第20話 幕間その1

第十九話


 高校生が奢れる程度の価格帯で、それとなくおしゃれなレストラン。


 そう、サイゼリヤである。


「……ねぇ、私、サイゼに来たことないんだけど……」

「ん? あぁ、中学生なんてそんなもんだろ」


 俺もサイゼに来たのは高校生になってからなので、別に珍しくはない。

 奥の席に通され、とりあえずレディーファーストで妹を座らせる。店内は晩飯時にも関わらず、そこまで混んでいるわけではない。平日だし。


「今日は奢るから、なんか好きなの頼んでいいよ」

「……ありがと」

「どういたしまして」


 彼女は、財布を持ってきていないらしい。

サイゼの価格なら、奢ってもそこまでダメージはない。リア充は「サイゼとかありえない」という会話をするという都市伝説があるが、安くてうまいのに何故だろうと甚だ疑問。


 それにしても、会話が続かない。

 あのタイツの下に見えた青紫色に滲んだ肌について言及するのは、もう少し距離感を掴んでからの方が良いだろう。晩飯に誘った時だって、彼女は一度断っているのだ。三年という時間を埋めるにはまだ時間が必要だ。


「…………」

「…………」


 沈黙。

 縋るように、立ててあるメニューからキッズメニューを探してテーブルに広げる。


「……間違い探し?」

「うん、激ムズの」

「へぇ」


 しげしげと覗き込んでくる智咲の方に、間違い探しを向ける。

 サイゼリヤ名物の間違い探しは、その難易度が果てしなく高いことで知られている。ぶっちゃけ「間違いが八個ある」ってことそのものが間違いなんじゃないかと思う程度には難しい。

 とりあえず先にオーダーをしてから、ドリンクバーを取りに行く。


「何がいい?」

「え、あ、ジンジャーエール…………ありがと」


 そう答える彼女に、どこか郷愁めいたものが胸に去来する。

 そりゃあ、三年もたてば多少の好みも変わってるわな。

 少なくとも、俺の記憶の中で彼女はメロンソーダが好きだったはずだ。何につけてもメロンソーダ。クリームソーダは邪道とまで言っていたほどの熱心なメロンソーダ教徒。


 それが今では甘さ控えめのジンジャーエール派である。おいしいけどな。

 月日は様々なものを変えていく。変わっていくのは関係だけでなく、その人自身も変わっていくのだ。

 記憶の中の智咲と、現在像を結んでいる智咲。それはそこかしこに差異があって、三年という月日の大きさを思わせる。

 飲み物をテーブルに置くと、再びしばらくの沈黙が流れる。

 そういえば、兄妹でレストランに来るのは初めてだ。

 多分、仲のいい兄妹だったのだとは思う。

 時々ヒステリーを起こす母親と、それをなだめる父親。すると妹を気にかけている余裕が両親から消えるので、代わりに俺が気に掛ける。逆もまたしかり。

 両親がろくでもなかったので、兄妹で助け合うしか道がなかったのだ。

 まぁ、高校生になった現在なら、両親の大変さとかも色々わかるので、一概に「クソみたいな両親だ」では片付けられない。


 大人には大人の大変さがあり、子供には子供の大変さがあるのだ。

 だけど、「大変な中で頑張ってる」ことを免罪符にして、他人に迷惑をかけていい理由にはならないよな、とも思う。

 家族であっても、それぞれ思考は別々。所詮は他人なのだ。

 そんなことを思いながらジンジャーエールを啜っていると、料理が来て一時的に会話が発生した。


「ミラノ風ドリアって、こんな感じなんだ……」

「あぁ、これに辛味チキンか、シナモンフォッカチオを付けるのが最近の高校生のトレンドだ」


 あくまでそれはバイトとかしてリッチな高校生の話。普通ならドリンクバーにフォッカチオ頼んで、ドリンクバーについてくるガムシロとレモン汁をフォッカチオにかけて食べる。これが馬鹿にならないくらい美味い。


「へぇ…………」


 そう呟きながら、視線は俺の方を向いている。横紙を耳にかけ、ほんのり上目遣いになっていることから、その表情の真意を悟った。


「……シナモンフォッカと辛味チキン、どっちがいい?」

「……シナモンフォッカチオ」


 まぁ、俺、バイトしてるし。久しぶりの再会だし、いいよな。

 そう自分を説得して、智咲が選んだシナモンフォッカを注文する。

 お互い、出方を伺いながらミラノ風ドリアを食べ進める。不用意に踏み込みすぎず、かといって沈黙が続かないよう配慮して。


「母さん、どう?」

「あんま変わってない」

「そっか」

「……」

「……」

「お父さん、どう?」

「なんか引きずってるっぽい。朝も寝言で母さんの名前叫んでた」

「……そっか」


 沈黙を縫うようにぽつぽつと話題が提供され、そのたびに再び沈黙が流れる。

 ミラノ風ドリアはまだ熱い。下がやけどしてひりひりする。


「……熱くないの?」

「え、熱いけど、別に大丈夫……あ、そっか。お兄ちゃん猫舌だったね」

「そういえば智咲、熱いの好きだったな」

「うん」

「そういえば昔、バーベキューした時も俺が食えてない横でバクバク食ってたな」

「……そんなのあったっけ……?」

「あったよ。ほら、俺が中学上がったばっかの時さ。お祝いでやったアレ」

「あぁ、あったあった! お父さんが焼きとうもろこしを黒焦げにしたやつだ」

「うわ懐かし。タレ付けて焼くのって難しいんだよな」

「そうそう。中に火が通ってないのにタレだけ焦げちゃうんだよね」

「……あれ? 料理するようになったの?」

「うん。たまにだけど。案外面白いんだよ、料理って」

「作ったモノ自分で食えるしな」

「そうそう、努力がおいしさになって返ってくるの」

「モチベ上がるよね」


 会話の中で、次第に三年間の空白が埋まっていくような心地よさを感じた。少しずつ東山智咲――あぁ、今は岩倉智咲だった――の輪郭が見えてきた気がする。

 背も伸び、制服を着て、元から大人びていた顔はさらに大人びている。

 月日を感じさせるものは確かに多いが、それでもかつて一緒に生活していた時の名残は消えたわけじゃない。そのことに、少しだけ安堵を覚える自分がいた。


 そうしているうちにシナモンフォッカチオが到着した。

 智咲がナイフで切り分け、半分こちらに寄越してくれる。礼を言って一口齧ると、シュガーのじゃりじゃり感とシナモンの香りで口の中が満たされる。初めて食ったが、結構おいしい。


「お兄ちゃん、お母さんがね」


 ふと、シュガーの感覚が引いていくのが分かった。あれだけ主張していたはずのシナモンも、今は感じることが出来ない。


「再婚するんだ」


 その一言が、再び沈黙を引き連れてやってくる。ジンジャーエールを口に含んで、ゆっくりとそれを飲み込んだ。

 どこかバラードじみた曲調の店内BGMだけがその空間を満たし、不意にシナモンの残滓が口の中にふわりと広がる。妹の智咲は俺を見たまま、視線を動かさない。


「……そうか」


 予想していたことではある。前に遊園地で出会った時だって、知らない男と智咲、母さんの三人で歩いてたのを見たから。

 だから、そこまでダメージはない。

 ただ。

 不意に到来したこのチャンスに、怖気づいてしまう。

 あのタイツの下にあった青紫色に滲んだ肌、きっとあれは痣なのだろう。

 じっくりと原因を探るつもりでいたが、タイミングを見失いかけていた。それが、ここにきて、俺が原因と睨んでいる大本命の話題が上ってきた。

 この言葉を発したら、何かが変わってしまうのではないか。

 けれど、その疑問が浮かんだ瞬間には、声は智咲に届いていた。


「大丈夫なのか?」

「…………」


 彼女は目を伏せたまま、何も言わない。

 きっと、新しい父親はいい人のはずだ。あくまで希望的観測でしかないけれど、それでも遊園地で見かけた時には悪い人には見えなかった。

 だから、それが途方もなく恐ろしい。 

 人間は変わるのだ、長期的な意味でも、短期的な意味でも。それは豹変という言葉が近い。

 普段はいい人なのに、DVをするとかよくある話だ。


「大丈夫、だよ」

「……そうか」


 ただ、その一言しか言葉が出なかった。

 なんで、なんで俺は踏み込めない。

 雨の中、荷物を持たずに雨宿りしてたじゃないか。

 タイツの下には痣があるじゃないか。

 それは、もしかしたら俺の勘違いかもしれないけど、それでもここで踏み込んで聞くべきなんじゃないのか。


 すべての問いかけが、問いかけのまま終わる。


「部活とか、なんかやってんの?」


 しばらくその場を支配した沈黙から逃れるように、話題を逸らす。


「やってない」

「そか」

「お兄ちゃんは?」

「何も」

「そっか」


 それきり、沈黙が流れる。


 家族なんて、所詮は他人だ。完全な相互理解など不可能。



 超えてはいけない境界があり、超えてほしくない境界だってある。

 目に見えない繋がりは不確定で、不安定で、脆弱なのだ。家族という漠然とした枠組みを妄信するのは愚かな行為だ。家族だから、兄妹だから、夫婦だから、そうして「家族は愛がなければいけない」という強迫観念が社会によって生み出されて、その愚かさに気づけない。


 家族を愛せない自分は社会不適合なのだと、そう思って家族を愛そうとする。それではいずれ無理が生じるのだ。


 それは家庭内暴力、虐待、育児放棄として現れる。


 【幸福な家庭】神話はもう終わりだ。

 人を愛することが出来ない人間も、人を愛してはいけない人間もいると、なぜわからない。

 だから、これ以上踏み込まない。踏み込んではいけない。


「……何かあったら、言えよ」

「……うん」


 これが、俺の現時点での精一杯。

 スマホは持ってきていなかったらしく、連絡先の交換はできなかった。

 会計を済ませて店を出ると、雨は止んでいた。これなら智咲も傘なしで帰れそうだ。


「……じゃあね」

「あぁ、また」


 そう言って、別れる。

 雲の切れ間から、薄く月が覗く。無性に不安に襲われて振り返るが、もうそこに智咲の姿はなかった。

 

 

 

  


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る