第3話 眠れる惑星「泡」の件

 そしてくく、と含み笑いをすると、彼はGの肩を急に引き寄せ、唇を重ねた。

 Gは彼の唐突な行動に驚きはしたが、それを態度に表しはしなかった。

 腕を回し目を閉じ、むしろそれに積極的に応えた。瞬間的に彼は、青年の意図を悟ったのだ。

 周囲に集まった紳士淑女達は、ああそういうことね、と意味ありげに囁き、微笑むと、ある者は静かに、ある者はなあんだ、と含み笑いを残し、またある者は恰好にそぐわない罵倒を口にして去っていった。

 気配が消えた頃、彼らはようやく身体を離した。


「意外に情熱的じゃないの。氷のようだと思っていたけど」


 キムは含み笑いの続きを口にする。一方Gは、彼は彼で、元の穏やかな表情に戻る。だが口に出した言葉の内容は決して穏やかではなかった。


「ふざけるな。指令は何だ。そのためにここに居るのだろう?」

「そう、そのことなんだけどね。……ああ嫌だね、殺気がにじみでてるよ」


 さらりとキムは言う。Gは微かに眉を顰めた。


「恋人にそういう態度ってないんじゃないの?」

「悪かった」


 連絡員の言葉は、Gが無意識に醸し出してしまっていたその隠された素性を非難していた。


「ねえ、ここは仮装舞踏会なんだよ? ここでは楽しまなきゃ損なのよ。ほらほらそこに道化師が居る。あれでも見て機嫌治して」


 キムはそう言うと、ふらりと長い手を上げると、視線の矛先を変えた。つられるように、Gも視線をずらしてみる。

 そこには先程カクテルを手渡してくれた赤の道化師が居た。ひどく軽い足どりで、訳の判らない恰好をした人の海を泳いでいく。その道化師の回りだけ、重力が切り離されている。そんな気がした。

 その様子を見て、機嫌直した?と言いたげに、キムは再び彼を引き寄せる。Gは耳元に連絡員の唇があるのに気付いた。


SERAPHセラフのことは聞いたことがあるだろ?」


 わりあいとにこやかな顔のまま、殆ど唇を震わせることなく、キムは言葉を発した。訓練を受けた人間のする、特殊な喋り方だった。そしてまたGも、同じ方法で返す。


「天使のことだろ? 古典の昔から。最高の天使」

「あたり。正しくは最高の天使達、って方がいいよね。崇高な理念により我らが悪意と悲劇の活動を妨害せんとする、とぉっても心正しい方々」

「全くだ」

「あれがどうやら、アルティメットに『悲劇』の機密文書を隠したらしくてね」

「『悲劇』のか?」

「そう。『悲劇』の方」


 集団「MM」。

 この名前の本当の意味はGも知らないが、構成員達の中で推測されるものはあった。誰が言い出したものかは既に時間と空間の海の中に沈み込み、決して浮かび上がることはないが、言葉は残った。

 彼らは、集団の活動の理念を「悪意」と呼んだ。そしてそれを、実際の行動―――結果としてそれは戦闘行為に発展することが多い――― に移した時、「悪意」は「悲劇」となる。

 この二つの言葉の頭文字はどちらもM。だから―――

 だがその答が上から来ることは無い。


「お前先日の惑星『泡』の事件を覚えている?」

「噛んでいた?」

「無論」


 キムは当然、と言いたげにうなづく。

 Gは直接関わった訳ではないが、その惑星「泡」における騒乱の話は聞いていた。

 「完全なる辺境」とまではいかない星域に、さほどの感慨もなくぽつねんと置かれているような惑星「泡」は、豊富な鉱物源だけによって潤う小さな惑星だった。

 自治府は最もお得意先である帝都本星に忠実だった――― その時までは。

 何が原因であったかは判らない。

 だが確かにそれは起こったのだ。大人しい「泡」の市民達はその日、怒れる人民と化した。

 さすがに帝都側も見過ごしてはおけず、そこに最寄りの惑星から軍が派遣され、鎮圧を試みたのだが、交差する情報の末に到着の遅れた軍が見たものは、眠る市民の姿だった。

 死んではいない。だが意識を取り戻す者もいない。

 居住区の透明な半球の中で市民は、家の中、柔らかいベッドの中から、道端の側溝の上に至るまで、老若男女、貧富の差も全て蹴散らして、皆平等に、誰一人として目を開けてはいなかった。


「あれにうちが噛んでいること自体はまあいいんだよ。ただ方法がまずかったのさ」


 キムは肩をすくめる。


「方法が?」

「FMN種の生物兵器をばらまいた」

「FMN? それって生物、というのはやや違うんじゃないか?」

「まあね… でも極小生体機械までいっちゃうと、そのへんの定義は曖昧だろ?それにどっちにしろ、あれは有効だけど、ルートが限られている。まあさ、今の所我々が原因とは公にはされていないけど――― どうやらその文書には、その時の様子が一部始終書かれているらしいんだ」

「だけどそんな文書がよく存在したな」

「まあね。まあ文書、と言うのは差し当たって上手い言い方がないからであってさ。本当は紙だかディスクだか、はたまたもっと別のものなのか――― とにかく記録した『何か』。それを見つけだし、情報を引き出してしまうか、破壊するのがお前に中央が下した命なの」

「なる程ね」


 彼はゆったりとうなづいた。訓練とは無関係の優雅さがその何気ない仕草にはあった。


「用意された身分は?」

「避暑の学生だろう? だったらアルバイトくらいしてもおかしくはないな。アルバイトは裕福な学生の特権だ」

「それはそうだ」


 くく、とキムは彼に向かって笑いかける。やや苦笑いをそれに返すと、Gはするりと彼の腕の中から抜けだした。

 キムは急に口を大きく開け、オーヴァアクション気味に手を広げた。


「おやもう行ってしまうのかい?」

「そうなんだよ。そのアルバイト先から呼ばれていたことを思い出してね」


 負けず劣らずの演劇がかった声で、なおかつクールに彼は答えた。


「名残惜しいなあ。また今度会った時にはもう少し打ち解けてくれてもいいんじゃないの?」

「考えとくよ」


 そして彼は再び古典演劇的な優雅さで手を上げた。


* 


 Gがその場から立ち去ってからも、しばらく連絡員はその席に留まっていた。半顔の仮面を頭の上に乗せ、傍目からはぼんやりとしているように見える。

 やがて、重力の無い足どりが音もなく、彼の背後に近付いてきた。

 キムはふっともたれたカウチの背から見上げた。するとそこには赤の道化師がぬっとカードを手にしていた。


「抜けって?」


 道化師はバネ人形のような動作でうなづく。彼は言われた通りにカードを引いた。そして一瞬じっとそれを見ると、ゆっくりと裏返した。


「このカードは変わってるな。女王様が蒼いぜ」


 すっと、芝居がかった手つきで、道化師はそのカードを取り戻した。だが何処へ隠したのか、それはすぐに見えなくなった。キムはその様子を見て笑った。


「相変わらずいい腕だ。そっちを本業にしたらどう?」


 それを聞くと、道化師は大げさに腕を広げ、背中から青年の首に腕を巻き付けた。ほとんど頬をすりつけるくらいの勢いは、端から見れば実に微笑ましい光景ではあった。

 だが。


「何だよ」

「あれはどうだ?」


 道化師の唇もまた、殆ど動いてはいなかった。


「上々」


 くくく、と彼の背中で、笑い声が聞こえた。

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