手に縋った頃

第12話 王子様は気難しい

 

 ロシュラニオンが記憶を失って――八年。


 王子は十七歳、クラウンは十八歳になっていた。


 * * *


 城の廊下を、今日も不機嫌そうな顔で歩いているロシュラニオン。


 クラウンは四本のクラブをジャグリングしながら後ろに付き、高らかに声を上げていた。


「ロシュラニオン様~! 今日の予定はもう終わったよー? この間の報告書提出したし貿易路変更したし、それを貿易商人さん達に伝えたし! 剣の稽古は二時間したし、愛馬の手入れも完璧だ!!」


 片腕を背中側に回し、鮮やかにジャグリングを続けるクラウン。


 今日するべきことは終わったと主張する付き人は、指の間にクラブを挟んで芸当を止めた。その右腕は、肩より上へは行かないとは思えない動きをする。


「と言うわけで、俺サーカス団に戻っても良いよな?」


「誰が良いだなんて言った」


「えぇぇぇぇ」


 クラウンは不満を隠さない声で天を仰ぐ。


 道化は腰に付けていたホルスターにクラブを入れると、ロシュラニオンの背中を殴っていた。声は女だと判断させる高さに上がっている。


「なんでなんでなんでー⁉ 私も演目の練習があるの!! 分かる⁉ 綱渡りするんだー!!」


「お前は俺の付き人だろ。あと殴るな」


「付き人にも自由時間があっていいだろ!! もう今日はロシュラニオン様出国も出城もする予定ないし!! 街の見回りは僕で出来るもん! 代わりにリオが来るもん!」


「明日読むべき資料を今日読める時間が出来た。貿易に関してはリオリスよりお前の方がアドバイスが的確だから傍にいろ。以上」


「明日やることは明日やれよ、馬鹿じゃねぇの⁉」


 こめかみに青筋を立て、足を止めたロシュラニオン。彼は振り向き様にクラウンの両手首を掴み、殴るのを止めさせた。


「誰が馬鹿だって?」


「仕事中毒の王子様は馬鹿だっつってんだよ、休養も大事! 立派な王子は休養するんだ!!」


「業務を円滑にする為に前倒しにするだけだろ。俺は仕事中毒じゃない」


「自覚ねぇのかこりゃ驚いた! お医者様! 何処かに優秀なお医者様はおられませんか!」


「クラウン」


 廊下に響くクラウンの声と、地を這うようなロシュラニオンの声。城で働く者達は二人を見て、和やかに微笑んでいた。


 ロシュラニオンのこめかみに青筋が増えていき、王子は素早く剣を抜く。


 手首を離されたクラウンはホルスターからクラブを抜き、金属が打ち合う音が響いた。


 クラブで叩き落とした剣先を踏み、王子の喉にもう一本のクラブを突き込むクラウン。


 ロシュラニオンはすぐさま片腕で道化の腕を払い、両者同時に後方へと距離を取った。


 クラウンはクラブを回し、ロシュラニオンは剣を構え直している。


「ロシュラニオン様~、剣抜くの超絶遅かったね、それでレットモルの狂戦士ベルセルクとか笑えるんですけど!」


「お前の口は余計なことしか言えないのか。一言一言俺の神経を逆撫でしていると気づけよ道化」


「逆に気づいていないとお思いで⁉ 全部計画的言動ですけど!」


「お前に礼儀を叩き込みたくなった」


「ならば私は君に、短気は損気だと叩き込もうじゃないか! 稽古が終わった後で!」


 溌剌と言い放ったクラウンは、至極楽しそうにクラブをホルスターに仕舞う。その軽快な足は窓辺に近づき、手は窓を開け放った。


「じゃあな王子様! 稽古終わったら戻って来るんで、仮眠でもしてな!!」


「クラ、」


 ロシュラニオンが呼ぶ前に窓から飛び降りたクラウン。王子は剣を鞘に納め、深いため息を吐いていた。


「今日も楽しそうだったわね、ロシュ」


 ロシュラニオンの背中側から声をかけたのは、金髪に新緑の瞳を持った美しい女性。微笑む姿は後光でも射しているのではないかと錯覚するほど美しく、王子は眉をしかめていた。


 彼女は美貌と聡明さを持ち合わせ、他国から「魅惑の花」と謳われるようになった第一王女――ランスノーク。


 苛立つ弟を見た姉は、楽しそうに笑っていた。


「二人は本当に仲が良いよね」


「ご冗談を。姉さんがニアを常に連れているから、俺はクラウンを付けるしかないんですよ」


「私のせいって言いたいの? 心外!」


 ランスノークは腰に両手を当て、怒ったような顔をする。斜め後ろに控えているニアは苦笑し、ロシュラニオンは隠さずに肩を落としていた。


「もしもクラウンに不満があれば、俺が第一の付き人に昇格しましょうか?」


 そう、穏やかな物腰で現れた深緑の髪の少年。黄金色の瞳を細めて微笑んでいる彼は、磨かれた礼を王女と王子に向けていた。


「ランスノーク様、ロシュラニオン様、リオリス、参りました」


「リオ、第一の付き人なんて止めときなさいよ。体が幾つあっても足りないわ」


「姉さん、それは一体どういう意味でしょう」


 怒っていたのかと思えば茶化すように表情を変えたランスノーク。


 ロシュラニオンは腕を組み、苦笑する少年――十八歳になったリオリスは、肩から提げた瓶を揺らしていた。


 リオリスはロシュラニオンの二人目の付き人。しゅの付き人はクラウンであるが、四六時中同行することを団長は許していないのだ。


 リオリスはクラウンが席を外す際の補佐であり、自分から第二の付き人になると王達に進言した。


「ロシュラニオン様、目の下の隈が消えてませんよ。少し眠りましょう。良い花を知っていますから」


「ネアシスか」


「はい。兄がいつでも使えるよう育てているので、ちょっと拝借してきました」


 リオリスは笑いながらロシュラニオンに近づき、ランスノークは王子の肩を叩いている。


 それから王女は美しく一礼し、控えていたニアと共にダンスのレッスン室へと歩き出した。


「弟をよろしくね、リオ」


「はい、お任せを」


 軽く手を振ったランスノークにリオリスは微笑んで会釈する。ロシュラニオンは、足を引きながら歩くニアを一瞥していた。


 第二の付き人は執事の動かない右足首を見て、静かに目を伏せる。


 それから彼は、朗らかに笑って見せた。


「クラウンの叫び声が聞こえました。駄目ですよ、ロシュ様。休養も仕事の一部です」


「お前まで……」


 額を押さえて天を仰いだロシュラニオン。リオリスより頭半分ほど背が高くなっている王子を、団員は軽く見上げていた。


「取りあえず部屋に戻りましょうか」


「……そうする」


 ロシュラニオンは嘆息し、リオリスは肩を竦める。付き人は提げた瓶に詰めたネアシスを揺らし、ロシュラニオンは横目に花を確認した。


「レキナリスの容態はどうだ」


「ありがとうございます。今日は新しい美術の相談に乗ってくれるくらい元気なんです」


「そうか」


 ロシュラニオンは視線を自分の足元に移動させる。リオリスは王子に微笑み、自室に糸を張り巡らせた兄を思い出していた。


 ――イリスサーカス団はレットモルの貿易団筆頭として、やはり定期的に国を離れて仕事をしている。それにはクラウンも同行するのだが、リオリスとレキナリスの兄弟だけはレットモルに残り続けていた。


 クラウンがロシュラニオンの付き人になる条件が二つある。


 一つはサーカス団の道化師として貿易業の一端をきちんと担うこと。


 一つは稽古を疎かにしないこと。


 条件を出したのはガラと王であり、友人ではなく付き人を望むクラウンに、サーカス団を手放すことを禁止したのだ。相談無しに道化師に異動したクラウンに、責任感で全てを捧げさせない為に。


 だが、そうなれば道化が望むロシュラニオンの傍にいることが上手くいかなくなる。夜の数時間離れるのではなく、貿易として国を数日離れるのでは訳が違う。


 その穴を埋めるのがリオリスと言う第二の付き人だ。


 彼もロシュラニオンを守る者として控え、クラウン同様王子の剣の鍛錬や仕事の手伝いだってしている。


 そんなリオリスが国を離れないのは、レキナリスの体調を考慮してのことだった。


 レキナリスの体は年々細く衰え、顔色も悪く薄幸的になっている。一回の公演すらまともに出来るか分からない日もあり、レキナリス自身が裏方への転身と、レットモルへの永住を望んだのだ。


 イリスサーカス団が貿易に出ている間、長時間の移動に負荷を覚えるレキナリスは国に残ることになっている。それを危惧したリオリスも共に残ることを望み、今日こんにちに至っている。


 ロシュラニオンは何度かレキナリスに会っていた。微笑む団員はいつも折れてしまいそうな印象があり、作り出す糸の芸術は姿に似合わず力強いとも知っている。


 王子は自室の前に控えている騎士二人を確認し、下がるように合図を送った。


 槍の石突を床に打ち付けることで頷いた騎士達。二人共黒い短髪と赤い瞳を持つレットモルの民であり、八年前と同じ顔触れだ。


 つい数時間前にロシュラニオンと手合わせをし、顔や腕に青あざ、切り傷がある二人。


 彼らは王子が自室に付き人と入るのを見届け、肩から力を抜いていた。


「俺らより強くなっちまったロシュラニオン様……感慨ぶけぇなぁ」


「黙れルリノ」


 第二騎士団所属、ルリノとダンヴェンは廊下を歩き、可愛らしく自分達に挨拶していたロシュラニオンを思い出す日々であった。


 ――ロシュラニオンが剣客に目覚めたのは十四歳。貿易路が荒らされていた為に第一騎士団が制圧に向かい、それに自分も向かいたいと王子は進言した。


 勿論周囲は大反対をしたが、クラウンとリオリスが同行することで許可が下り、相手軍の殲滅の六割をロシュラニオンが行ったことをきっかけとした。


 その後騎士団に席を置き、剣技大会や貿易路の死守討伐に向かえば、誰よりも血を浴びてきたロシュラニオン。


 彼は十六歳で目標であった総騎士団長へと上り詰め、戦場に立てば「狂戦士ベルセルク」の名を与えられた。


 高々数年で、と思う者もいるだろう。


 しかしこの結果は、血が滲む等という言葉では足りない努力を王子が繰り返したからであり、彼は自分の幸せ計画書に沿って歩み続けたのだ。


 ロシュラニオンは上着を脱ぎ、机の上の資料を持とうとする。それを奪ったリオリスは笑い、王子は眉を痙攣させた。


「リオリス……」


「仮眠してください、ロシュ様」


 リオリスは資料を整えて王子をベッドに放り投げる。


 軽々と自分が投げられることに王子は唇を結び、キノの非力さに辟易した。


 付き人は鼻歌でも歌いそうな雰囲気でネアシスを花瓶に生けている。水の量を花瓶半分程度にして、本数を調整しながら。


「ロシュ様、最近寝つきはどうですか? ネアシス増やします?」


「……それでいい、十分だ」


 諦めたロシュラニオンは目の上に腕を置く。それだけで彼の体は重たくなり、ネアシスの香りはそれを助長した。


「リオリス、クラウンの稽古はいつ終わる」


「そうですね……まぁ、大体二時間もあれば、あの子なら」


「……長い」


「寝れば一瞬です」


 ロシュラニオンは片手で額を押さえて嘆息する。リオリスは、赤い瞳が濁っている王子を一瞥して、部屋の冷たさに気付いていた。


 物理的に冷えているのではない。雰囲気が冷たくなるのだ。道化師が離れれば、この王子は。


「大丈夫、クラウンの頭の中はいつも君でいっぱいだよ、ロシュ」


 リオリスは柔らかな声で王子を諭す。ロシュラニオンは深く息を吐き、緑髪の付き人に言っていた。


「何が言いたい」


「んー、何だろう」


「リオリス」


「独り言ってことでさ、見逃して?」


 砕けた口調のリオリスは、ロシュラニオンを見て苦笑する。王子は眉間に皺を寄せたまま黙り、緩やかに言葉を濁した付き人を追求しないのだ。


 付き人は俯き加減にベッドに腰かけ、顔を隠している王子に言葉を送る。


「おやすみロシュ。傍にいるから、ゆっくり寝ると良いよ」


「……仕事」


「休養も仕事だから」


「……二時間で起こせ」


「仰せのままに」


 覇気が薄れた声を最後に、ロシュラニオンからは寝息が聞こえ始める。


 リオリスは王子に布団をかけ、今頃綱から落ちているクラウンを思っていた。


「……難しいなぁ」


 ――ロシュラニオンには九歳から前の記憶が無い。


 それはつまり、彼が彼であるという証拠が本人の中に無いと言うことだ。


 知識でそれは証明されない。


 記憶が無ければ駄目だったのだ。


 不安定に白紙になってしまった少年を肯定したのは、一人の道化師。


 それはロシュラニオンに必要なことだった。


 必要としてしまった、ことだった。


「僕もクラウンと一緒に付き人になるって、もっと早く決断してたら良かったかなぁ……」


 リオリスの呟きは誰も聞かない。


 少年は自分の兄を思い、王子を思い、道化師を思うことを、止めることはなかった。

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