EPISODE18 変革の剣〈ヘヴンズ・クラウン〉

 神話が、降臨した。

 月が照らす下、漆黒と星々に彩られていた筈の夜空に煌々と光が差した。

 まるで神の降臨が具現されたかのような、超常を越えた伝説。


『ホムンクルス』達が目を奪われているそれが、神々しく夜の都を塗り潰す中。倫語は悠然と右腕を掲げた。

 そこへ、ひときわ輝く閃光が差し、彼の手元に吸い寄せられるようにして集約する。

 やがて、神話は形を帯びる。


「『変革ヘヴンズの《・クラ》ウン』、顕現」


 紡がれたままに、それは剣だった。ルビーの如く紅に煌めく刀身に、黒塗りの鉤爪を備えた長剣。それが倫語の手に収まり、魔気の息吹を灯した瞬間。

 彼らは理解した。

 

 その剣、一振りでもくうを斬った瞬間、自分達は終わる、と。

 満場一致でその畏怖の念を抱いた彼らは、凪が訪れたかのように、静かに地に降り立つ。


 当然、倫語も『龍の慧眼』で全てを察しており、剣を振るうことなく彼らの前に立って対峙した。

 だが、構図は先と同じでも、彼らの瞳と心に宿る色は、もう色褪せてはおらず。


「結局、俺達は壁を越えることは出来ないってことか」


 彼らの内の一人である少年が、溜息交じりにそう言った。けれど、表情はどこか清々しく澄んでいるように見えた。


「ははっ……そりゃあ、君達の師となるとか啖呵切った以上、こちらも簡単に負けるわけにはいかんのだよ」


 倫語は胸を張って、鼻の下を掻きながらそう返した。

 その言葉に、呆れたように肩を竦める者がちらほら見える一方で、今度はもう一人の少年がこんなことを聞いた。


「『龍の慧眼』を参考にした術式で分かったけど……先生、お人好しと心配症、相当拗らせてますね」


 鋭い指摘に、倫語は思わず複雑な顔をする。見透かしているということは見透かされているということでもあるのだ。

 誤魔化しても仕方の無いことなので、倫語は胸中を渦巻く不安の旨を曝け出すことにした。


「君達が解き放たれたきっかけとなったゼロニアの襲撃と、『レジスタンス』の革命運動……教え子がそれに巻き込まれないかどうかが心配で——」


 その瞬間、脳裏に何かが過るような感覚があった。不穏な翳りが、半紙の上に墨汁

を垂らした時のように、徐々に波紋していく感覚。


「……まさか……」


 少年達が首を傾げた時、倫語の第六感は、不明瞭な靄の海から確かな予感を掬い上げていた。

 苺の笑顔が、頭の中にはっきりと浮かんだのだ。

 それは、危惧していた脅威の予兆で。


「……先生?」


 少女が疑問の声を発した時、倫語は膝を曲げていた。

 直後、ビルが揺らぐ程の衝撃波を撒き散らして大跳躍し、彼は剣を持たない左掌をどこか遠くへ向けた

 そして。


「届け……!」


 辺り一帯を一瞬で赤黒く覆い尽くした『龍の息吹』の雷光。それが瞬く間に倫語の掌へと収束し、それは放たれた。

 夜闇のカーテンと暮らしの灯火がコントラストする都市の果てに、獰猛な雷撃は突き進んでいく。


『ホムンクルス』達は驚愕しただろう。特に、『龍の慧眼』と同等の術式を発動していた少年は、倫語の思考を直に把握していたため、彼の規格外な一面に誰よりも驚いた。


 彼は今、三〇キロメートル以上離れた地点——蓮暁女学園に隣接す山林地帯に、届くように、今の砲撃を放ったのだ。


 同時にその行為は、今の僅か数秒の間で現状の全てを理解したことの証明にもなっていた。


「『レジスタンス』は——」


 再び着地した倫語は、『ホムンクルス』達を見渡して語る。


「奴らは恐らく、色々なところで蠢き出している。今、『龍の息吹』を放つ際、照準代わりに『龍の慧眼』を使って蓮暁学園横の山林地帯の状況も把握出来たから分かった。そこに教え子が二人と城斬のプリンセスが、『ブースターコネクト』とやらに包囲されていた……だから、今のおせかいは無駄では無かったと信じたいが……」


 砲撃と共に放った『あれ』も使ってくれたらいいのだが——といった独り言を最後の加え、倫語はひとり顎に手を当てて思案し出してしまう。

 先生の規格外過ぎる行動に驚き、置いてきぼりをくらった生徒一同は、全員で頷き合い、


「「ドーンッ!」」


 十三人一斉に倫語の身体に殴り込んだのだった。


「ぐふ——っ!?」


 不意の大打撃に思わず倫語はよろめいて跪く。そんな彼を見下ろす、二十六の双眸。

 けれど、自分と同じ色に光るそれらは、毅然に輝いていた。


「これは貴方が勝手に初めた授業です。だから、いつどのタイミングで終わらせても構わないんですよ?」


 その冷たい言い方に、ショックを受ける倫語。だが、言った本人は笑って、


「だから、さっさと言い訳かまして行っちゃって下さい」


「各地でイキり始めてるっていうロボット共は俺達が何とかするからよ」


「先生は先生らしく、生徒さん達のところへ行ってあげて下さい……あ、でも、あなたのことだから多分、もっと多くの人達を救おうとするのかな」


「だったらやっぱり、あの錬金術師のお兄さんのところへ向かうんだね」


 心の隅々まで把握しているかのように、彼らは的確に倫語の心中を突いてくる。

 交錯の中で、対話は既に成されていたということだろう。


「ああ……そうだな」


 倫語はゆっくりと立ち上がり、『ホムンクルス』達を見遣って言う。


「僕は君達の恩人であるゼロニアを倒しに行く……彼が成そうとしていることは恐らく、犠牲を厭わないものだろうから」


 その答えを聞いて、彼らは微笑を湛えて返す。


「あの人も、救ってあげて下さい。私達にそうしてくれたように」


 少女の言葉に、龍魔術師は「ああ」と満面の笑みで頷いた。


「必ず、救ってみせる」


 そして、


「——この世界を守ってみせる」


 固く宿った決意は、やがて救済の咆哮を世に轟かすことだろう。

 やがて、師は飛び立った。

 生徒達は彼に言葉をかけない。だって、彼が必ず約束を果たしてくれると、信じているから。


 その厚い信頼を胸にひしひしと感じ、倫語はその場所へ向かって夜空を翔けていく。


 ゼロニア=フォーツェルトの野望を止める為に、この世界の深淵を目指して。



「——指輪……?」


 暗闇の底から目を覚ました苺は、赤黒い雷光が残滓する中、眼前で宙を舞っていた指輪に目を奪われた。

 彼女は反射的にそれを手に取り、目を凝らして観察する。


 赤く小さな宝石が施された、至って普通のそれ。しかし、身体の内側に伝わる感覚に、苺は心当たりがあった。


「先生が、私の剣術を止める時と同じ……」


 彼が『龍魔術』を使う時に伝播するものが、この指輪には込められている。ならば、これは倫語がどこからか届けてくれてものだろうか。

 疑問がそこまで行き着くと同時に、苺は自分の身体に違和感を覚えていた。


「傷が……っていうより、腕が……治ってる……?」


 意識が暗転する直前、華芽梨の剣によって斬り飛ばされた筈の左腕が、今、切断の事実がまるで無かった出来事であるかのように、奇麗に繋がっていたのだ。


 一体何が起こっているのか。自分が意識を失っている間、一体何が起こっていたのか。

 そう思って、傍らに落ちていた魔剣を手に取って立ち上がる。

そして、視線を他所に向けてみれば、そこには。


「……え、華芽梨……さん?」


 周囲に立ち並ぶ木々よりも、遥か高く聳え立つ氷山。その頂きに、緋心華芽梨のものと思われる後ろ姿があった。

 でも、その容貌は、先程とかなり違っていて。


「あら……お目覚めかなぁ……?」


 彼女の方も苺に気付き、振り向く。真っ先に映り込んだのは、彼女の腕の中で、半身を薄く焦がされたまま眠っている色舞の姿だ。

 そして華芽梨の顔に目を移せば、尋常でない程の疲労が垣間見合える一方で、額や頬など、至るところに水晶の如く煌めく亀裂が走っているのが分かった。


 何より、轟々と発せられる魔気と、彼女が纏う氷のドレスが、『氷上のプリンセス』を進化と破滅の紙一重の領域に立たせているのだと痛感させられた。


「何が……あったんですか?」


 たまらず苺は問い質す。

 華芽梨は片手に持つ氷剣で、苺の目線の先に広がる平原を指して答えた。


「向こうから、悪い奴らがわんさかと来やがるんだ。顔は見せたくない癖に、見映えは何よりも気にするカッコつけの害虫共が、さ」

 

 独特な言い回しに、苺の理解はイマイチ追い付かない。そんな彼女の心情を察したのか、華芽梨は「まあ、来てみれば分かるさ」と言って手招きした。

 苺はそれに従い、すっかり軽くなっていた身体の状態に驚きつつ氷山を慎重に上り、華芽梨の横に立つ。


「————」


 眼前に広がる光景を目にして、真っ先に脳裏を過った言葉は、『圧巻』の一言だった。

 見渡す限り一面に広がるのは、氷漬けにされた別世界だった。さらに、所々に見られる巨大な結晶の中には、何やら剣を連ねたような人型の兵器が見られる。


「あたしに『エヴォリュータ』を授けた奴ら……『レジスタンス』。明日に控えている『剣舞祭』の前夜は『剣星団』の各部隊もあっちこっちにバラけちゃうからねぇ……そこを狙っての革命運動なんだろうねぇ」


「『レジスタンス』……? 革命運動……? ええと、要するに、とりあえず貴女は私と色舞さんの味方ってことでいいんですか?」


「きゃはっ! まあ、たとえ腕を斬り飛ばしてきたり友達を痛めつけてきたりしても、敵の敵は味方っていう便利な言葉を信じるのなら——」

 そこで、ふと、華芽梨の身体が傾いた。それが、よろめいたのだということに気付いた時には、彼女の身体は後ろへ倒れかけていた。


「華芽梨さん……っ!」


 苺は即座に両手を伸ばす。伸ばした際、右手から魔剣が零れ落ちるが、今はそれどころではないと構わなかった。


 だが同時、敵はこの隙を見逃してはくれなかった。

 華芽梨の背中へ手を伸ばした苺の後ろに広がる氷地の下から、『ブースターコネクト』が十数体、姿を現していた。


 巨大兵器の群れは、背に備えていた大剣を抜き出し、訓練された軍隊のように一斉に大きく振り上げる。


 危機の重複。苺の脳内に、警鐘が盛大に鳴り響く。華芽梨を助けても、先に兵器達と交錯しても、待つのは痛み。


 即ち、色舞と色舞が認めた相手が目の前で傷つくのを見るか、それとも臆した自分の巻き添えとして彼女達と共に傷つくのか。


 極端で残酷な二択を迫られたこの状況で、苺は——

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