EPISODE21 破壊/創造

『魔剣都市』に、剣の雨が降り注ぐ。しかし、空を這うように飛び回る龍は、己が支配下に置く地に土足で踏み入る剣の群れに迷い無く喰らいつく。


 容赦無き鋼の雨に、躊躇無き龍の鉤爪がぶつけられ、火花は烈火の如く爆ぜ上がり、濃黒に染まる景色は創造と変革の二色によって派手に塗り潰されてゆく。


 鳴り止むことの無い金属音と留まることを知らない魔気の暴走。


 剣戟の嵐はさらに加速し、激化する。

 その激動の最中で綻びが生じるとするならば、それはきっと。


「お前は、何の為に戦っている」


 淡い光のなかで、彼ら以外の誰も踏み入ることが出来ず、赦されない領域に身を委ねて対話を成す時だろう。


「何の為……それは手段? それとも野望のお話?」


「どっちもだ。……いや、でもとっくに分かり

切っている筈だ。本当は世界なんて曖昧で不明瞭なものの為でなく、ただ自分の願いを結ぶがために剣を振るうんだって」


「それ君がそうであって、そうあるべきだと思い込んでいるしがらみに過ぎない。だから、決定的な部分は違う」


「だったら、剣を交えて伝わるこの暖かなものは何なんだ……骨の髄まで染み渡るようなこの暖かさを帯びたものは……っ!」


 極僅かでも、一つの綻びが生じれば、穴は瞬く間に広がっていく。

 倫語の心は、今まさにその状態だった。未知では無い筈で、しかしとうの昔に置き忘れてしまっていたような、酷く懐かしい感覚。


 無形のそれは、ただ甘さと熱を帯びていて。


「……ああ、やっぱり……オレの思った通りだ」


 ゼロニアの瞳が複雑に歪む倫語を射抜いた時、彼は無理解に苛まれる混沌の渦から解き放たれることとなる。


 それでも、残酷な定めの掌に居ることには変わりないが。


 ゼロニアは、小さく息を吸い込んで言った。


「オレも君と同じ人形なんだ。そして創造主の名は——」


 頭の中で警鐘が鳴った。この先を聞いてはならない。知ってはならない、と。


「——ロメリア=ザミ。オレの主……そして、世界に殺された錬金術師」


 脳が、臓腑が揺らぐ。だって、その名は。その記憶は。


 絶対に開けてはならないパンドラの箱なのだから。


「彼女は、君の師であるターチス・ザミの姉だ」


 倫語は、喉が枯渇していく感覚を覚えた。

 心臓が激しく脈打ち、血中を巡る酸素までもが何か別のものに成り代わり、無呼吸に喘がざるを得ないような状態。


「そん、な……」


 記憶の海が氾濫し、滂沱となって溢れ出す。

 五十年前——東京に剣の雨が降り注いだ時のことが蘇る。



「——糸義。今の私の旧姓……そして記憶。君がターチスの弟子なら、やることは一つだけ」


 そう言って、彼女は倫語に『糸義』の姓を授け、聖母のような笑顔で言ったのだ。


「私は今から、世界を救うために、この国を犠牲にする……それでも、君にはあの子の意志を次いで、救世主のままでいて欲しい」


 恩師に似た姿形でありながらも、彼女より少し大人びた聖女。

 けれど、彼女は美しくも儚げな笑顔と背中を見せて、倫語のもとから去って行った。


 それから程無くして大規模術式が発動し、東京に剣の雨が降り注いだ。


 そこから先は、少しだけ長い空白の時を挟むこととなる。

 あの時の出会いと光景は、今でも瞼の裏に焼き付いている。



 ロメリア=ザミ。

 倫語がまだ倫語でなかった時に、『影の戦争』の残滓を掻き消すために訪れたこの島国で出会った、彼にとっての救世主——である筈だった。


 しかし、『影の戦争』の尾を引かせ、魔剣という楔で東京を穿ち、この『魔剣都市』を創るきっかけとなったのもロメリアである。


 倫語の胸中では、矛盾と無理解を叫ぶ嬌声が木霊していた。

 一方でゼロニアは、穏やかな表情で倫語を見据えていた。


「君の師があの戦争を終わらせる為に君を造ったように、ロメリアもまた、同じ志を持ってオレを造った。ターチスがロメリアのことを君に黙っていたのは、魔術師と錬金術師が対立していたあの戦乱の中で、少しでも君に負担をかけないようにしていたんだろうね」


 剣の雨が、龍の反撃が静止している混沌の世界で、錬金術師は尚も続ける。


「だが悠久の時が立つと共に、君の師は病床に伏し、残された君はそれでも主の生家を守り続け、やがて世界各地を訪れては死神の如く戦禍に現れ、その異端的魔術で争い沈めてきた……でも、当然、世界を巣食う闇は簡単には消えなかった」


 声が低くなるにつれ、鋭い光を帯びた紺碧の双眸が、ゆっくりと怒りに彩られていく。


「完璧な再臨を望んだ『奴ら』は、『世界』を人質にして、ロメリア=ザミという最強の錬金術師を脅したんだ。『力を証明できる「影」を用意しろ、そして今度こそ、我々に日の光が当たる状況を作れ』ってね。お人好しのロメリアはそれを拒めず、実行に移すしかなかった」


 そうして因果は巡り、糸義倫語とゼロニア=フォーツェルトが交わる焦点を作り出したのだろう。


「それが、オレの存在理由であり、価値や意義を物語るエピソードって訳だ」


 そこまで聞いて、倫語は重く枯れた唇を開いて問う。


「……破壊の……為に……?」


「運命がそういう役回りを寄越して来やがったんだ。そして、案の定、『損する良い奴』っていうもっと酷い役回りを任されたオレの師は殺されたよ。病で心身共に限界まで擦り減っていた彼女は最後の最後まで笑顔絶やさず……結果、命を賭して剣の雨を降らし、その流れで日光浴を楽しもうとしていた外道共も巻き込んで散っていった。あの世でもあんな奴らと顔付き合わせるかもしれないって考えると、あの大馬鹿な善人は最期を迎えても尚、報われたかどうか分からないもんだね」


「————」


 倫語は言葉を発することが出来なかった。

 ターチスの想いを受け継いだからこそ、魔剣を世に打ち込まれた悪しき楔だと考え、一つも残さず滅することを頭のどこかで思っていた。


 だが、あろうことか、そのきっかけを作った——いや、作らされたのは彼女の実の姉で、ゼロニアもまた、その残酷な運命の掌より生まれた被害者なのだ。


 あまりにも悪辣な運命。あまりにも悪趣味極まりない因果。少なくとも、倫語は今この瞬間、戦意を欠片まで失っていた。

 しかしゼロニアはそれを赦さない。


「まあ、君がナイーブになろうがオレの知ったことではないけどさ……この事実を知ったうえでオレの目的聞いても尚立ち塞がるんなら、その半端な性根ごと、跡形も無く壊してやるよ」


 錬金術師は両腕を広々と広げ、それぞれに青と白の雷光を灯して言った。


「——『破壊創造』。それも、烏合の衆を集め、闇を野放しにするようなガラクタなんかじゃなく、圧倒的な『個』が統べる完成品を創り上げる。オレが、この手で」


 静かに呟かれた決意の言の葉は、同じく静かな篝火を灯し、再び超常の渦に時の彩りを灯す。


「そのために、君はここで礎となれ」


 剣の雨が、さらに数を増して再び都市中に降り注ぐ。

 すぐさま倫語は動いた。いくら心が砕け散ろうが、器は正常に動く。だから、やるべきことは一つだけで。


「『ヘヴンズクラウン』!!」」

 

 こちらも再び術式を最大限に解放し、無慈悲に舞い散る無機質な雨を振り払っていく。


 赤黒い雷光が咆哮を上げ、空の色を塗り潰すが如く剣閃を無限に刻み込んでいく。


 無数の刃と無限の剣閃による応酬。

 やがて、綻びは再度悪戯にほくそ笑んだ。


「崇高なる目標だなんて言わない……けど、絶対に揺るがないっていう自信はあるんだよね。だからさ」

 

 残った一本の剣。それが、倫語の腹部を穿っていた。


「吹けば飛ぶような覚悟でさ、オレの邪魔……しないでよ」


「か——」


 ひと時の静止。すると、沈黙はけたましく動き出し、切っ先は倫語の身体を地の底へ突き落としていく。


 虚空を見遣る彼はいつしかの超高層タワーへと誘われ、そのまま展望ラウンジを突き破って建物内へと落ちていく。

 

 落ちて、墜ちて、堕ちて。

 今の倫語に希望を求める者も、手を差し伸べる者も居ない。ただ淡々と、終わりに近づく時を待つのみ——、


「……だった筈なのに、な……」


 夜桜苺の笑顔が脳裏を過るのだ。そして、ゼロニアの話を聞いて分かったことがもう一つ。


 彼女は——ロメリア=ザミは、託したのだ。


 ——が、今の私。ターチスが世界中に散りばめた宝具の内の『鞘』を受け継ぎし、『影の戦争』の生き残りの家系。


 そうして、巡りに巡って苺もまた意志を継ぎ、魔剣に魅入られて倫語と出会った。


「だからこそ……」


 だからこそ、師の意志を絶やさない為にも、ここで朽ち果てる訳にはいかない。


「最後通告だ。君がオレの邪魔をするのなら、今ここで——」


 ゼロニアが追って降ってきた瞬間、倫語は腹部に刺さる剣の柄に手を掴み、虚ろな瞳に毅然とした色を灯して叫んだ。


「断ち切る……君や君の師を蝕んだ不条理な運命も……この世に蔓延る残酷な運命も……僕が、剣となって……ッ!」

 

 その瞬間。

『龍魔術』の魔気が炸裂し、その身を穿っていた魔剣が爆ぜると共に、再び変革が成される。しかし、それは世界に対してでも相対者に対してでも無く。


「はは……まさかここで、自分自身を変革させたっていうのかい」


 倫語は塔の頂からゼロニアを見下ろしていた。だが、その姿は今までのものとは違う。

 夕焼け色の双鉾は赤く照り輝き、魔術師はその身に白き龍の羽衣を纏っている。胸元で煌めく龍を象ったエンブレムは、同時に、やはり彼が伝説の龍魔術師であることを証明していた。


「それでも、オレは……」


 この腐敗した世界の理を壊し、創り直す為に。


「オレは、お前をここで倒す! ——龍魔術師ぃぃぃぃぃぃぃぃッ!!」


 ゼロニアが両手の術印を唸らせて再び魔剣を構え、倫語のもとへ飛翔する。


「ああ、錬金術師……僕も、君を倒すッ!!」


 倫語もまた、魔剣を轟かせて、ゼロニアのもとに直下する。


 変革の鉤爪と創造の牙が、三度交錯する。


 両者は塔の中で切っ先を交えたのち、ひとたび塔から天高く飛翔すると、月下、その剣戟で夜空を慟哭させる。


 互いが持つ解を天秤に掛けたとして、どちらが正しくかなんてものは分からない。


 分からないからこそ、彼らは悟ったのだ。

 各々が持つ意志を胸に、砥がれた刃を交えて事の正誤を決め付けるべきだと。


 だって、ここは。この都市は、そうで在るべきなのだから。


 赤黒い雷と青白い稲妻が、眠れる都市の上空に軌跡を描く。音や光を置き去りにしてぶつかり合う剣身は、彼らが歩んできた道のりの全てを乗せているように思えた。


 倫語が何度書き換えようが、その度にゼロニアが創造を成し変革を喰らう。

 ゼロニアが何度創り上げようが、その度に倫語が変革を成し創造を喰らう。


 一進一退ではなく、常に互いの先を行く超常同士のせめぎ合い。『レーティング:α』から先を雄に越え、規模にして『神話級レッド』すらも凌駕する激闘。


 もしその場に第三者が居たならば、目の前で繰り広げられている、あまりに芸術的で破滅的なその光景に、身が凍り付くような畏怖と感涙の反応を示しただろう。


 そして当事者達もまた、その感覚に近いものを感じていた。


 ──片や世界を救うために生み出された魔術の人形。


 ──片や世界を壊すために生み出された錬金術の人形。


 その決して交わることの無かったであろう両者が、今こうして刃を交えているのだ。

 ただ、互いに互いの原風景を魅せられるようなこのひと時は、長くは続かない。


 剣戟で成された美しき情景の終わりは、唐突に訪れる。


「何が正しいなんてことは、オレには分からない……けど——」


 ゼロニアは己の胸に手を当て、そして同じように倫語の心臓部を叩いた。


「ただ……剣を交えて伝わった君の意志の強さが、少しだけオレに勝ったんだろう」


 魔気を尽かせ、剣までも破壊された錬金術師は、そう言って弱々しく微笑んだ。


 それに対し、龍魔術師は、たった今音を立てて崩れ去った魔剣を認め、夜空を見上げて言った。


「……たった一つの信念と願いを胸に生きることが、これほど難しく美しいものだとは思わなかった……剣を交えて届いた回顧の中で、僕はそれを知ったよ」


 力なく零れ出る笑み。そして頬を撫でる夜風が、彼らを和解に誘った剣の破片を攫っていく。


 やがて、二人はゆらゆらと宙を揺蕩い、そのまま落下していく。


 力は尽き、もう今まで無意識の内に無視してきた自然の摂理によって、彼らは幾度目かの瞬きをした後には地に落ちて死ぬだろう。


 それでも、段々と近付いてくる最期の情景には、さほどの恐怖は感じなかった。


 ただ一つ、心当たりがあるとすれば。

 それは——、


「————」


 そうして思いを巡らせた時、不思議と、彼女の声が耳朶に響いた気がした。


 それを認めた時には決まって、全てを置き去りにする閃光の波動が瞼を焦がすのだ。


「——勝手に、終わりを悟らないで下さい」


 も、今となっては別に悪くはないと思っていた。


「私はまだ、先生に色んなことを教わりたいんですから」

 

 彼女が湛えた笑顔は、さながら、夜空に桜が咲き誇るようだった。


「……ああ、そうだね」


 魔剣に跨り、倫語を抱きかかえる彼女は、傍らを落ちゆくゼロニアも担ぎ、地へ向かおうとしていた。


 きっと、これは永き時を経て伝えられたメッセージなのだろう。


 この夜桜苺という少女を介しての。


 ——『前へ進め』という、メッセージなのだろう。

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