第12話 快晴ならず

 ウーがレストランに帰り着いた時、ミカは瀕死の状態でありながらも、まだその意識を保っていた。

 油断すれば一気に剥がれ落ちそうなそれを、ミカは必死に繋ぎ止める。

 ――あの子が……あぶ、ない……。

 その瞳は光を捉えておらず、耳も音から隔絶されていた。

 ただ、あの小さい子を守らないと、という思いだけが、光と音のない闇の中で彼女を生かしていた。

 しかし繋ぎ止めていた意識がゆっくりと剥がれ落ち、沈む。光と音と、そして彼女以外誰もいない深層の闇へと、純粋でへと沈んでいく。

 その先に待つのは死だ。

 そんな底の無い透明な闇の中で、ミカは自分を呼ぶ声を聴いた。

 ――アドルフ?

 それはミカが愛する男の声だった。

 何度も何度も繰り返し、自分の名を叫ぶ愛する人の声がする。

 不意に、陽だまりのように柔らかい何かに引き上げられて、その声の方へ上っていく。

 上って上って、そして瞼に星の瞬きが映った。


「ミカ!ミカ!どうしてこんな。頼む!ミカァァ!」


 そしてついにハッキリと、愛する人の声を聞いた。


******


 ――まずい。ショックで意識を失ってる。呼吸もしてない。骨もあちこち折れて……脈拍も……このままだとやばいな。

 ウーはミカを動かさないように触診した。ミカは肋骨、鎖骨、大腿骨など重要な部位の骨が折れ、肺が潰れ、全身に細かく傷を負う重傷だった。

 ――普通の人間が一発ぶん殴ったくらいじゃ、こうはならない。

 ウーはそう考えて、その男をあらためて見る。

 今も男は首に小樽を巻いたまま、気を失って倒れていた。

 ――……行使された魔法の残滓を感じる。誰かに操られたのか?


「……ウーちゃん、ミカさん、大丈夫だよね?このままだったりしないよね?」


 ちよは流れる涙をエプロンで拭きながら、ウーに不安そうな声で問いかける。こすりすぎて目の周りは真っ赤になっていた。

 ――何よりまずは、ミカを助けないと。


「……大丈夫だ。いまから治癒魔法をかける。それで治るはず」


 ウーは両手を広げ、ミカに触れないほどの至近距離に構える、そして小さく呪文を唱え始めた。

 ――クーア――

 ウーの手のひらから光輝く透明なベールが現れミカを包み込む。

 それはみるみるうちにミカの体に溶けて入っていき傷を修復していく。そして数秒の内に、目に見える彼女の傷はすべて癒えた。

 ――天高く、星辰よ、その御許に集う子どもらに祝福を――

 ――クーア――

 治癒魔法を強化する詠唱を付け加え、再びミカにベールを溶け込ませる。

 ミカの折れた骨や潰れた肺を治すほどの力は、ウーの治癒魔法にはなかった。

 ――……だめだ。これが限界だ。……もっと勉強しときゃ良かった。 


「うちじゃ、これが限界。けど……ちよ、今の呪文わかった?」


 だからウーはちよを頼ることにした。


「え?うん。あっ、そっか!!」

「うん。うちより、ちよの方が強力な治癒魔法を使えるはずだ――」

「――だから、ちよがミカを救うんだ」


******


 ちよの唱えた治癒魔法によって、ミカはたちまちその意識を取り戻した。

 4人を取り囲む避難民たちが、口々に喝采し、声を上げて祝福する。

 店内の暗く沈んだ空気はようやく収まった。


「あぁミカ!よかった。ほんとによかった!」

「アドルフ、……なに、そんな、顔、してんの。なさけな」


 アドルフ店長がミカを強く抱きしめ、ミカはそれに鬱陶しいような顔をして応えた。


「ミカさぁん!」


 ちよはウーに抱えられ、その両腕をミカに伸ばしていた。頬には涙が溢れ、しかし喜びに笑顔を作っていた。


「よかった……あんた無事だったんだね」


 ミカは腕を伸ばし、ちよの黒髪を撫でた。


「……分かるよ。あんたが助けてくれたんだろう?ありがとう」

「わたしだけじゃ、ないよ。ウーちゃんも。ウーちゃんが居なかったら、わたし何もできなかった」


 そう言ってちよは、自身を抱きかかえるウーを見つめた。


「うちもだよ。うちだけじゃミカは救えなかった。ちよがいなきゃ結局、何もできなかった」

「そういうことなら、二人に、感謝だね。……ありがとう。助けてくれて。あんたら、いいコンビだよ」


 ミカは二人に笑いかけた。この二人なら、きっとこの先どんな壁も打ち破れるとミカは思う。

 そして避難民たちも、それに同意する言葉を次々に口にした。

 いまこの場では、邪神の脅威を皆忘れ、新たな異世界人と魔人のコンビの可能性に胸を躍らせた。

 そしてミカを強く抱きしめる店長が彼女を放すまで、避難民たちは、ちよとウーを称える言葉と、ミカの無事に安堵する言葉を絶やすことはなかった。




 しばらくの後、大柄な男は衛兵に担ぎ出され、避難民たちはレストランを離れた。

 静かになったレストランで、ちよとウーは、ミカに別れを告げる。


「そろそろ帰るわー」

「ミカさん!また来るね!」

「あぁ!またいつでも食べに来て!あたしの命の恩人にはいつでもタダで食わしてやるさ!」

「また勝手な!……いやまぁ、俺もそのつもりだけどよ」


 そうしてちよとウーがレストランを出ると、そこにはウーが引っかかってしまった段差とは別に、テーブルを壊して簡易に作られたスロープが出来上がっていた。


「……好きにしてんの、ねぇ。ホントにそうだったとはな」




 ウーとちよはとっくに観光の気分ではなくなり、王城へ早々に帰ることにした。

 そしてウーは大柄な男が担ぎ出される前に、残る魔法の残滓から、男が催眠魔法に掛けられていたと理解していた。

 車いすに座るちよに、それを押すウーがその事を分かりやすく説明する。


「えっと。つまり……誰かが操ってたってこと?」

「そうなる。……そういえば誰があの男をあんなにして放置したんだ?」

「あっ!そうだ!!それウーちゃんにそっくりな女の子がやったんだよ!その子ホント、髪と目の色以外、ウーちゃんにそっくりで……けどウーちゃんのこと馬鹿にしてきて!!わたし、キレちゃったよ!!」


 ちよは、あのウーにそっくりな紅い瞳をした少女の言葉を思い出し、忘れていた怒りがこみ上げて顔が赤く染まった。


「……え?」


 それに対し、ウーは血の気が引いていく。顔面蒼白で言葉も出ない。

 車いすを押す手が、足が、その動きを止めた。

 空にはまだ目一杯に曇天が、二人の行方を遮るように重くのしかかっている。


「許せないよね!!……ウーちゃん?」


 ウーの様子がおかしいことに気づいたちよが、少女に対する怒りを収めてウーの名を呼んだ。


「うちに、そっくり?……そんな、ウソだ。まさか、そんなわけ」

「ウー、ちゃん?」

「……ごめん、ちよ。ちょっと考えさせて」




 その後、ウーが車いすを押すスピードは著しく落ちた。トボトボと歩いていると言ったら分かりやすいだろうか。

 何も言わず黙って車いすを押すウーに、ちよは声をかけることができなかった。

 そしてゆっくりと城門に近づくと、そこには数十人ほどが集まっており、城門上に立つ衛兵に向かって口々に何か叫んでいる様子が目に入った。


「今日も邪神が来たぞ!」

「俺たちの血税はどうなっているんだ!?」

「魔人にしっかり邪神の相手をさせてるんだろうな!」

「もしかして……私たち、魔人に見捨てられたんじゃなくって?ルクスじゃなくてアーリアになるんだもの……」

「一体全体どうなってんだよ!説明しろ!あの負け戦からずっとこっちは我慢して生活してんだ!」


「心配せずとも!魔人とルクスの関係は今もこれからも密であり、固く契られている!」

「魔人は日々!邪神と戦い!我々の安全と、向こう大陸の奪還に心血を注いでいる!」


「お前らじゃもう話にならないってんだよ!女王はいつまで引きこもってんだ!即位してから一度も姿を見せないじゃねーか!」


「女王陛下はご結婚のご準備のため、ご多忙であらせられる!」


「うっせー!知るか!女王を出せ!」

「……そうだ結婚だよ。身売りだよ。そしたらこの国のシステムはどうなるんだ?……俺たちの特権は!?将来の安全はどうなる!?」


「それについては事前に布告してある通り!何度も言うが、アーリアはこれまでのルクスを尊重すると言っている!つまり、この国は何も変わらん!」


「そんなの信じれるかよ!」

「そうだそうだ!アーリアはルクスの軍隊を壊滅に追いやったんだぞ!?」

「私の息子はアーリアに殺されたも同然よ!?そんなやつらの言うこと信じれる!?」


「くそっこいつら!……元帥が耄碌しなけりゃあ、こんなことには」

「おいっ!やめろ!俺たちがそれを口にしたら……!」


「そうよ!イサミ元帥は?ルクスの守護神は!?どうなったの?ほんとに死んでしまったなんて信じられないわ!!」

「ふん!話だと、いの一番に敵艦隊に突貫したらしいじゃないか。とんだ守護神様だな!」

「……なんだとお前!?元帥を馬鹿にするのは許さんぞ!」

「そうよ!彼がそんな死に方したなんて私信じないから!」

「はっ!長い事ルクスにいるやつはこれだから!お前らも耄碌してんじゃないか?ルクスの守護神とやらと一緒でよぉ!!」

「なんだと!?おまえ!もう許さん!!」

 

 激しく文句を言う声が、怒鳴り声に変わり、そして群衆は殴り合いのケンカを始めた。


 ――ここ一か月、これが今のルクスではもはや見慣れた光景となっている。

 元々の国民が抱えていた邪神への不安に加え、ここ数日で邪神の襲来が毎日のようにあることに対しての危機感と、絶大な信頼を寄せていたイサミの死、そしてアーリアへの身売り。

 普通に考えれば、むしろ数十人規模のまとまりのない抗議運動で済んでいることは奇跡だった。

 それもこれもルクスという国のもつ特徴なのだが。――


 その一部始終をちよとウーはやや遠めから眺めていた。

 そしてケンカを止めようと、慌てて詰所から出てくる衛兵たちがこちらを見つけた。

 ウーと衛兵の目が合う。衛兵の瞳には助けてください、と、ちょうど良い所に、が同時に存在した。

 ウーは深い嘆息をし、その暗い顔をさらに暗く変化させた。こころなしか目元のクマが戻っているように見える。


「はぁぁぁぁ……帰りに衛兵に聞くのすっかり忘れてた。ちよ、ごめん。うちの仕事だ。ここで終わるまで待ってて」

「……ううん。わたしも一緒に行く。今度こそ、わたしも一緒に戦う。何もできなくても、側にいるよ」

「……ありがとう」


 そして二人は殴りあう群衆の側まで近寄る。

 ちよの安全が確保できる位置まで近づいて、ウーは彼らに声を掛けた。


「おー!どーもみなさん!うちは魔王だ!みんなケンカやめて聞いてくれー!」


 魔力を込めたウーの叫びが群衆の耳に届き、彼らを鎮静化させる。

 数百の瞳がちよとウーに突き刺さった。しかし二人は動じない。


「うんよし!みんな不安だと思うけどねー。……魔人はルクスを裏切らないし、この国のシステムは、変わらないから安心してねー」


 聞いている者の耳に心地良いものを与えてくる不思議な声。そしてどうにか余裕を見せるために編み出したウーのお仕事口調。

 それに加えて、鎮静の魔法を使って群衆に万全の説得を行う。


「みんなのために邪神は必ず倒す。ちゃんとみんなの血税は、そのために使われてるからねー。そして今、ここに新たな協力者をつれてきたよ」

「ち、ちよです」


 ポンと肩に手を置かれ、ちよが答えた。


「ここにいるちよと、その兄孝太郎と、うちとで邪神は絶対に討伐するから。みんな、今日はここまでにして、おとなしく家に帰ってくれー」


 ウーの言葉は以上である。

 ちよは群衆から何か言い返されると身構えていた。こんな程度で納得してくれるような雰囲気ではなかったし、軽い問題ではないと理解していたからだ。

 しかし群衆は「まぁ、魔王がそういうなら……」とばらばらにすごすごと城門前から立ち去っていく。


「え……なんか呆気なさすぎない?」

「鎮静魔法使ったし。……何より、ここはルクスだからな」


「――ありがとうございました!!お帰りですね!開門します!」


 衛兵がまさに「助かったぁ」という笑顔をして、すぐに城門は開かれた。

 やっと空に雲間が見えたが、それはすぐに形を失って元の曇天に戻っていった。

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