第8話 きちんと言わねば分からない

 

 アスライトはロシュラニオンが起きたその日に高熱を出し、三日三晩まじないが切れた時の痛みと流血に苦しんだ。


 いや、「苦しんだ」などと言う言葉はアスライトを軽んじた表現となるだろう。


 少女は右目の空洞から続く出血と頭を割るような痛みに苛まれ、高熱による寒気に唸り続けた。


 無痛と止血のまじないは回数を重ねるごとに耐性が着いてしまう為、効きが悪くなった頃合には嘔吐してしまう程だ。


 だがそれ以上に少女を窒息させようとしたのは、意識朦朧とした中で耳にした団員達の声である。


 サーカスの花形がミールを責める声。


「どうして了承したの! あの子はまだ幼いッ、なのに片目を奪って、誓いだなんてッ!」


「あの子自身が望んだことだ。口を挟むなピクナル」


「ミール!!」


 道化師が団長と話す声。


「アスライトはどうしますか? 片目が無い以上、もう……」


「――分かってる」


 リオリスが苦しそうに泣いている声。


「アス、アス……無茶だよ……無茶、しないでよ……」


 団員達は代わる代わるに薬草を煎じて、少女の苦痛を和らげようとした。ミールはアスライトに耐性が出来ても無痛のまじないをかけ続け、その頬は殴られて腫れている。


 アスライトは顔に冷やされた布を乗せ、意識が戻るたびに謝り通した。震える声で。布団に縋りながら。


「ご、めん、なさぃ。わたし、ごめん、なさい。め、わく、かけて……」


「アスライト、良いから。大丈夫、眠りなさい」


 サーカス団の花形――ピクナル・ドールは濡れタオルを変えてやりながら目を伏せる。玉乗り担当、ロマキッソ・ロンリーと共に。


 プモンと言う種族のピクナルの体は、水の集合体のような麗しさである。青く柔らかな体にドレスを纏った花形は弾力がある髪の一部を伸ばし、アスライトの額を撫でた。


 プモンは水を操る種族であり、氷を操る種族の次に体温が低いことで有名だ。


 その冷たい体は濡らした布よりも確実にアスライトの熱を吸い取り、体温を奪っていく。


 対するようにピクナルの毛先は沸騰していき、徐々に水からお湯へと変化していった。そうすれば花形は髪の一部を蒸発させるのだ。


「ぃや、だ、なるねぇ、それ……い、ゃ……」


「子どもが気を使うものじゃないわ。水を飲めば戻るから気にしないの」


 ピクナルは呟き、ロマキッソは小刻みに震えながら長い耳を両手で掴んでいる。


 シュプースである彼の耳は遠くの音まで拾うことが出来る。それは拾いたくない音まで拾うことが多々ある為、彼はいつも両手で耳を握っているのだ。


 二人の姿形はキノとよく似ており、五指ある手でロマキッソはアスライトの手を摩っている。


「アス、昨日より熱が上がってるから、寝なきゃ。ね?」


「ろま……ごめん、ごめ、ん、ごめんな、さぃ」


「アス……」


「……らに……」


 アスライトは譫言うわごとを呟きなが謝り続ける。謝って、謝って、謝って。一番謝りたい少年には届かない謝罪を口にする。


「ッ……ごめん……」


(起こしてごめん。守れなくてごめん。手を離してごめん。勝手な誓いを立ててごめん。ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめんなさい、ごめん、ごめんなさい――ラニッ)


 謝る少女はまた眠る。左目からは涙を零し、体を蝕む熱に耐え。


 リオリスは廊下で、うつむくレキナリスと手を繋いでいた。


 ――三日経って熱が下がると、ガラはアスライトのベッドの脇に座った。


 少女に医療用の眼帯をつけてやった団長は、アスライトの左目を見つめている。


「アスライト、自分がどういう選択をしたか分かっているか」


 ガラに手を握られているアスライト。


 少女は自分の手を見下ろし、静かな声を落としていた。


「勝手なこと、した」


「それだけじゃない」


 ガラは強くアスライトの手を握る。アスライトは奥歯を噛むと、ガラの言葉を受け止めていた。


「片目を無くすということは、遠近感や平衡感覚に影響を与える。肩がイセルブルーの影響を受けているだけでも支障が出ているのに、ここで右目まで失ったお前は公演だけでなく、日常生活だって困難になるだろ」


「……難しくなるだけだよ。練習すればいい。慣れればいい」


「布を掴めなければどうする。体にどれだけ青あざを作る練習を繰り返す。片側の視界が無いのは普通に生活するのだって、」


「じゃあラニを見殺しにすればよかったの?」


 青い少女は鋭く団長の言葉を遮る。


 なんとか感情を堪えた少女の肩は震え、左目は団長を睨み、今にも暴れ出しそうな気迫さえあった。


「誰もそんなことは言ってない。子どものお前が背負うべきものではなかったと言っているんだ」


「今更そんなこと言ったって私の右目は戻らないし、視界は変わらないじゃないか」


「アスライト」


「覚悟もした。誓いも立てた。それでラニは起きた。死ななかった。それじゃ駄目なの?」


 アスライトは泣き出しそうな顔でガラを見つめる。団長は眉間に皺を寄せると、苦渋を飲む顔で少女を見返した。


「お前はどうなる、アスライト」


「私は、」


「片目を無くし、誓いを立てたお前はどうなる」


「……」


「誓いについてはミールに聞いた。ロシュラニオン様の友達にならないと言う誓いを立てた以上、お前はもう、彼の傍には」


「友達じゃなくていい」


 アスライトは震える言葉を返す。それにガラは口を閉じ、少女の手を握り締めた。


「友達じゃなくていい。ラニを守れなかった私が、友達なんて名乗れる筈ない。団員と観客であれば、あの子がまた笑ってくれさえすれば、それで良い」


「……アス、誰もお前を責めてない」


「責めてくれなくても、私が私を責めるんだッ!」


 アスライトは勢いよくガラの手を振り払い、団長は目を丸くする。少女は力強くベッドを降りると、ふらついた体を嫌悪しながら自立した。


「大人は、みんなそうだ! 王様も、王妃様も、団長も! みんな私は悪くないって、謝ることはないから謝るなって! 私が悪いのに! 私はラニを助けに行ったのに、油断してやられた! 守れなかった! 立ち上がれなかったッ!」


「アスライト」


「分かんないよ! なんで私は悪くないってみんな言うのさ! お前が悪いって言って欲しいのに、叱ってほしいのにッ」


「ッ、」


「私はラニに謝りたかったんだ!! ごめんって、ごめんなさいって、怖い思いさせてごめんって! 今度はちゃんと守るから、傷つけさせたり、しないからッ! ラニにまた笑って欲しくて、幸せでいて欲しくて、だから、死んでほしくなくて!!」


「アス……」


「だから、ラニを起こす為なら右目だってあげられた。誓いだって立てたッ、あの子が世界を怖がらないように、楽しみにしてた世界を見られるように! その為なら私は、あの子の友達じゃなくていい。盾でいい、なんでもいいッ!!」


 ふらついたアスライトをガラは支えようと手を伸ばし、それを少女は拒絶する。


 団長は拳を握ると、少女を抱き締めるのではなく、叱らなければいけなかったと後悔するのだ。


 だから彼女は自分で自分を叱ってしまったと。自分で解決しようとさせてしまったと。


 ガラは奥歯を噛み、アスライトを見下ろしていた。


「それでも、お前の選択は褒められない」


「言うこと聞かなかったから?」


「そうだ、駄目だと俺達は、」


「どうして駄目かは言わなかった。駄目だってだけでッ」


「どうしてそれで分からない!」


「分かんないよッ! 言われてないことを読み取れる程、私は大人じゃない!!」


「アス!」


「団長」


 頭を抱えたアスライトに手を伸ばしたガラ。


 その間に緑頭の団員が入り込み、会話を止めさせていた。


「ッ、リオリス」


「……声、大きくなってる。ロマが不安がってたよ」


 ガラは口を噤み、手を脱力させる。リオリスはアスライトの手を握り、団長を見上げていた。


 赤い瞳を揺らした団長は行き場を無くした手を震わせ、ゆっくりと肩から力を抜いていく。


「――すまない、アス、リオ」


 大きく節のある手でアスライトとリオリスの頭を撫でたガラ。その手に、愛情と謝罪の意を込めて。


 団長はそのまま部屋を後にし、緑髪の少年は振り返った。


 そこでは――奥歯を噛み締めて涙するアスライトがいる。


 リオリスは少女をあやすように抱き締め、背中を一定のリズムで叩いていた。


「アス――頑張ったね」


 その言葉が、アスライトの呼吸を楽にするから。


 少女は少年に縋りつき、声を上げて泣いたのだ。


 膝から崩れ落ちるアスライトを支える為にリオリスもしゃがみ、二人は床に座り込む。


 アスライトは左目から涙を流し、堪えられない声を吐き続けた。


「なんで駄目なの、なんで、だって、ラニ、あのままだったらッ」


「……起きなかったと、思うよ。アスが副団長と動かなかったら」


「なのに、なんで、なんで、ラニ、何も覚えてないの。誰だよッふざけんな、ふざけんなッ!」


「アス、」


「なんで、副団長、怒られたの! 私が、私が全部、悪いのにッ、守れなかった私が、勝手な、私が!」


「アスは……責められたいの?」


「違うッ!!」


 リオリスに縋り怒鳴るアスライト。少年はそれに顔をしかめることもなく、黙って少女の背中を撫で続けた。


「――謝らせて、欲しかったッ」


 王は言った。悪いのは守れなかった大人なのだと。


 王妃は言った。どうか頭を下げないでと。


 団長は言った。お前が背負うものは何もないと。


 団員達は言った。貴方は出来ることをやったのだと。


 それがアスライトから呼吸を奪い、酸欠にした。


 誰もが優しく少女を守り、慈悲ある思いでなだめていた。


 それが、真綿で首を絞めているとも知らないで。


 彼ら大人は気づかない。子どもから謝る機会を奪っていたと。誰も謝らせようとしなかったと。


 アスライトはただ謝りたかったのに。謝って、友達だった少年と、手を繋ぎたかっただけなのに。


 だから少女は自分で自分に罰を与えた。二度と友達にならないと自分に誓い、それで大切な王子が起きるならそれで良いと、自分の心を殺したのだ。


「なんで、ごめんなさぃって、誰も、言わせて、くれないの――受け取って、くれないのッ!!」


 アスライトは泣いた。これでもかと泣き続け、リオリスの肩を濡らしていく。


 少年は目を伏せると、少女の言葉一つ一つに相槌を打っていた。


 怒りと悲しみが混ざり、溶けて、アスライトの涙として流れ出る。


 リオリスは少女を強く抱き締めて、彼女が泣き止むまで、その力を緩めることはなかった。


 * * *


 翌日。数本の花を包んで城を訪れたアスライトは、泣き腫らした左目と眼帯をした右目を前髪で隠そうとしていた。


 その花束は友達としてではなく、サーカス団代表として持ってきたものだ。


「ニア、さん……ラニ、どう?」


 不安気だったアスライトの足が、ロシュラニオンの部屋に辿り着く。


 廊下に控えていたニアはアスライトの目を見て口を結び、ゆっくりと膝を折っていた。動かない右足首に気を使いながら、出来るだけ自然な動きが出来るように。


 アスライトと目線を合わせ、白い手袋を外したニア。彼の手はアスライトの右肩に触れ、その温かさが少女の呼吸を楽にしていった。


「王達がお傍に。呼吸は落ち着き外傷もありません。悪意ある魔法の形跡も見受けられなかった以上、何か精神的なものが影響していると考えています」


 アスライトはニアの言葉に一瞬黙る。


 ロシュラニオンの記憶喪失に関して、ミールは何も話していないのだ。


 三つの真実を見るコルニクスさえ、王子が起きるまで気づかなかったのろいの跡。それをキノや他の種族が見つけられる筈もないと、副団長が呟いた姿を踊り子は覚えている。


「――そっかぁ」


 アスライトの視線が下がる。ニアは少女の赤く擦れた目の下を撫で、穏やかに口角を上げていた。


「アスライト、私の目を見れますか?」


「……ん」


 青い瞳を前に向け、ニアの赤い瞳と視線を合わせたアスライト。


 ニアは穏やかに微笑み、少女の青い髪を撫でていた。


「貴方がそのような顔をしては、王子の気持ちも晴れないまま。ですから笑っていてくれませんか。いつも王子の手を引いてくれていた貴方の笑顔は、私達城で働く者にとっても癒しになっているのですから」


「……知らなかった」


「初めて言いましたから」


 ニアは膝を払いながら立ち上がり、最後にアスライトの頭を叩くように撫でる。少女は目を細めると、ぎこちなくも微笑んだ。


「あと、ニアで良いですよ。貴方に敬称を付けられると落ち着かないので」


「ッ、うん!」


 アスライトは目元を染めて笑い、ニアと、共に控えていた騎士は息を吐く。


 その時室内から扉が開けられ、三人は反射的に開けた者を見た。


「アス、いらっしゃい」


 顔を覗かせたのはランスノーク。王女は微笑み、ニアは直ぐに扉を押さえた。


「入って。ロシュ、ご飯も食べられたし、話も出来てるんだ」


「い、いいの?」


「アスだもん、良いに決まってるよ」


 ランスノークは微笑みアスライトの腕を引く。


 青い少女は花束を握り締め、ざわめく心中に気付かないふりをした。


 ロシュラニオンが叫び、意識を飛ばした光景がよぎってしまう。


 立てた誓いが少女の中でくすぶっている。


 ――友達にならないって……お話も、駄目、だよね?


 ――友達をお前がどう定義するかによる。盾になろうが何になろうが、話すことはあるのではないか


 王子を起こしに行く時、ミールと空中でした会話が少女の脳内で反響する。


「ロシュ、アスが来てくれたよ」


 ランスノークは、ベッドで上体を起こしている弟に呼びかける。


 王妃に手を握られていたロシュラニオンはゆっくりと顔を動かし、アスライトと目が合った。


「……これ、サーカス団から、お見舞い」


 穏やかに微笑んだアスライト。


 けれども、今の少年に笑顔は浮かばなかった。


 顔から血の気が引き、頭を抱えたロシュラニオン。


 呼吸は激しく荒くなっていき、額から玉の汗が流れていく。


「ぁ……あ、あッ」


「ら、らに」


 アスライトの口角が震える。少女の手からは花束が落ち、王は「ロシュラニオン」と息子の背中に手を添えていた。


「その、色ッ」


 ロシュラニオンの赤い瞳が酷く揺れる。


 アスライトの頬からは冷や汗が流れ、苦しみ呻いた王子の姿に視界が滲む。


 少女の鼓膜を揺らしたのは、ロシュラニオンの叫声きょうせいだった。


 アスライトの視界が歪む。


 部屋に飛び込んだニアや駆け出したランスノークの背を見つめ、青い少女の足は後退した。


 ロシュラニオンは泣いている。


 頭を裂かれそうな痛みに涙する。


 アスライトは心臓が破裂しそうなほど血液が循環させられるのを感じながら、ベッドに倒れこんだロシュラニオンを見つめていた。

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