第2話 骸骨魔女の遺品窟 2

 ドアの先には、薄暗い道があった。

 地下なのだろうか? 光源は、壁に設置されてあるランタンのみ。しかも、そのランタンは僕の知っている物とはどれとも違い、それ自体が光を放つ小石のような物を使っているようだ。


「おお、ファンタジー」


 僕は思わず、にやりと笑みが深まった。

 これだよ、これ。いいね、現実世界にはあまり見かけない、性質の物体。それらを見つけながら、どんどんとこの薄暗い道の先へと行く。実に冒険者らしい。


「ほうほう、これは…………岩、ではない、かな? なんだこの妙に冷たいクリーム色の壁」


 僕はまず、か細い光源で照らされた範囲を探索してみることにした。

 まず、天井から壁、床に至るまでクリーム色の素材に何か。壁から天井との境や、床と壁との境があいまいであり、丸っこいのでまるで自然にできた洞穴のようだった。これが人工物であるのか、それとも、このクリーム色の何かを掘り進めて出来た道なのかは、学者でもない僕にはわからない。

 ただ、壁を削り、光源であるランタンを置くスペースを作ってあるあたり、何者かの手が加わっていることは確かだ。

 この先には、何かある。

 好奇心が、僕の歩を進ませる。

 幼い頃に諦めた冒険心が、疼き、この先の道を求めて。


『カカカカカッ』

「…………え?」


 そして、僕はそいつに出会った。

 人体の骨格標本のような、一切の肉を纏わぬ死者の成れの果て。

 一体、なんの意味があるのか、革の胸当てだけをがらんどうの体に身に着けて。その骨だけの右手で、さほど長く無い刀身の剣を携えた化け物。

 骸骨剣士。そう、呼ぶにふさわしい化け物が、僕の眼前に立ち塞がっていた。


「ひゅ、あ」


 喉から吐息が漏れる。

 浮かれ気分だった僕の脳裏に、氷柱をぶち込まれたかの如き悪寒が走る。

 非現実の化け物。

 それが眼前に現れたことで、それを望んでいたという癖に、僕は臆した。みっともなく、馬鹿馬鹿しく、物語によくいる犠牲者役であるエキストラの如く。

 …………それでも、その骸骨剣士が、のろまであったのならば、あるいは、ゲームや漫画に出てくるような、ありきたりな雑魚としての行動を取ってくれたのならば、その時の僕でも、悲鳴をあげながら逃げる程度のことは出来たかもしれない。


「なん――――がっ」


 骸骨剣士の行動は早かった。早く、それでいて、速い。

 するりと、無駄のない動きで僕との距離を肉薄したかと思うと、生前の技量を連想させる美しい構えと共に、剣が横薙ぎに振るわれて。

 直後、ずばん、という軽快な音の後に、ごん、という鈍い衝撃音が僕の頭を揺らした。

 それが、首を刎ねられたと気づくのは、無様にも、リスポーンした後の出来事で。

 冒険だと意気込んだ癖に、敵対者の前で武器を構えることも、逃げることもできずに殺されたのが、僕の最初の死だった。



●●●



 死からの蘇生は、究極の違和感だ。

 微睡みに沈んだ心地よい眠りから、強制的に叩き起こされるときの、あの不快感を数百倍ほど高めた物を想像してほしい。大体、そんな気持ち悪い感覚が、全身を襲うのだ。


「が、ぎ、ぎゃ、あ、あ?」


 パイプ椅子から転げ落ち、無様に尻を打ち、呻いたかと思うと、慌てて自らの首を両手で確認する僕。

 ある、確かに、ある。

 骸骨剣士によって、斬り飛ばされたはずの僕の首が、ある。


「うひっ。ひ、ひひひ、ひあ?」


 頭がおかしくなってしまいそうだった。

 もう痛みなど無いはずなのに、首が途轍もなく違和感を発して、何度も、何度も、自分で自分を絞めるほどに首を触っても、その違和感は消えない。

 加えて、時折、味わった初めての死の鮮烈さに吐き気を催して、何度も、その場で黄色い胃液をぶちまけた。涙を流した。尿も漏らした。あらゆる醜態をさらしてなお、死という体験はなお、僕の心を苛む。まったく、楽になってくれない。


「…………なんだ、あれ?」


 ようやく僕がまともに呼吸できるようになったのは、体感三十分、あるいは、一時間ほど経ってからのことだった。

 時間が不正確なのは許して欲しい。何せ、この部屋にも武器庫にも、時計という物が存在しないのだ。僕にはもう、正確な時間を測る術は存在しない。


「は? え? 死に戻り? え? これが噂の? え? それとも蘇生? 時間が巻き戻る系? リスポーン系?」


 この時の僕は混乱の極みにあった。

 何せ、死んだと思ったら生きている上に、みっともなく喚いて生を謳歌することが可能だったのだ、頭がおかしくなるぐらい混乱するのも仕方ない。いや、何度か死に戻り系のラノベやアニメを楽しんできた僕であるが、まさか、死ぬのがここまで辛いとは思わなかった。死んで、蘇生した後もこんなに辛いとは思わなかった。

 その後、僕は「やべー、マジやべー、無理だわー」と呆然と呟きながら、自分の身に起こった出来事を検証。その結果、とりあえず、部屋の物や武器庫のマニュアルなど、動かした物がそのままの位置にあったりしたので、とりあえず、リスポーン系だと仮定。その後、机の上に置かれた紙を改めて読み直して、「多分、何回でも死ねるよ! ってことなのか」と、この試練の条件を確認。


「………………うん、無理だ、これ」


 そして、諦めるのは自由と書いてあったので、即座にボタンを押して諦めようとした。

 いや、いやいやいや、情けないと思うかもしれないし、実際、情けないかもしれないが、これでも自分は割と諦めが悪い方だと自負している。ゲーセンのUFOキャッチャーでは、目的のぬいぐるみを取るまで呻きながら連コインを決めて、憐れに思ったゲーセンの店員さんがぬいぐるみをプレゼントしてくれるまでチャレンジするぐらいには諦めが悪い。

 だが、これは駄目だ。

 死ぬのは、駄目だ。辛すぎる。

 無理だ。例え、死んでも蘇生されるという保証があったとしても、僕には無理だった。そんな心の強い人間ではなかった。死を乗り越えるなんて不可能だった。もう、一度たりとも死ぬのは御免であり、冒険などと浮かれた気持ちであっけなく死んだときの僕自身を心底恨んだ。

 残念ながら、僕の冒険はここでおしまい。

 身の程知らずが、ようやく自分の程度を思い知ったらしい。

 さぁ、さっさと日常に帰ろう。これからは、分相応な願いと夢だけを抱いて、安全が保障された日常へと帰ろう。


「いや、待て。諦めるって。つまり、どういうことだ?」


 だが、ボタンを押す直前で、僕はふと疑問を覚えた。

 僕は無意識に諦めることが、イコールで日常への帰還だと思っていたが、それは本当だろうか? 勘違いではないだろうか? 何せ、僕はもう『一回死んでいる』のだ。つまり、生きていること事態が世界の理としては間違いであり、正しいのは死んでいる方だ。

 これがもしも、諦めるという意味が、日常への帰還ではなく、『死を受け入れる』という意味であったのならば? 考えすぎかもしれないが、その時の僕は、何もかもが恐ろしかった。

 ボタンを押すのも、死ぬのも、生きるのも恐ろしくて。


「うう、ううっ! うー! うー!」


 どうしてこうなったのか? 何故、あの時、冒険することを選択してしまったのか? 過去の自分の所業に頭がおかしくなるほど憎しみを抱き、駄々っ子の如く、何度も地団駄を踏み、壁に拳を叩き込んで、拳を痛める。

 無様極まるとはこのことだ。

 僕が憧れていた冒険小説の主人公たちだったら、こんな醜態は晒さないだろう。でも、僕は凡人だ。なんの取り得もない、ただの男子高校生だ。

 だから、悩みに悩み、苦しみに苦しみ、死の恐怖に怯え――――結局、何も出来ないまま、時間は流れて、脱水症状によってすさまじく苦しい二度目の死を僕は迎えた。



●●●



 決断と共に、試練に立ち向かえる人間を尊敬する。

 恐らく、僕と違って、本当に素質のある人間というのは、死を恐れず、乗り越えて、それよりも先にある未知を求めて、突き進んで行くのだろう。一般的に考えて、冒険という物に心を奪われた狂人の如き思考でも、僕にとっては羨ましい限りだ。


「…………やるしか、ない、よな」


 僕が前に進むことを決めたのは結局、恐怖に背中を押された所為だった。

 だって、怖い。死ぬのはとてつもなく怖い。怖いが、何もなく消えてしまうよりは、まだマシに思えたから。ようやく、それを決断出来て、僕は武器を取り、骸骨剣士へ立ち向かうことにした。


『カカカカカッ』


 最初の三回は、最初と同じく、何もできずに殺された。

 四回目以降は目が慣れた。ようやく慣れたので、一撃、二撃ぐらいは避けたり、何らかの武器で受け止められるようになった。

 間合いの問題を考えて、骸骨剣士が持つショートソードよりも長い間合いの槍を選んだりして見たが、取り回しが難しく、突きも軽々と避けられるので辞めた。そもそも、重い武器を選ぶこと事態が間違いであることに気づくのは、もっと先の出来事だ。


「これ、ならっ!」


 僕が進むべき道の幅は、おおよそ五メートル程度。高さはよくわからない。少なくとも、槍を振り上げても天井に引っかからない程度には高い。

 これぐらいに制限された場所ならば、銃撃が有効ではないだろうか? そう思い、僕は幾度かの射撃訓練を経た後、拳銃による骸骨剣士の狙撃を敢行した。

 まず、僕の腕力や握力では大口径の拳銃など取り扱えないので、出来る限り扱いやすい物を選ぶ。それでも、撃った瞬間の動きでぶれる。当たらない。軽々と斬られて、死ぬ。そんな失敗を何度か繰り返した後、ついに、手ごたえを得る射撃を成功させた。

 反動を制御など出来ないし、試行錯誤による幸運の産物だろうが、僕の放った弾丸は見事、骸骨剣士の下へと届いた。

 ――――かぁん。


「…………は?」


 届いただけだった。

 銃器。

 僕らの世界の科学の結晶。

 数多の戦士たちの技を過去にして、お手軽に誰でも人を殺せる力を手に入れられる頼もしい武器。音速に近しい鉛の塊が、敵対者の血肉を穿ち、相手を死に至らしめる凶器。

…………でも、よく考えてみて欲しい。

 僕の敵対者にして、怨敵である骸骨剣士だが、奴に血肉はあるか?

 ――無い。

 筋肉も無い癖に、僕よりも力強く。軽々と僕の骨すら立つ剣技を実現させるあの骨。それが、通常の人体の骨と同様に、小口径の銃弾でも破壊可能な物だろうか?

 ――傷つけることすらできなかった。


『カカカカカッ』


 骨同士が小刻みに当たる音が、まるで骸骨剣士の哄笑のように響く。

 振るわれる剣は、目視可能な小手調べの者ではなく、骸骨剣士が本気で振るう目視不能の一撃。それにより、僕は拳銃を構えたままの愉快な恰好で首を刎ねられて、再び、死んだ。

 都合、二十一回目の死だった。


 これは、科学の敗北ではない。

 僕の敗北だよ、ファンタジー…………と、僕はリスポーン地点であるパイプ椅子の上で、小さく呟く。

 まったく、みっともないにもほどがある負け惜しみだ。

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