第8話 取材十一日目(処刑日)、黒猫

 

 魔王を殺したと思い込み、大笑いするジークフリート。

 その手に握られた魔剣は、二の腕に深々と入った状態で止まっていた。

 腕の、切り裂かれた皮膚と肉の隙間から、黒い霧のようなものが噴き出している。

 その腕は、魔王のものではない。

 もちろん、ジークフリートのものでもない。

 天使のものでもない。

 何もない空間から、腕が突き出している。細い。女の腕に見える。

 両手と両足を鎖で拘束されたまま、五体満足の魔王が苦笑している。


「魔族の援軍か!」


 周囲にいる天使たちが色めき立った。

 同時に、ぱっと、魔剣が回転した。剣を持つジークフリートの身体ごと。


「へ」


 ジークフリートが、阿呆みたいな声を上げたようだ。ようだ、というのは声が遠くなって聞こえなくなったからだ。気づけば何メートルも上空へ、ぐるんぐるんと回転しながら彼の身体が飛んでいた。


 キィィィィィンと、高い音がした。


 戦闘態勢に入った天使たちが、音をはるかに超える速度で“腕”めがけて殺到する。設置されているカメラのいくつかが壊れ、生きているカメラも衝撃波をくらって映像が乱れる。音も、雑音が大きすぎてもはや人の声を判別できない。


 “腕”が、溶けてぐにゃりと形を失った。


 真夏に放置したアイスクリームのように、どろどろにとろけてゆく。それは原油のような黒い液体に変化し、次いで少しだけ膨らみながら、四つの脚と一つの胴体と愛らしいお顔を持った生物へと変化していった。


 猫だ。

 子猫だ。黒い子猫だ。


 爆発音がした。


 カメラの映像がすべて途絶えた。マイクはそれでも生きている。

 今私のいる場所からなら、何が起こったか見ることができた。透明ポリマーの外壁に包まれた宇宙船の内部を、肉眼で見えることができる位置にいたから。


 天使の精鋭たちが、戦っている。

 数万人を収容できる巨大な宇宙船の中。何百人もいる天使の精鋭たちがめまぐるしく立ち回る。力ある魔族を切り伏せる退魔の刀を持ち、不可視の翼を展開させて、現れた魔族らしき者を撃退しようと船内を縦横無尽に動き回る。


 その数が、徐々に減っていった。


 船体の揺れが次第に小さくなる。天使が動くたびにきしみ音をあげていたのが小さくなり、船の振動が目に見えて収まっていく。代わりに、天使たちが倒れていく。

 一秒ごとに、船内を動き回る天使が少なくなってゆく。

 ある者は倒れ、ある者は両膝をつき、ある者は立ったまま痙攣けいれんしている。


「何が起こってるんですかねこれ」


 私の近くにいた誰かが、呆然と呟いた。


 そりゃそうだ。魔王の死刑執行をして、超常現象が起こった。そこまではあり得るだろう。神話級の生物の死というのは、とかく不思議な逸話が多い。

 その後すぐに、放送があった。魔王は処刑されたと。全宇宙が視聴する状態で流された声明に、この場にいる報道関係者は全員、ああそうなのかと思ったはずだ。

 ところが。黒い霧が晴れて船内を見てみれば、魔王が無傷で生きていて。

 正体不明の腕がジークフリートの振るった魔剣の太刀筋をさえぎって、かと思いきや黒猫に変身し、その場にいる何百人もの天使相手に無双している。


「にゃーん」


 武装した天使たちが倒れ伏して、小さな山を作る。

 その上で、黒猫が鳴いた。


「ぐあっ」


 長い……長い間、空中に吹っ飛ばされ、身体をぐるんぐるんと慣性モーメントに流されるままに回転させてから、ようやくジークフリートが地面に落ちてきた。


「ねこふんじゃった、ねこふんじゃった、にゃん、にゃん、にゃん」


 唐突に黒猫がしゃべった。人間語をしゃべれるんかお前。


 アレだ。子供向けの魔法少女アニメに出る、マスコット妖精みたいな。私はあんまり見ないけれども、記者仲間にその手の番組の愛好家はわりといるから知ってはいる。


「ふんだ、ふんだ、にゃん、にゃん、にゃーん」


 え、えぐい。


 黒猫にモフられて、見る見るうちにジークフリートの顔がぼこぼこにされていく。

 いや、正直を言えばですね。

 私個人としては胸がすっとする光景なんですけどね。

 しかし美貌びぼうの女性がタコ殴りにされ、顔が内出血を帯びながらパンパンに膨れ上がってゆく様子は、映像的にアウトだろう。カメラが破壊されていてよかった、なんてとっさに考えてしまうのは私の職業病のせいか。


「にゃん♪」

「ごふ……」


 ぼろ雑巾よろしくズタボロになったジークフリートの上に乗り、黒猫が勝ち誇った。


「久しぶりだにゃーん。めーわくをかけたみたいだにゃーん」

「いやいや。こちらがあまりに迂闊すぎただけだ」


 黒猫がてこてこと歩き、魔王のそばに来る。にゃん、と鳴くと、魔王を拘束していた手枷と足枷と、あらゆる化け物を拘束するという鎖が粉々に砕け散った。


「うむ」


 斬首のためのひざまずく姿勢から解放され、魔王が立ち上がる。


「自由とはいいものだな。感謝を」

「にゃんにゃーん」

「くっく。そう言われてもなあ。沙理亜さりあ殿には私が黙ろうがいずれバレるだろうに」

「にゃーん……」


 可愛いにゃんこがしょぼくれる。しょぼくれつつ、またもジークフリートの身体を踏みつける。

 魔王様、猫語が理解できるらしい。猫さん、やはり我々の使う言語を理解できるらしい。


「あああああ!」


 ジークフリートがえた。黒猫に踏んづけられたまま。

 顔をボコボコに腫れあがらせた、すごい形相。カメラがないのが悔やまれる。私は視力がいい方だが、彼方にある宇宙船の透明ポリマーごしに見える顔をもっと鮮明な状態で見たかった。


「ああああああああ!」


 吼えているのは、ぶざまに這いつくばった姿勢から立ち上がろうとしているからか。それとも、自分をボコボコにして背中の上に乗っている猫をどかそうとしているからか。

 私はジャーナリストだが、危険区域に備えて多少は護身術としての魔術をかじっている。だから分かる。ジークフリートが、状況を挽回するため何らかの魔法を使おうとして、魔力を振り絞っているのが。

 ところが。

 魔力が生成されるつど、ジークフリートの背中に乗った愛くるしい黒猫の四本脚から吸い上げられていく。

 魔力とは、魔法なる超常の力を駆使するための燃料だ。どんなに高性能でもガソリンの入ってないガソリン車は動かないし、電力供給がない通信機器は動かない。

 だからジークフリートも、魔法を使えない。魔力を産むと同時に吸収されているから。


「無駄な努力はやめた方がよいぞ」

「にゃん」


 倒れ伏すジークフリートのかたわらにしゃがみこんで、魔王が上から目線で忠告した。猫がうなずく。


「くそ、くそ、くそ!」

「ン、ンンー。君の敗因の続きを教えてやろう。そういうとこだぞ」

「うるさい、クソ野郎が! 俺はまだ負けてねえ!」

「にゃーん……」

「が、がががががががが」


 残念そうに、猫が首を振ると。

 ジークフリートの身体が、びっくんびっくんと痙攣けいれんした。かなり昔、高圧電流の流れる電気椅子で処刑されたテロリスト集団の幹部がいたが、ちょうどあんな感じだったと思う。アレは楽しかったなあ。死ぬときの無様な顔といったら……。


「あっ!」


 恍惚と共に回想に浸りかけた私だったが、すぐ現実に戻り、思わず声を上げていた。

 ドクン、と心臓が跳ねる。ここまでの形勢逆転。魔王が無事で、ジークフリートはぶん殴られ、武装した天使たちも壊滅した。

 あの場でピンピンしているのは突然現れたおしゃべりをできる不思議な黒猫と、拘束を解かれて自由を取り戻した魔王様だけ。

 だった、のだが。


 人間に似た、二体の生き物が突如として現れていた。


 魔王と、黒猫のすぐ近くに。


 出現の仕方は、ジークフリートをぶちのめした黒猫よりもさらに唐突だ。

 何もないところから、突然現れた。子猫(というか、子猫に変態する前の腕)の出現の時は、空間がひずむ様子が肉眼で見えたのに。


 相当な美人、だと思う。二人とも。私の美的感覚によるとだが。

 一人は右の頬に、“Ⅱ”という文字がある。入れ墨だろうか。

 もう一人は、“Ⅵ”の文字が、首筋に見えた。

 ともに、文字の大きさは、人差し指と中指を並べたくらいだと思う。

 その姿かたちは、私たちや普通の人間や、魔王様と変わらない。

 ただ、衣服はかなり独特だ。どこかの国の民族衣装だろう、白い布で身体を巻いている。身体のラインがかなり際立つ姿だった。けっこうエロいと思う。殿方の感覚はよく分からんが。


熾天使ミストレスの二・ツヴァイ

「同じく、熾天使ミストレスの六・ゼクス


 短い名乗りが、スピーカーから聞こえてきた。


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