EPISODE12 緋心華芽梨

 その時。


「————」 


 夜桜苺は、自室のベッドの上で目を覚ました。

 だが、その様子は常の彼女とは少し異なるもので。


「あら、苺さん……」


 苺のベッドに身を預ける形で寝落ちしていた色舞は、「お目覚めですの……?」と瞼を擦って微笑みかけた。

 そして、その瞳が驚愕に見開かれる。


「……苺さん、それは——」


 苺の右眼に、赤い龍の紋様が刻まれていたのだ。


 乱れていた白桃色の双尾も気にせず、色舞は問いかける。

 だが、苺がそれに応じることは無く。


「——扉が開いた。鞘……それ、我が身に宿りし龍の意志」


「ちょ、ちょっと! 急にどうしたんですの!?」


 苺は普段かけている眼鏡を手に取ることも無く、ましてや混乱している色舞に構うことも無く、ベッドから飛び出して壁に立てかけてあった『スキップアウト』の鞘を握る。


トランス


 魔剣の剣術を解放する詠唱。それが成された瞬間、苺の身体が白光に包まれる。

 次の瞬間、


「『スキップアウト』」


 バリィンッ! と窓ガラスが割れ、咄嗟に目を閉じても瞼の裏が焼き焦がされる程の閃光が炸裂した。


 やがてゆっくり目を開けると、色舞の目には、光で描かれた軌跡が映っていた。そこにはもう、苺の姿は無い。


 遠く彼方まで、白光の残像は続いていた。


「もうっ! 一体苺さんに何が起きていますの!? 貴女に何かがあったらわたくし——」


 脳裏を過るのは、苺の照れ臭そうにはにかむ顔と、倫語に彼女を託された時のこと。

 色舞は眼前に広がる光の軌跡とその先に広がる夜闇を睥睨し、強く息を吐いて低く呟いた。


「友達、失格になってしまいますわ!」


 冷や汗を浮かべながらも、その表情は毅然としていて。

 気が付けば、『剣姫』は己の魔剣を手に取り、割れた窓ガラスの破片を踏み締めてベランダに立っていた。


 そして、『紅蓮の剣姫』の二つ名に相応しい業火が双方の刃を包み、巨大な翼を顕現させる。色舞の身体はそのまま飛翔し、炎舞散らす紅蓮の翼をはためかせて光の軌跡を追っていく。


「苺さん、待って下さいまし!」


 轟音を響き渡らせて、炎の鳥は夜空を突っ切っていく。 


 下を見れば、校庭にて既に準備されている出店や、校門を着飾る派手なゲートが目に入る。 


 殆どの者達は、明日に迫る『剣舞祭』を今か今かと待ち望みながら安眠している頃だろう。その一方で、影に埋もれた悪意は静かに蠢き出している。

 もっとも、苺の急変を見るに、倫語の悪い勘というのはもう当たっているのかもしれないが。


「——ッ! あれは……!」


 捜索は思いのほか早く終わり、無事、苺の姿を捉えることが出来た。

 エリア8にある広大な山岳地帯。蓮暁女学園と隣り合い、学園がイベントや体育の授業などでよく使いたがる場所だ。


 その背の高い木々が聳え立つ開けた丘に、苺は閃剣を片手に立ち尽くしていた。


「苺さんッ!!」


 色舞はすぐさま地上に降り立ち、『フェニックス』の炎を納めて苺に抱き着く。


「——わっ! ……色舞?」


 驚きの声を上げた苺には、つい先ほどのような気迫と違和感は無く、その事実が色舞をさらに安堵させた。


「もうっ! 心配しましたのよ!? 急に何か呟いたと思ったら、わたくしを無視して窓突き破って飛び出して行ってしまうんですもの……反抗期の子供じゃありませんし……」


「その、ごめん……なさい? 私も、イマイチ意識があやふやだったから」


 色舞は過保護の母親さながらに抱き締めるが、苺としては、この数十秒の間の記憶は明晰夢の内容程度にしか把握し切れていない。


 そもそも、放課後の特訓時からの記憶が無いのだ。苺にとっては、現在に至るまでの過程が不明瞭過ぎて気持ち悪く感じる。そこから生じる不安を、色舞は無意識の間に取り払ってくれている訳だが。


「——へえ、色舞さんってそんなだらしない顔もするんだぁ」


 そこへ、鈴の音色の如く美しい声が割って入った。

 聞こえた方を見てみれば、木陰から影が一つ、姿を現していた。


「あらあらまあまあ、これはこれは……城斬学院が誇る『氷上のプリンセス』さんではありませんの」


 ゆっくりと苺の胸元から顔を上げて流し目で人影を見遣る色舞。彼女の口調が苺に向ける時のそれとは明らかに違っていた。


「きゃはっ! 相変わらず高慢で高飛車な人ねぇ……ライバルの名前も忘れたっていうの?」


 月明かりに照らされた髪は水晶のように淡く光り、ハーフアップで結われることで上品さを醸し出していた。


 紺のラインが施された制服はどことなく軍服を彷彿とさせ、短いスカートからすらりと伸びた脚は純白のガーターストッキングを履いており、彼女の妖艶な笑みと相まって扇情的に映った。


「まさか。……緋心華芽梨……忘れる筈もありませんわ。貴女からことごとく向けられる刃で、何回死にかけたと思ってますの?」


「けれど不思議なことに、毎度のこと、あんたの手足や臓器が減ったことは無いんだよねぇ。きゃははっ、不死鳥の名を冠する魔剣を振るうだけはあるよ」


 品定めの色が込められた碧眼を、色舞、そして隣の苺に向け、腰に着けられた細長い鞘に手を這わす。


「皆が待ち望む『剣舞祭』が明日に迫っているというのに……我慢が利かない野蛮なプリンセスですわ」


 色舞も朱色に光る双剣の柄を握り締めて構える。


 両者の間に流れるただならぬ雰囲気を、苺は感じ取った。しかし、だからと言って足を竦ませることは無く。


「いやいやいや! 明日があるのならそこで決着を着ければいいんじゃないの!?」


 念のため、『スキップアウト』の剣術をいつでも発動出来るように構えつつ、二人を宥めにかかる。

 だが、色舞は不敵に笑って、


「苺さん。この女にそのような常識は通用しませんことよ。夜襲など当たり前、罠は仕掛けてなんぼといったインチキプリンセスなんですもの」


「そういうあんたは正攻法に頼り過ぎなのよ。真面目な奴が損をする世の中ってことぐらい、分かってるでしょ? ……それに、今回ばかりはちょこおっとだけ、負けられない理由があるのよねぇ」


 既に剣術を発動しているかのように思わせる気迫。

 苺は思わず後ずさってしまうが、同時に、華芽梨が言っていたことに関して反論したい気持ちもあった。


「ひ……緋心華芽梨!」


 反射的に、名を呼んでいた。彼女は「なに?」と、水を差されたことへの苛立ちを露わにして苺に流し目を向ける。

 苺は怯まずに、思ったことをぶちまける。


「確かに真面目な人が損をすることは多いのかもしれない……けど! なにもそれだけではないじゃない! ……少なくとも私は、色舞のように、真面目に生きている人を応援して——」


「——あのさあ」


 と、華芽梨が低く鋭い声で口を挟む。


 それに対し、色舞が「ちょっと! 苺さんが喋っている途中でしょ!」と憤るが、華芽梨はそれを掻き消す程に獰猛で、鋭利な刃物の如く研がれた視線で苺を射抜き、続ける。


「剣を交える場にさ、ガッチガチの鎧で着飾った偽善を挟まないで貰えるかな」


 ギゼン。

 放たれたその言葉に、苺は反論したい怒りを覚えた。しかし、喉が詰まって衝動は言葉を成さない。


 その様子を見遣った華芽梨は「きゃはっ」と小さく嗤い、


「剣戟の世界にね、そんな生半可な気持ちで踏み込んじゃあ駄目だよ」


 途端、空気が一変した。

 それは雰囲気などといった話では無く、もっと直接肌で感じ取れるような異変。


 即ち、温度。

 生暖かい五月の気温ではありえない程、辺りは一気に寒冷化していた。


「——『氷剣』……」


 華芽梨が魔剣の柄を握り締めると同時に詠唱を始める。


「くッ! 華芽梨!」


 色舞も『フェニックス』に炎を顕現させて応じる。


「『ニブルヘイム』——ッ!」


 紺碧の光に包まれた剣が大地に突き刺さった瞬間、つづらが割れるような音が響いた。

直後、超常は起こる。


「な……」


 声は、真っ白な吐息と共に漏れ出ていた。それほどまでに、剣を中心に氷は地を蝕みながら波紋し、大気を凍てつかせている。


「『フェニックス』ッ!」 


 苺の足元に凍結が及びかけたと同時、視界を炎が覆うと共に、色舞が飛びついてそれを回避させた。


 その拍子に苺の目に映ったのは、氷の上に佇む華芽梨だった。

 まさしく『氷上のプリンセス』。痛みすら与える冷気は、あっという間に辺り一帯を支配していた。


 色舞は空中で苺を抱き抱えながら、華芽梨を警戒するように睨む。


「その子……」


 華芽梨は苺を指差し、冷えた笑みを浮かべて言った。


「まるで釣り合ってないね。『紅蓮の剣姫』である貴女とは」


「……っ」


 苺は目を見開き、奥歯を噛み締める。知っている。そんなの、苺が一番知っている。


「黙りなさい。貴女に苺さんの何が分かりますの? 苺さんは、わたくしを救い、ライバルであり友達であると言ってくれた。打算的な考え一切無しに!」


「それは確かに素晴らしい話だね。でもさ——」


 氷粒が舞うと共に、華芽梨が氷剣を振り上げて苺に向かって振り下ろす。


「あんたのお荷物ってことは事実だよねぇッ!」


「ッ!!」


 燃え滾る翼の片方が氷剣と交錯する。

 双剣の片方であるため、威力は相手の方が上だ。苺は、たまらずに叫んだ。


「私を今ここで降ろして! そしたら色舞は存分に戦える!」


「何を言っていますの! この粋羨寺色舞、そのような薄情なマネは——」


 氷剣がさらに大気を凍らせ、炎を喰らっていく。


「きゃははっ! 本音! それが紛れも無い本音だよねえッ!」


 悪魔のように色舞を嘲笑いながらも、その目は彼女の心の裡を視ている。

 そして苺もまた、この緋心華芽梨という女によって己の醜い部分を見透かされていた。


「……っ! 『炎散』ッ!」


 歯軋りした色舞は拮抗させている刀身から爆炎を放ち、もう片方の剣をはためかせて無理やり地面に着陸しようと落下する。


「ムダっぴ~! 『ニブルヘイム』がどうしてその名で呼ばれているのかぁ……知らないあんたではないでしょぉッ!?」


 凍っていた地面から距離は取っていた筈だった。しかし、着陸予定地点が、唐突に氷と化してく。


 変化はそれだけに留まらず、氷面からはいくつもの巨大なつづらが尖端を上向きにした状態で姿を現し、落ちてくる色舞と苺を穿つ準備をしている。


(このままだと串刺し……『スキップアウト』を使うしか——)


 まるで走馬灯。

 時は極めて緩やかに針を進め、心臓は嵐が到来しているかのように激しく脈打つ。


 眼前に天秤が浮かんだ。己を賭して色舞を助けるか、それをせずにこのまま氷の大地の上に死体を残すか。


 当然、答えは一つ。


「閃剣——」


 自然、柄に伸ばした手。それを、色舞が目で制していた。


 苺はその瞬間、何故か酷く安堵していた。悪魔の囁きを受けて、自分の醜さ——無意識に見て見ぬふりをしてしまうような深淵を見せられて。それでも、色舞は苺と同じく、苺を助けようと全霊を研いでいた。


 緩やかな時が終わる。

 モノクロに染まった世界に彩りが成されて、意志に灯った篝火は業火の如く燃え盛る。


「『炎槌』ッ!!」


 不死鳥の片翼が激しく瞬き、氷の大地をつづらごと破砕した。

 砕け散る氷片。共に荒れ狂うは、轟々と低く唸る強大な炎舞。


「色舞……!」

「分かっていますわ!」


 色舞の腕の中から地に飛び降り、彼女の横に並んで魔剣を構える苺。


 二人の間には、言葉が無用である程に、鮮明に意志を通わせる確かな繋がりがあった。

 顔つきの変わった二人を見て、華芽梨は不機嫌そうに眉を顰めて溜息交じりに言う。


「まったく、妬けちゃうねぇ。まるで、以心伝心なんていう迷信が目の前で実現しているかのよう……」


 色舞は顎を引いて答える。


「それを迷信と思っている時点で、貴女が孤独であり続ける未来は変わりませんわ」


「……黙れよ。確かに生きてくうえで人付き合いは大事だけどさぁ……それって、この『魔剣都市』で生き残っていくには、すこぉしばかりの矛盾が目立つと思うんだよねぇ」


「弱肉強食……その摂理に、馴れ合いは必要無いと?」


「分かってるじゃん。純正のお姫様」


 一陣の風。それが場を横切っただけで十分だった。

 瞬きの間。コンマ数秒にも満たない空白の時。


 それを、両者の剣戟が塗り潰した。


「——あたしは、ここであんたを討つッ!」

「——問答無用で返り討ちにしてさしあげま

すわ!」


 炎氷の乱舞。

 交差された『フェニックス』の交点に、『ニブルヘイム』が刃を刻み込んでいる。


 だが、衝撃が柄まで行き届き、熱波と冷気が互いの頬を撫でた後。


 二人の姿はもうそこには無かった。

 ふと、苺の眼前を二色の線が通り過ぎた。それは恐らく、二人が散らす魔気の印。


 その先を目で追ってみれば。


「らあッ‼」

「はあッ‼」 


 無数の木々を爆散させる程の剣戟が炸裂していた。


 文字通り木っ端微塵に砕け散っていく木々の眼下には、大地を凍てつかせる氷の刃。

それを見下ろして夜闇を赤く照らすのは、煌々と翼を左右に広げる炎の刃。


 苺は、エアポケットのように訪れたその時を、呼吸を整えて静観していた。その際、意識を通わせる相手はただ一つ。


 絶対なる剣閃を繰り出す魔剣の鞘を握り締め、虎視眈々とその時を待つ。

 やがて、天と地は切っ先を唸らせて、再び、炎と氷の刃は交錯の時を迎える。


「『ニブルヘイム』ッ‼」

「『フェニックス』ッ‼」


 音という音が消え失せ、大気が慟哭する。

 ぶつかり合う超常と超常。


 苺は尚も、意識を、神経を研ぎ澄ませていた。まるで、何かと対話するかのように。


 右眼で産声を上げている龍の刻印にも気付かずに——。



 その時。

 ゼロニアは、『摩天楼』の最深部に繋がる巨大な螺旋階段の前——無数の警備兵器ガーディアンの残骸の上で、盛大に口角を釣り上げていた。


「そうか……」


 自慢のタキシードをぐしゃぐしゃにするぐらい、強く身を抱き寄せて。


「そこに居たのか……」


 目の前に浮かぶ石板。そこに浮き出ている『夜桜苺』という名前と、その上部に映る彼女本人の様子を見て。


「——ターチス・ザミの忘れ形見」


 確信をもって低く呟かれた声が、地下深くに木霊した。


 世界の創造を掲げる錬金術師。


 その眼下、さらなる深淵の底で待つものこそ、彼が求めるもの。


 ——『万象アーの《カー》シャ』。


 万象の根源にして、万象の終着点。

 ゼロニア=フォーツェルトは、それを得て己が望む世界を創り上げる。


 もう二度と、あのような悲劇を生まない為に。


 もう二度と、あのような不条理を創り出さない為に——。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る