第2話 極秘プロジェクト

 PV撮影から一か月……


 俺が目覚めたのは春特有の新たな風を感じさせる日であった。素早く身支度を済ませて、いつも通り朝6時におんぼろアパートを出る。


 会社への道はいつもと何も変わらない風景だが、今日に限っては眩しく輝かしいものに見えた。なんてったっていよいよ『アニマ』の発売が明日に控えているのだ。浮足立つのも仕方がない。


 そしてそんな俺を増長させるように、ホログラム投影機によってビルに見慣れた映像がでかでかと垂れ流される。内容は先日撮影したPVだ。

 生憎、今は午前6時2分。地方の開発が進んだ今じゃ、首都東京の人通りもこの時間では疎ら。故に足を止めてホログラム広告に目を向ける人は俺の数メートル後ろの少年のみ。朝練か?青春だね。


 一瞬少年と目が合う。俺はすぐに目を逸らしたが、少年は何を思ったのか、こちらに駆け寄って話しかけてくる。


「おじさん、もしかしてデイドラの人?」


 デイドラとはうちの会社の名前だ。何故勘付いたのかは分からないが、きらきらとした瞳で尋ねてくる彼に嘘をつけるほど俺の心は濁っていない。それに興味を持ってくれているのなら全力でお客様対応するのが俺の役目。きちんと肯定して、きちんときちーーーーんと丁寧に宣伝しておいた。俺の年齢はまだお兄さんだという事も付け加えておく。


 あれ?少年が苦い顔をして離れていくよ?おかしいね。


 ……まぁいい、彼の苦い顔も今日が最後!なんたって明日はアニマの発売日!少年の顔にはきっと笑顔が戻る!世界中の戦争だって今日でオシマイだ!


 はぁ、きっと明日は世界の分岐点になるんだろうなぁ……


 けど、ここで燃え尽きちゃいけないよな。オンラインゲームはリリース後も重要なんだ!プレイヤーたちを楽しめるために日々サービスを向上させていかないと!



 ∇∇∇



 ……



 …………



 え?なんだって?



「だから菅野くんは運営チームから抜けてもらうよ。次は新規開発部門でその手腕を振るってくれ。人手が少なくてスケジュールが大幅に遅れているんだ」


 へ?

 恰幅の良いなんて綺麗な言葉で示す必要はない。だらしない体型の男が煩わしそうな顔をしながらそう言った。


「ア、『アニマ』の運営は……?」


 場違いな空気の中、唯一人この場に立たされる俺は緊張と混乱が混ざり震える声で尋ねる。


「運条君なら君がおらんでもやり遂げてくれるよ。大丈夫、心配はいらないさ」


 また別の男が言った。


「菅野?残念だけど、会議で決まったことだからな。いつものお前の無茶も通らん。何も心配するなよ?営子なら立派に『アニマ』と部下たちを導いてくれる」


 朝礼でいきなり会議室に呼ばれたかと思えば辞令を言い渡された。いや、辞令ってもっと静かに聞かされるものじゃないのか?なんでこんな大勢の前で公開処刑のように大々的に告げられにゃならんのだ。などと、今考えるべきことから逃れ、頭がうまく受け答えができないのを良いことに、言うべき事は言ったと満足顔の重役連中が続々と通り過ぎていく。


 俺は懸命に言い渡された話を反芻する。

 俺がアニマの班から異動?そんなバカな。色々と無茶はしたが、それでも俺は『アニマ』を盛り上げるために死力を尽くしてきたつもりだ。


 その俺が?異動?なんでだ?

 ハンマーで叩かれたような感覚が頭を襲う。頭によぎるのはこれまでの忙しくも楽しかった日々。これが走馬灯というやつか。

 まさか、異動を告げられたショックで死ぬことになるとは……

 神様、もし存在しているのならこの命『アニマ』内のNPCに転生させてください。あ、王族とかにさせてくれると自由も効くし一層嬉しいです。


「ゴホンッ!……意外と余裕ありそうだね、菅野君」


 思い詰めた挙句、信じてすらいない超存在に縋っていた俺は一人の老人の声に反応した。


 ……これが神か?


 見た者を引き付けるかのような存在感を放つ。これがカリスマだとまざまざと見せつけられるような老人。


「会長……?」


 ある意味、神であった。

 老人の名は『吉家 景近』。デイドラ社を設立した会社のトップである。顔だけは何度も見たことがあったが、実際に話すのは初めてだ。


「君の働きは嫌と言うほど聞いてるよ。全く、随分無茶をしてきたんだね」


「必要な事だと判断しましたので」


 本心だ。嘘偽りのない言葉だ。


「……そうか。だが、私も言わせてもらおう。彼らも君と同じだ。会社の今後のためを思い、この判断を下したんだ」


 会長は全てを見透かすかのような目で俺のほうを見た。何も言い出せなかった。『アニマ』の今後のために。そこに俺は必要ないと判断された。


「なんだ、納得するのかい」


「え?」


「さっきのはウソだよ!ウーソ!連中はただ君が昇進の障害になると思って飛ばしたに過ぎない」


 さっきまでの厳かな雰囲気から一変し、瞬く間に好々爺を思わせる顔になる。


「ほら、こう聞くと腹が立ってくるだろう?だから君ももっと無茶してやんなさい。会議の結果は覆せないが、別にここだけが『アニマ』を支えられる場所じゃないだろ?」


「会長、そろそろ時間です」


 どこからか金髪の秘書が現れる。


「ふむ、そうか。凜に会っておきたかったんだが……それでは菅野君、頑張りたまえ」


 ぽかんと放心したままの俺を放って会長と秘書は会議室を去っていった。



 ∇∇∇



「『アニマ』を支える……か」


 未だに辞令を告げられた衝撃が癒えずに本社の二階バルコニーにてオレンジジュースを嗜んでいた。

 デイドラでなくとも、『アニマ』を支えられる。社長のその言葉の真意を探りながら。


「先輩!」


 一人の女性社員が俺の後を追いかけて現れた。彼女は高校時代から世話を見てきた俺の可愛い後輩だ。どうやら俺の異動を聞きつけたようだ。

 名前は『吉家 凛』。吉家の名の通り、さきほどの会長の娘さんにあたる。会長が俺の事を知っていたのは彼女から話を聞いていたのかもしれない。


 ……俺の名誉のために言っておくが、打算があって彼女と仲良くしてきた訳ではない。たまたま高校の部活が一緒だっただけ。その関係が今になってもズルズルと伸びている。

 まぁ、偶然とは言え会長の娘と懇意にしているからこそ、上司連中が俺を厄介に思うのも仕方がないのかもしれないな。


「吉家、どうやらこの会社での俺の猛進はここまでのようだ……」


 おそらく俺の異動を聞きつけたのだろう、いつも明るい彼女の顔は俺よりも暗かった。


「アーリーリタイア、になるのかな?」


「先輩の年齢ですとアーリエストリタイアですよ」


 就職してまだ6年。人生とは波乱万丈なものである。今まで何度も思っていたことだが、『アニマ』が完成したことに加え、朝の会長の一言で踏ん切りがついた。


「先輩……」


「吉家は確か、『アニマ』の運営チームに名前が入っていたよな?」


 俺の直属の部下を運営に残すとは甘いな、おっさん連中め。いや、会長の手前、俺と違って真面目に働いている会長の娘を異動させるのは憚られるか。


「いえ!先輩が離れるなら私も……「バカ言うんじゃない!」


「え……!?」


「作ってはい、お終い!なんてしていいと思っているのか!?ゲームを盛り上げようと誓ってくれたNPC達の気持ちを踏みにじる気か!?」


 最早、このゲーム『アニマ』はデイドラ社の人間だけのものではない。『アニマ』の中に息づくNPC達。彼らの尽力なくしては『アニマ』を胸を張れる傑作ゲームにすることは叶わなかっただろう。

 俺はともかく吉家までもがゲームに直接的に関われなくなればきっと『アニマ』は駄目になってしまう。それだけは絶対に許せない。NPC達に申し訳ない。


「は、はい! でも、それなら先輩だって……」


「ハッハッハ!誰が運営を諦めると言ったぁ!吉家、俺はやってやるぞ!革命だ!俺は革命を起こすぞ!レボリューションだ!」


 運営チームでなくとも、デイドラの社員でなくとも『アニマ』を盛り上げられる所を見せてやる!


「不肖、吉家!全力でサポートします!」


 ポケットから取り出した封筒を握りしめ走り出す。待っていろよ、主任!俺の全力の辞表届、その身でとくと味わうがいい!!!



 ∇∇∇



 デスクに広がったペンギン侍『ペンディウス・ギンギン丸』の食玩フィギュアを片付ける。彼らには仕事で挫けそうなときいつも助けてもらった。


「ぎゅいーん!ペンペンペン!!」


「何やってるんだ?理人?」


 初心を振り返って人形遊びに興じていると、後ろから聞き慣れた声が俺を呼ぶ。


「む!その声は」


 振り向いた先に現れ出でたるはキツイ顔をした女性社員。バチバチのキャリアウーマンだと一目で分かる。

 この方は『運条 営子』。『ソウル』の開発主任補佐、俺の上司でもある。とても偉い。間違ってもアラサーとか言ってはいけない。


「珍しく主任が上機嫌でな、不思議に思いお前のところに……その様子だと間違いないようだな。まぁ、お前の態度も分かる。まだまだ新興会社として手が回らない部分があるし、窮屈に感じるかもしれない。だがな、会社とはそういうものだ。行動力が高いのは褒めるべき長所だ。だが、同時に短所でもあってだな……」


 彼女――営子は俺が新入社員として開発部へと配属された時に開口一番、呼び捨てで呼んでもらって構わんと言われ、それからもなにかと気にかけてくれている。

 もうこれは俺に気があるな、そう感じたね。……まぁしかし、誰にも勘違いはあるよね。未だに癒えない古傷の1つである。


「そのことはもういいんだ。会社辞めたから。営子も明日のサービス開始の準備をしといた方がいいんじゃないか?直前になって慌ててもなんにもならないぜ」


「出来ることは全てやったさ、後はユーザーの反応を待つだ……ん?……や、辞めたぁ!?」


 キーン……ワンテンポ遅れた営子の声がデスクルームに響く。他の社員もなんだなんだと驚くが、いつものことなのですぐに仕事に戻る。


「急に叫ばないでくれ!ギンギン丸が驚いてしまうだろ!!」


 彼は繊細なんだ。


「す、すまん。……いやいや!いいのか!?お前からゲーム開発を取り除けば変人しか残らんぞ!?」


 引き留めたいなら褒めるのが良い上司のやり方だと思いますよ。


「正直俺はもう他のゲームを作る気力なんてないんだよ」


『アニマ』にすべて出し切った。元々ないリソースをすべて使い切った。今の俺は燃えカスさ。カスカスのカス人間。

 それに会社に残っていても『アニマ』がサービス終了すれば会社を辞めて兄貴の遺産でのんびり暮らす腹積もりだったんだ。それが思いのほか早くなっただけ。


「理人……良かったらいつでも連絡してくれ。人1人養うくらいの稼ぎはあるからな」


 もう見るに堪えないといった風に、営子は気の毒そうな顔をして自分のデスクに戻っていった。

 営子……お前ってやつは……


「ぎゅぎゅぎゅーん!ペーンペンペンぺん!!」


「菅野さん!うるさい!」


「ご、ごめんなさい!」



 ∇∇∇



 会社の荷物をまとめ、ついにデイドラ社最後の退社を迎えた。厳密には来月が退職日なのだが、それまでの仕事は全て在宅でも出来る物にしてもらった。主任が「ありがとう」と泣きながら連呼する姿に思わず俺は泣きそうになった。

 

「先輩んち、久しぶりですね!」


 脇には連れた吉家が楽しそうだ。庶民の家がそんなに珍しいか?こんちくしょう。

 俺の家でこれからの『アニマ』の運営作戦を立てる。と言っても概ね方針は決まっているのだが。

 何も考えずに辞表を出したり子供用の食玩フィギュアで遊んだりしていたわけではない。


 ポケットから鍵を取り出しインサート。


「お邪魔します!」


「どうぞいらっしゃい!」


「先輩のお家、まだ生体認証導入していないんですか?」


 築50年の安アパートにはそんな高性能セキュリティは搭載されておりません。そもそも必要がない。


「安いからいいのよ。それに無くても困りはせんさ」


「……センサーだけにですか?」


「いや、そういうつもりじゃ……」


 気まずい空気を漂わせて帰宅。1人身の男に人間の出迎えはない。


『おかえりなさいませ、理人様』


 玄関の壁に取り付けられたモニターの電源が点くと同時に、狭いワンルームの明かりが点灯する。


「ただいま、アネットさん」

「アネットさん、お久しぶりです」


『吉家様もお疲れさまでした』


 モニターの奥で深くお辞儀する妙齢の女性。彼女は兄貴が学生時代に友人と共に作った世話焼きAI『アネットさん』だ。

 家中の電化製品とリンクしており、人間的最低限の生活が送れるよう俺をサポートしてくれる。


「生体認証は採用していないのに、こんな所はしっかりしてるんですね」


 AIが珍しくない時代にはなったが、どこにでもいるわけではない。少なくとも旧式のアパートにとってはオーパーツだ。


「兄貴の形見みたいなもんだしな。それにやっぱり楽だし」


 冷蔵庫から冷えた烏龍茶を取り出し、ちゃぶ台に置く。吉家が俺の前に座り、さっそく話題を振ってきた。


「先輩、結局辞めてきちゃったんですね」


「そうだな。主任や営子は残念がってくれていたがお上の連中はニヤニヤしていたよ」


 そういう彼女の顔は寂しそうだ。そろそろ先輩離れをしないと嫁の貰い手が無くなるぞ。


「で、無職になった先輩はどうやって『アニマ』を盛り上げるんですか?」


 ……こうストレートに無職といわれると傷つくな。だが、待っていた質問だ。


「ふふふふ!吉家、これを見よ!」


 ワンルーム隅を占拠するが如く鎮座する物体を指し示す。VRダイブマシン『潜ろう君』。お値段なんと給料3ヵ月分!婚約指輪もびっくりの高貴さだ。

 こんなに高額なのは会社のお得意先にカスタマイズしてもらった逸品だからだ。本来ならもっと低価格で販売しているが、俺だけの専用機を量産品にしていいはずがない。俺は何事も形から入るタイプなのだ。赤と黒がドギツイ色の組み合わせ、癖になるぜ。


「これがどうしたんですか?」


 うぐぐ……財閥令嬢。見るからに市販ではないダイブマシンを前にこの態度、これくらいの高級品は見慣れているという事か


「なら、これでどうだ!てれれってってれ~!デイドラ社極秘データ~!」


 何十年も前に販売中止になった某ネコ型ロボットのマネをして懐からチップを取り出し、天に掲げる。これにはさすがの吉屋も驚きを禁じ得ず……


「先輩、それ犯罪じゃあ……」


 訝しむような眼で俺を見るんじゃない、吉家。こうなる事を予見し、少しでも和やかにしようとした俺の努力が無に消えてしまうじゃないか。


 そう、我が取り出したるこのチップ。これにはテストプレイ時に使用した便利な機能、いわゆるチートコードが書き込まれている。


「革命というのは多少の犯罪を乗り越えばならぬのだよ、吉家。革命は会社では起こらない!このワンルームで革命の第一歩が踏み込まれるのだ!」


 ……自分に言い聞かせるように言ってはいるが立派な犯罪だ。ちゃぶ台に隠れて吉家には見えないだろうが、膝の上に置いた手が尋常じゃない程震えている。


「なるほど!先輩、輝いてます!」


 いや、震えているんだって。しかし、流石ここまで俺に付いてきた選ばれし者。こう易々と肯定してくれるとは……将来、詐欺なんかに騙されないよう気を付けてほしい。


「うん、ありがとう。可愛い後輩よ」


「先輩それで私は何をすれば?」


「うむ。では作戦の全貌を聞かせよう!」


「……はい!」


 このチップ内に入っているのは社員専用のメニューコマンド。このチップを予めインストールすれば、ゲーム中にテストプレイで使っていた機能が使用できる。

 だが、そのコードを悪用して『アニマ』を滅茶苦茶にしてやろうと考えているのではない。これを使い、プレイヤーの不満を解消してやるのが俺の目的だ。決して褒められない行為だが、俺の使命は『アニマ』を盛り上げる事。そのためなら、俺は喜んで魂を売ってやる。


「と、いうことだ」


「なるほど、つまり先輩はプレイヤーとして『ソウル』の運営を行うんですね!」


「ん~……平たく言えばそうだな。

 んで、吉家。お前には俺が必要に応じて作った新クエストや新NPCを極秘裏に会社でアップロードしてくれればいい。膨大なクエストが実装されているから社員にはまず気づかれまい。管理NPC連中には俺から話を通しておく。……もし、バレた時は俺に脅されたと言えばいいさ」


 独房でくさい飯を食うのは俺だけで十分さ。


「了解しました、先輩。でも私、ヘマなんてしませんから」


 吉家は自信に満ち溢れた顔で言う。頼もしいやつだよ、ホントに。


「――では今ここに、極秘プロジェクト『サクラオンライン』の始動を宣言する!」

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