな。なんだ? 王子と頭突きって」


「頭突きは頭突きだよ」


 歯切れ悪く明後日の方を向いたクラウン。ガラは肩を揺らして笑い、居心地が悪いクラウンは足をバタつかせていた。


 即座にピクナルに頭を叩かれた為、脱力を余儀なくされたのだが。


「はしたないから止めなさい」


「えぇ……ならこれを解く手伝いしてよ、ナル先輩」


「私は非力だから無理よ。リオリスには勝てないわ」


 ピクナルはわざとらしく両手を上げる。クラウンは憎らし気に花形を見つめ、ベレスは愉快な声で青い頭を撫でていた。


「良いじゃねぇかいアスライト。綺麗な顔しやがって。それなら俺と二枚看板の道化師じゃなく、ナルと二枚看板の花形が出来るだろうよ」


「しないよそんな恐れ多いこと。うちの花形はナル先輩だけさ」


「私は歓迎よ? 貢ぎ物も減るでしょうし」


「こらピクナル。差し入れを貢ぎ物って言うの止めろ」


 ガラはピクナルの頭を小突いて息を吐く。花形は穏やかに目を瞬かせ、小突かれた頭を揺らしていた。


 ベレスは笑いながらクラウンの頭を叩き続け、叩かれる少女は深いため息を吐いている。


 青い左目は、和やかな団員達に視線を走らせた。その中に、震える白と導く黒の姿は無い。


「あのさ、私は今すごーくロマと副団長にも会いたい訳っすよ。だから自由を返してくれませんかねぇ、リオリスさん」


「それなら呼んできてあげるよ」


「いや、私が行く」


「まぁまぁ」


「おい、リオリス、リオ!」


 笑顔でその場を離れようとした緑の後頭部に、クラウンが蹴り飛ばしたハイヒールが直撃する。


 前に倒れこみそうになったリオリスはハイヒールを掴み、それでも笑いながら振り返った。


「なに? アス。履かせてほしい?」


「馬鹿も頻繁に言うなよリオリス。お前が行かずに私を自由にしろって言ってんの」


「アスライトを自由にしない方が良いと思う団員挙手~」


 リオリスの掛け声に手を挙げる全団員。


 クラウンは「おい!!」と叫んで足をバタつかせるが、直ぐに双子に押さえられた。


「二人と! 話して! 城に! 戻るの!」


「残念。満場一致で、自由にしないに賛成だ」


 リオリスはクラウンの前に膝を着き、ハイヒールを履かせている。


 少女はストッキングを履いた足で蹴り上げそうになったが、笑顔のリオリスの腕力に負けた。足首を掴まれて宙吊りの状態では、入れられる力も限られると言うものだ。


「二人は呼んで来てあげるし、ロシュラニオン様の所には俺が行くよ。クラウンはそのままここに居て?」


「嫌だよ。自分で会いに行くし、戻るってことも王子と約束してんだから」


「意固地だなぁ」


「お前がな」


「……仕方ない」


 リオリスは吊っている糸を切り、クラウンを両腕で抱える。少女の体は糸で巻かれ続け、リオリスは彼女の足首も糸で固定していた。


「相変わらず、リオリスはクラウンに甘いな」


「あれ、知らなかった? 団長」


「下、ろ、せ、ふざけんな!」


 ガラは仕方が無さそうに笑い、リオリスは涼し気な表情で笑い返す。


 団長は手を大きく打ち合わせて団員達に解散を命じた。ピクナル達は青い頭を撫でてから渋々練習や自室へと戻って行く。


 リオリスは、鼻歌を歌いながらクラウンの部屋に向かった。道化は少年の腕の中で疲れ果てており、黄金の瞳は笑っている。


「その格好、ロシュにも見せたの?」


「秒で気絶してたよ」


「そっかぁ……ロシュは本当に、残念だ」


 器用に足で扉を開け、ベッドにクラウンを下ろしたリオリス。寝かされたクラウンは即座に置き上がり、椅子に腰かけたリオリスを見たのだ。


「……いや、リオ、外せよこの糸」


「えー」


「リオリス」


「今のクラウン、マーシーみたいで綺麗だよ」


「あの子達みたいに歌えって? 残念ながら私の声に癒しや魅了の効果はねぇよ」


 クラウンは呆れながら立ち上がる。綱渡りなどで鍛えられた体感が力を発揮し、両足首を結ばれようと、胴体を巻かれようと、ハイヒールであろうとも、立ち上がりさえすれば動けるのだ。


 クラウンは跳ねながら衣装が入ったタンスに近づき、次はどうやって開けるかを思案する。指先が数本だけ動かせる為、少女は振り返り、目の前に立っていた少年には驚くのだ。


 リオリスはクラウンを見下ろしており、道化の指はタンスの取っ手を掴んでいる。


「……おーい、リオリスさんよぉ、そこ退いてくれよ」


「退いたら、またクラウンに戻っちゃうでしょ?」


 リオリスは苦笑し、アスライトの右肩を撫でる。そこは固く凍てつき、リオリスは目を伏せるのだ。


 力が抜けるように、冷たい少女の肩に額を当てるリオリス。クラウンは指先を痙攣させ、言葉を探すのだ。


 先に口を開いたのは少年であったが。


「……ごめん。でもさ、俺もすごく嬉しくて」


「リオ、」


「アスライトがクラウンになったのは、俺のせいだから」


 リオリスの手がクラウンの二の腕を掴む。少女は目を伏せ、幼かった自分達の覚悟を思い出していた。


 ―― 一緒に守ろう、アス


 ―― 守るよ。もう二度と、怖い思いをしないように。笑ってくれるように――幸せに、なってくれるように


 二人だけで決めたこと。青空の下で決めたこと。


 あの日のように、クラウンはリオリスを抱き締めることが出来なかった。拘束されているのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。


「……リオさぁ、それは狡い」


「うん、ごめん、すっごい狡い自覚ある」


 リオリスは顔を上げ、眉を下げて笑っている。


 黄金の瞳は逸らされた青い左目を見下ろし、少女が喋る姿も見つめていた。


「決めたのは私だよ。全部アスライトの我儘の結果なわけだし。君が気に病むことは何も無い」


「……優しいなぁ、君は、相変わらず」


 リオリスは、クラウンの額に自分の額を合わせてしまう。


 鼻先が触れ合うような距離で見つめ合い、先に視線を逸らしたのはクラウンだ。


「退けろ、リオリス」


「嫌だって言ったら?」


「お前の唇を噛み千切ろうか」


 クラウンは犬歯を見せる為に口角を上げる。


 リオリスは口を結ぶと、少女と額を当て直していた。


「……あー、妬けてきた」


 リオリスの瞼の裏に、温室で泣いていたクラウンと、倒れたロシュラニオンが浮かんでくる。抱き締めた二人は痛々しく、少年の胸には確かに感情が蔓延していたのだ。


「リオリス」


 クラウンの静かな声がする。


 リオリスは瞼を上げて、少女から額を離していた。


「ごめんごめん、そろそろ外してあげるね」


「……助かるよ」


 息を吐いたクラウンの体から、溶けるように糸が解けていく。


 少女は手首を鳴らし、その時ノックされた扉へと視線を移したのだ。


「はーい、どちらさーん?」


「あ、く、クラウン、ミール副団長、と、ろ、ロマキッソ、です」


 自信が無さそうな声を聞き、顔を明るくしたクラウンは扉を開ける。


 そこに立っていたロマキッソは両耳を握り締めており、半歩後ろに立つミールと共に目を見開いていた。


「テントが騒がしいと思ったら、お前の姿のせいだったか」


「まぁね。何処かの誰かが王女様を怒らせるから」


「悪いと思ったからレキナリスを向かわせたんだ」


「いやいや……」


 首を横に振ったクラウンは、震えているロマキッソを見下ろす。眉を八の字に下げている玉乗りは、泣きそうになるのを必死に堪えているようだ。


「ロマ、ごめんね。話を先延ばしにしてて。温室の続き、聞くよ」


「ぁ……」


 ロマキッソは視線を床に向け、首を横に振る。それから頭を下げた玉乗りは、素早く走り去ってしまったのだ。


「え、ロマ!」


 驚いたクラウンの声も聞かず、ロマキッソの姿は見えなくなる。少女は口を結んでしまい、リオリスに柔く肩を叩かれるのだ。


「なんか、今日ロマ変だ」


「だね。俺も時間見つけて声かけてみるよ」


 クラウンはリオリスに頷き、二人はミールを見上げてしまう。


 銀の瞳は団員達を見下ろしており、クラウンに言うのだ。


「クラウン、城で出来なかった話がしたい。着替えて私の部屋に来なさい」


「それ、手身近なやつ?」


「長くはならないだろう」


 ミールは答えて踵を返す。


 クラウンは黒い背中を見送り、リオリスと顔を見合わせてしまったのだ。

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