さあ、幕開けだ!

 わたしの判断は速い。

 ……だったらわたしが進めるしかないじゃん。



 それだったらまずは、彼をどうにかしなければいけない。



「高橋くん」



 答えない。



「たーかはしくんっ」



 答えない。

 ついにわたしは両手をメガホンのようにした。



「高橋くん、高橋くん、たーかはしくーん!」


 すると最後の席、つまり高橋くんの左隣に座った渡辺さんは、高橋くんの耳もとのそばに両手でメガホンをつくり、叫んだ。


「わーっ!」


 高橋くんはびくりとからだを震わせ、なにかのボタンを押すと、おそるおそる渡辺さんを見上げた。ヘッドホンをずらす。


「……なんですか」

「若者よぉ、かわいい女の子の話は聴くのがマナーだろー?」

「はぁ」

「高橋くんって、ほんとに気がついてないの? だとしたらそれはそれで面白いけれど。五人、揃ったよ。これで話ができる」


 わたしは、あらためてテーブルを見渡した。

 わたしを中心として時計回りに、サラリーマンの田中さん、高校生の高橋くん、大学生の渡辺さん、小学生の陸くん。……わたし以外、全員男性だ。




 わたしは呟きに似せて投げ込む。




「……みなさんは、信じますか。みなさんも――天使に、会ったんですか?」




 だれも答えない。



「わたしは――会いました。そして、選択を迫られました。夢だと思おうとしました。でも現実がそれを許さなかった。……だってわたしはいまここにいて、そうですよね、みなさんもここにいるんです。……そういうこと、ですよね」




 ――いっそ全否定されて場があっというまに解散したらいいのに。




 渡辺さんは、茶髪の前で手をひらひらさせる。大ぶりなピアスがわずかに揺れる。




「ちょっと姫子ちゃーん、目がマジだよ? もっと軽くいこ、軽く」




 軽く――。

 世界の話を軽くしろというのか。




 話さなければ、いけない。きっと。ちゃんと、向き合って、つらぬかなければいけない。

 わかってる。わかってるよ。

 ――ちゃんと話すのは怖いことだけれど。



 だから、そのためにも、わたしは言う。――だって形式というのはだいじだ。




「……じゃあそのためにとりあえず、タメ語でもいいですか?


 渡辺さんは面食らったような顔をした。


「……ああ、うん、いいよいいよー、問題なし。現役いの女にタメ語使われるとかレアだわぁ。大学のやつら、うらやましがるだろなー」

「ありがと、自慢していいよ? ……田中さん」


 自分に話題が振られるとは思っていなかったのか、どこか宙を見つめていた田中さんは、慌ててわたしに笑いかけた。このひとは、引きつるような笑みをする。


「あ、ん、えっと、なんだっけ? ごめんごめん、ぼうっとしてしまう癖があってね、よくないね、だいじな会議のときなんかは気をつけてるんだけどなあ」

「田中さんにもタメ口でいいですか? いま、そういう話をしてて」

「タメ口? なぜかな?」


 口もとが、ほら、さらに引きつる。笑顔のつもりなんだろうけれど。



 わたしの個人的事情の上澄みスープを飲ましてあげれば納得してくれる、ならば、べつにそれはそれでかまわない。



 照れ笑いさえつくりながら、わたしは言う。


「……わたし、敬語ってあんま得意じゃなくて。本音で話さなきゃいけないのに、それだと、うまく話せないなって思って」

「ふぅん。なるほどねえ。いまどきの子ってそうなのかな。いやいいよ、僕はべつにいいんだ。会社にも若い子いるもんだけど、そういう感じだしね。僕はね、僕は、若いひとのことを尊重したいよ。でも社会だとそれは通用しないんじゃないの? ねぇ。……はあ、まあ、いいけど。それでやりやすいんならそうすればいいよ、尊重するよ」

「うん。尊重だよね、ありがとう。そうするね」

「あの」


 陸くんが、おずおずと胸のあたりで手を上げた。


「僕も敬語じゃないほうがいいんですか? 僕は、子どもですし……」

「陸くんは、そのままでいいんだよ。自分の美学をだいじにしなね」

「……美学、ですか」


 そう言うと、陸くんはきゅっと唇を結んだ。


「――っていうか」


 高橋くんは両肘をテーブルに乗せ、そのうえに顎を乗せている。目をぱっちりと開けておく気すらもないらしい。ゲームを止められたのがよっぽど不愉快だったのかもしれない。いやでも、もしかしたらいつもこうなのかもしれない。


「こういうの。怠くないすか? 敬語とかタメ口とか。どっちでもいいでしょー。早くやりましょーよー、怠いっすよー」



 そのとき、ふと、思った。

 わたしは、このひとたちと話をしていくことになるのだ。


 世界と、自分。――どちらを選ぶか、ってこと。



 うららかな四月の昼下がりには似つかわしくないし、わたしはクラスでも部活でももちろん家でも、ぜったいにそんな話はしないだろう。


 きっと、環境も考えかたも価値観も、いろんなことが遠くって、けれどいまここにいるわたしたち。



 ――だいじょうぶだ。だいじょうぶ。


 演劇といっしょ。演劇といっしょなのだから。演じるときにキャラのことをわかっていくように、わかっていけばきっとそれでいい。




「……そうだね。はじめよう」




 ここはわたしの舞台。

 さあ。――幕開けだ。

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