一歩と責任

 渦の中に見えた澄んだ空が、今は俺の上にある。

 澄んだ空に見合った澄んだ風が、俺を迎える様に吹き荒れる。

「これは良い…」

 深呼吸をする。うん、どうして中々、気持ちの良い風なのだろう。

「で、お前はどうしたい?」

 腕の中に抱える女に訊ねる。

「…もう帰れないのかしら?」

「帰れないな」

 三つの願い事で彼女を帰すように頼む事も可能だろうが、それじゃあ意味が無い。

 俺がそれを言い出さない事を知っているからこそ、天照大神は三つの願い事を交換条件に出してくれた。

「土の妖精、小さな家を作ってくれ」

 指輪に宿る妖精に、建物を作る様に指示を出す。女がどうしたいかはわからないが、先ずは治療をしなければならないだろう。

 様々な箇所に骨折が見受けられる。

「これは?」

「お前の寝台だ。何をどうするにしても、先ずは身体を休めないとな」

 妖精達がせっせと土を象り、一つの家が生み出された。

 しまった。家の中の家具は土の妖精ではどうしようもない。土では柔らかな寝床は造れない。

「女を固い床に寝かせるのは忍びないが、これで諦めて欲しい」

 俺がいつも使っている寝袋を、敷き布団代わりにして、その上に女を横たわらせる。

「…いえ、十分だわ」

「すまないな。君の身柄に関しても俺が決めてしまって」

 せめて、女が何不自由なく暮らしていける様になるまで、面倒を見なければならない。

「一つ、聞いても言いかしら?」

「何でも聞いてくれ」

 答えられる物なら何でも。

「もし、貴方が私の身柄を確保しなかったら、どうなったのかしら?」

「どうなった…か。少なくとも、普通の生活は出来なかっただろうな」

 普通の生活から逸れてしまうという事はわかる。それ以上にどうなるのか、正確な事まではわからないが。

「殺される可能性は?」

「見殺しにされる可能性はあっただろう

 …というよりも、俺があの場に居なければ、異形の怪物によって、お前は命を落としていた筈だ」

 そもそも俺が割って入らなければ、女は異形の怪物に嬲り殺しにされていただろう。

「そうね。…ありがとう」

「偶然にも助けてが聞こえたからな」

 声が聞こえたから、そして助ける力があったから助けただけだ。

「本来、俺が都合良く神々と出くわすなんて事はあり得ないんだ

 それに、お前の記憶は神の力で消すことが出来ない

 きっと、異形の怪物も、お前が殺されてから倒すつもりだったのだろう

 …俺が神々の予定を狂わせたとも言えるな」

 俺は神を殺す事が出来る。世界の均衡を壊す程の力を持っている。だから仕事でもない限りは、神々も俺に近寄ろうとはしないんだ。

「貴方は、あの超常の存在に出会った事があるのよね?」

「そうだな」

 隠す必要はもう無い。

「…少し、考える時間をくれないかしら?」

「わかった」

 いきなり別世界に連れて来られて、今すぐに身の振り方を決めろというのも酷だ。

「俺は周りを散歩してくる。結界で囲んでおくから、取り敢えずは大丈夫だろう」

 害獣や魔獣、魔物や精霊、心霊、俺が知らない理の存在も居るかもしれない。

 屋敷の外には念入りに結界を張っておくとしよう。

 その昔、親しかった結界師に教わったキワモノの結界を作成した。

 …ついでに認識阻害の結界も張っておこう。

 それから、魔法陣を土の建物を取り囲む様に描き、罠も置いておくとしよう。

 魔法陣を踏むと、鎖が飛び出して踏んだ者を拘束する。鎖はかなりの特別製だ。

 女の身を護る術は念入りに仕掛けたし、問題も無いだろう。ちょっとばかり遠くまで行ってみよう。

 俺が最初に足を置いたのは、見晴らしの良い緑に覆われた丘だった。認識阻害をしなければ、赤の他人から丸見えだ。

 …だが、どうしてかは知らないが、丘から見える場所に人らしき者は居なかった。

 もしかしたら、人の居ない世界なのかもしれない。

 いや、魔法を使うだけの知能がある存在は居るのだから、人型でなくとも対話は出来る存在が居るはずだ。

 歩きだそう。丘から眺めているだけでは、何もわからない。

 土の建物から垂直に、ひたすらに直線に歩いた。草原の先に森がある事だけがわかった。

 動物に出会う事は無かった。

 …これは少し奇妙だ。こんなに綺麗な草原の上で、動物を一匹たりとも見かけないなんて。

 いや、最初から気が付くべきだったな。この草原は誰かが手入れをしているんだろう。

 恐らくは神々の誰か…

 誰かまでは俺にはわからないし、知る必要も無い。

「…誰だ?」

 何者かの気配がした。気配に問い掛けてみる。

「こんにちは。アードラ」

「こんにちは。この世界の神様かな?」

 俺の問い掛けには答えて貰えなかったが、姿を現してくれた。

「そうだ

 我の名はミズガルド、この世界の最高神だ

 覚えておくが良い」

「…態々、一人間の為に最高神が来てくださるのですね?」

 俺は神じゃないし、何より世界の頂点が挨拶に来る事が異常事態だ。

「殺しの因子を受け継ぎ、最強の名を手にする自由人よ

 自身を低く見る物では無い」

 ミズガルド様は俺を諭す様に言った。

 そうやって買い被ってくれるのは有難いが、俺に最強の名は重過ぎる。

 全ての存在を殺せるが、それに意味は無いのだから。

「ええい、困った様な顔をするでないわ!

 最高神の言葉じゃぞ!?

 それが受け入れられぬと言うのか!?」

「あ、ああ、いえ、そうではないのです」

 つい顔に出てしまっていたらしい、ミズガルド様の機嫌を損ねてしまった様だ。

「では何だと言うのだ?

 …申してみよ」

 ミズガルド様は髭を生やした威厳のある顔を、俺の顔に付き合わせてくる。

 有無を言わさない貫禄がある。…流石は最高神と言った所か。

「私は自由を謳歌しているだけでなのです

 最強は求める者にくれてやれば良い」

 人々や神々は俺を最強だと信じて止まないが、別に俺は最強を名乗った事も無ければ、その称号を振り回した事も無い。

 世間一般が最強だと言う称号を与えても、俺はそれを身に付けない。

「ククク…

 最強の称号は人に与えられる物では無いわい

 アードラが名乗らずとも結果は変わらぬ」

 面白そうにミズガルド様は言った。俺はちっとも面白くない。

「まあ良い

 そんなお前に何か一つだけ与えてやろう

 何が欲しい?」

 俺の想いを読んだかの様に、ミズガルド様は訊ねてきた。

 何が欲しい…か

 何かあるか…?

 俺が困っている事は殆ど無い。

 これから、何かで困るとも思えない。

 となると、俺以外の事柄になる訳だが…

 ああそうだ、あの女に元の世界と同じ様な生活水準を与えてやりたい。

「前の世界と同じ水準の生活を、彼女に与えてやってはくれませんか?」

 そう言うと、ミズガルド様は変な顔をした。

「アードラに、でなくて良いのか?」

「ええ。私は困ってませんから」

「あいわかった

 言い出したのは我だからな

 如何様な願いでも叶えてやるとしよう」

 ミズガルド様はあまり面白くなさそうな顔をしながら、手元に光を集めた。

 その光はやがて腕輪になった。

「この腕輪は必要な家具や家が出てくる

 好きに使うが良い」

 ミズガルド様は腕輪を差し出してくる。

「…こんなに便利な物、貰ってしまって良いのでしょうか?」

「構わぬ

 この世界に来た餞別だと思え」

 これは有難い。

 俺が勝手に彼女の身柄を決めてしまった。

 今も土塊の上に布一枚という形で横になっている。

 そんな環境をあっさりと脱却出来る物だ。

「…あの女への責任か?」

「ええ、ありがとうございます」

 助けたのだから、最後まで面倒を見る。

 助けた事により、発生した面倒も全部抱え込む。

 助ける事は自由だ。だが、自由には責任が伴う物だ。

 その責任から逃げる事を自由とは言わない。

「好き勝手に生きれば良いだろうに」

「私は自由が好きなだけなので」

「力を持っていながら、稀有な事を言う者だ」

 興味深そうにミズガルド様は俺を見る。

 何かを言う必要は無いだろう、そう思い、俺は口を閉じる。

「ふむ…

 残念ながら、そろそろ時間の様だ

 この草原は、我が手入れしている唯一の下界だ

 あまり汚してくれるな」

 そう言い残し、ミズガルド様の姿は目の前から消えた。


 …土の妖精に造って貰った建物、丁寧に片付けないとな。

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