第27話 佐山あかねはギャルっぽい(その3)

佐山あかねがWLAに潜入してから数日。


 久瀬先輩に対する性的な視線も、いくらか減少しつつある。そんな火曜日。


「よし、これでデータは揃ったな」


 俺たちリア充撲滅同盟は、着々と準備を進めていた。

 佐山あかねは無事に潜入任務を完了し、花火大会時のハートの花火の置き場所や、WLAの見張りのタイムテーブルおよび配置図を確保。初仕事にしては赫々たる戦果を挙げている。


「これより、定期テスト対策期間として、テスト終了まで本活動は休止する」

「なんか少し早くないです?」


 ミササギに佐山が問う。それもそのはず、部活動などの休止期間はテスト二週間前からだ。現在は三週間前なのでそこまで焦ることではない。


「いや、学生の本分は勉強だ。ここで成績を落とすと補修をくらって花火大会に出られなくなる」

「うげ、」

「花火大会に出られないと、作戦も元も子もないものね」


 先日、ミササギが話した作戦によると花火大会当日に作戦が決行される。決戦である花火大会時に補修をくらっていたら、人員に穴が出てしまう。


「では、解散」


 お疲れ様でーす、と佐山あかねが一目散に地学準備室を出ていく。彼女は今日もWLAの仕事があるらしい。

 さて、俺も帰るか、とそう思ったところで背中に声が投げられる。


「二人とも、今、いいかしら?」


 そう問うたのは久瀬先輩だった。柔らかな、笑みを湛えたその声音に振り向く。


「なんです?」

「どうした?」


 久瀬先輩は視線だけで座るように誘導し、俺たちに向き直ると紅茶に口をつける。

 緩く瞑目したその表情は、地味さの奥底に素材の良さが垣間見える。なるほど、この人がモテるわけだ。


「何か、変化に気づかない?」

「なんかあったんです?」


 久瀬先輩はちらとドアを一瞥し、次は窓の方を一瞥する。どこからか視線を感じているらしい。盗撮、なのだろうか。


「……何も言ってくれるな、久瀬由香」


 重苦しく答えたのは、ティーカップに口を付けて片目を瞑っているミササギ。


「ふふ、東山くんは気づかないのね」


 気づかない、と言われても分からない。久瀬先輩がイメチェンをしたのは先日のことで、それには俺も一枚かんでいるのだからわざわざ俺に問うまでもないだろう。

 となると、やはり盗撮などを受けているのだろうか。あるいはストーカー。けれど、声音はどこか余裕じみたものを含んでいて、そんな深刻な問題は想像できない。


「さらしよ」

「……晒し? まさかネットかどっかで……!」


 彼女と別れた腹いせに、元カレがアレやコレの画像をネット上にアップするケースがあると聞く。ネット上にあられもない姿を晒された、という悲劇的な可能性が思考を侵食する。


「先輩、じゃあ特定してなんとかしないと!」

「胸の」

「……むねの?」


 宗野、旨の、ムネノ……あっ、胸の。


「おい東山、目え潰すぞ」

「ごめん」


 無意識的にミササギのささやかな胸に視線が吸い寄せられていた。ごめん、悪気はないんだ。だって俺、どちらかと言うと貧乳派だし。


「ええ、苦しくない巻き方を見つけたからやってみたの。どう?」

「どう、って言われましても……」


 何言えばいいんだろう。いいですね、は変態っぽい。似合ってますね、は変態っぽい。かわいいですね、は変態っぽい。だめじゃん。


「変態」

「何も言ってないよね俺」


 ミササギの視線が痛い。


「ま、それはさておきなんだけど」


 俺が信用を失いかけるのをさておきとは、ひどいなこの先輩。


「ありがとうね、いろいろと」


 そう言ってふっと笑みをこぼす久瀬先輩。メガネをかけているせいか、その瞳にどこか儚げな印象を抱いてしまう。時折、中学時代の地味な女の子が垣間見える気がして、そんな自分が嫌になる。


「いえ……結局、何もできていませんから」


「君は十分、頑張ってくれたわ。それに、たとえ何もできていなくても手伝ってくれただけで気が楽になることもあるのよ?」

「そういうもんですか」


 そういうものよ、と彼女は微笑む。

 もしも、こんな俺でも力になれていたのなら、ありがたい限りだ。


「では、解散だな」

「東山くん、あの銃、君が持って帰ってくれないかな?」


 ミササギの言葉を、久瀬先輩が遮るように言葉を放つ。その表情はいつも通りの柔らかな微笑みで、その意図までは読み取れない。


「別に構いませんけど……」


 地学準備室の巨大な本棚の引き出しを開け、ちょうど両腕を伸ばした程度の大きさの顔ケースを取り出す。初仕事で使って以来、数度の使用ですっかり愛着が湧いていたからやぶさかではない。


「ありがとう、じゃあ、私は勉強して帰るわね」

「あ、はい。お疲れ様でした」

「あぁ、お疲れ様」


 そうして、後には俺とミササギの二人っきり。

 自然、沈黙が辺りを包み込む。けれどそれは居心地の悪いものではなく、全てのものがあるべき場所に収まっているゆえの静謐ともいうべきものだ。


 次第に梅雨前線が北上してきて、梅雨はもう目前。外で活動する運動部たちの滾るような声が響き、時折バットの金属音が空を衝く。長い雨の日々を前に、太陽は最後の輝きを見せていた。


「なぁ、東山」

「どうした?」

「……親に、なりたくないな」


 その言葉に答えられるほどの経験も、知識も、語彙も、感情も、俺にはない。


「俺もだよ、ミササギ」


 その言葉を、彼女はどう受け取ったのだろう。その真意は分からないまま彼女は立ち上がって、重いドアを開く。


「私は、父親のところに行ってから帰るから。先に帰っててくれ」

「ああ」


 閉じられたきり、そのドアは開かれない。


「………………俺も帰るか」


 されど、別のドアが開いた。ドアってか窓だこれ。

 振り向けば、世界史教師の大宮先生がサッシに足をかけて、上から垂れ下がるロープを手に握っていた。


「な、何してんですか先生⁉」


 ここは地上三回。窓から落ちたら複雑骨折は保証される高さだ、そんな所に何故かロープ一本で。


「若気の至り、かな」


 あと十年で定年ですよね、先生?


「そ、それなんすか?」

「これかい? いやぁ懐かしいねぇ。綱のぼりなんて久しぶりにやったよ」

「お若いことで……」


 そんな会話をしているうちに、大宮先生は窓べりから地学準備室内に入ってきた。土足っすか。


「活動の方はどうなんだい?」

「あぁ、しばらく休止です。テストまで」


 ほお、とそこそこ伸びた白い髭を触るその動作には、どことなく仙人めいた雰囲気が宿っている。ピンチの時に覚醒しそう。


「そうか、じゃあ仕方ない」

「仕方ない、って何がですか?」

「……君になら、言っても御陵さんは怒らないだろう」


 そう、じっくりと前置きをしたうえで大宮先生は続ける。






「御陵さんはね、人を愛せるんだ」






「……は?」


 心臓の鼓動が、聞こえない。ただ秒針のみがこの空気を読まずに音を刻み、不意にがらんどうになった心臓らへんに嫌に響く。虚脱感、ともいうべきものが四肢を巡り、力なくソファに座り込む。


「そんな、わけ、ない、じゃ……ないですか」 



 彼女は、俺とリア充を撲滅していくと誓ったはずで。

 彼女は、俺の思考を受け入れてくれた唯一の人で。

 彼女は、生きづらさを抱える少数の人を救うと決めていたはずで。

 彼女は――彼女は、なんだろう。

 俺は、何を知っていたのだろう。

 甘いものが好き。時折優しい。たまに下ネタに弱い。美人。口調は少しだけ固い。

 あとは、何を知っている。何も知らないだろう。



「彼女は、俺と同じように恋愛が出来ないんじゃ……なかったんですか……」


 ソファに沈み込んでいく感覚が、妙に心地いい。このまま溶けて、消えてなくなりたい。


「彼女は、恋ができない。それは事実だよ」

「なら、何が違うんですか」


 しょうもないことで、言葉が荒くなったのを感じた。なにキレてんだよ。


「恋と愛は本質的には全く違うものなのだよ、東山くん」

「なにがっすか」

「恋は衝動で、愛は抑制という感じかな?」

「……そうっすか」


 別に、自分の高尚な恋愛理論をひけらかしたいだけなら出て行ってほしい。そんなものでこの恋愛が出来ない状態が解決できるのならば、俺は最初からこんな状態にはなっていない。ある種の侮辱だ。



 恋だの愛だの、そんな脆弱なものはいらない。

 脆弱なものに縋ってきた人間たちの末路が、この世の中だ。



「きっと、君もいつか自覚できる」

「そうですか」


 言って、鞄とガンケースを持ってドアノブに手をかける。こういう手合いは関わらない方が得策だ。互いに傷つけて、有益なことなど何一つない。


「じゃ、さいなら」


 挨拶だけは残して、ドアを閉める。これだから大人は嫌いだ。

 自分は正しいと、過信して。そして身不相応な行為に至る。

 結婚であり、子供であり、そういった行為の果てに他人を傷つける。傲慢な我欲のなれの果てとしか言いようがない。


 俺は、そんな風にはならない。決して、決して。


 俺は、自分の程度を知っている。自分がそうなってしまう可能性があることを知っている。だから思考放棄はしない。


 全人類が幸福になるとき、それは全人類が消えた時だから。


「…………くそっ」


 けれど、それを理解してくれた彼女は。


 そこまで考えて、恐ろしいほどの衝動が俺の胸を衝いた。血管の一本一本が収縮して、全身におぞましいほどの熱が走る。熱は次第に顔面を伝って目頭に到達して、雫となって地面で弾けた。


「――――なんだよ、これ」


 理解が到底及ばなくて、足早に家に向かう。


 愛と勇気だけが友達? 嘘つけ、友達はベッドだけだ。

 愛も、勇気も、全ては無意味。ならば優しく包み込んでくれるベッドだけが世界の真理だ。

 寝て、起きれば全て忘れている。


 そう願って、俺はベッドに飛び込んだ。

 

 

 

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