第9話 東寺庸介にも悩みはあるっぽい(その5)


『東寺くぅん、次はじぇっとこぉーすたぁに乗ろうよぉ』

『あぁ、いいよ。バンデット? モモンガ?』

『んっとぉ、ももんがかなぁ?』


……橋野って、こんな奴だったっけ?

 橋野さんは大人しい、どちらかというと地味な生徒である。

 制服のスカートはデフォルトより少し短い程度で、前髪は長くコミュニケーションはあまり上手くない印象だ。

 そんな女の子が。

 春をイメージしたらしい薄桃色のミニスカートと、なんかもこもこしたクリーム色の上着を着ている。エアコンの上の埃を取るときに便利そう。

 無駄に甘ったるい声と、その一挙手一投足、視線の配り方に至るまで東寺に媚を売っているようで、喉の方へ上がってくるものがある。おえっ。


「……女子って、あんなに変わるもんなのか……」

「恋は盲目、ってヤツだな。恐ろしい」


 ミササギにイヤホンを片方貸すようにして、俺のスマホで彼らの会話を盗聴している。

 イヤホンを共有すると必然的に顔の距離が近くなり、女子に免疫のない俺の心臓は少しだけ早鐘を打つ。呼吸するたびにいい香りが隣からしてくるので、いつの間にか寝不足の気怠さは消えていた。


「……モモンガ、って絶対語感で選んだよなアイツ」

「……私、ジェットコースター乗ったことないんだよな」

「へぇ、高所恐怖症?」


 まぁ、確かに怖い。下から見上げるだけで足がすくみ、腰が抜けそうになるのに何であれに乗るんだろう。みんなドMなのかね。

 ミササギは首を横に振って否定する。


「いや、そもそも遊園地が初めてなんだ、親が厳しくてな」

 

 マジか、とも思ったが、小学生の時家族で行ったのが最後だ。家族と行く機会がなければ、案外いかないものなのかもしれない。


「…………」


 不意に黙り込んだので、気になって隣のミササギを見る。

 その眼はどこか遠く、視線の先、ジェットコースターのさらに向こうを眺めているようで、少しもの哀しい雰囲気がある。


「…………乗る?」

「い、いいのか⁉」


 喜々として詰め寄ってきた。長い黒髪が踊り、ふわりといい香りが鼻腔をくすぐる。

 幸い、今日は俺たちもフリーパスを購入しているので乗れる。

 まぁ、アレだ。生きづらさを抱えながら生きるのって、かなり心労が溜まるからな。たまには息抜きも必要だろう。


「まぁ、息抜きにいいんじゃないのか」


 けれど、希望に輝いていた瞳から次第にハイライトが消えていく。


「むぅ……しかし……尾行はどうする……?」


 それもそうか、と視線を逸らす。


「ま、気にしないでくれ」


 そう言って苦笑した彼女の仕草には、どこか諦観が滲んで見えた。


……これは、ダメだろう。


 軽率な発言で彼女にいらぬ希望を抱かせ、それを否定してしまった。その事実が、心に引っかかって取れなくなる前に何とかしなければ。

 少なくとも、こんな俺を理解してくれる彼女には楽しい思いをしてほしい。

 そう思って、寝不足の頭を回してなんとか説得する。


「…………これはリア充の研究だ」

「き、急にどうした?」

「経験したことと推測したことの間には大きな隔たりがある。我々がこうして尾行・推測をするよりも同乗・経験する方がその情報量ははるかに多く、後学のためになるだろう。つまり、我々がこの場でジェットコースターに乗ることによって生じる利益は、尾行を中止することで生じる不利益よりはるかに多く……ってか同じ車両に乗れば――」


 そんな俺はさておいて、


「……ふふっ……面白いこと言うやつだな、東山は」


 口元に手を当てて、ミササギは小さく笑う。

 その笑顔に、少し言葉が詰まり、行き場を失った言葉が胸の中で転がる。


「そう、これから私たちがやるのは研究だ。だからノープロブレム」


 あぁ、と答えると、答えに満足したのか彼女は再び歩き出す。イヤホンを共有しているので自然と足並みは揃う。

 いつか、恋人とこんな事をする未来が俺にもあったのだろうか。

 ふと、少し前を歩く東寺たちの後ろ姿に、自分たちの姿を重ねてみる。

 どうしても違和感が拭えなくて、頭を振ってそれを捨てた。


・・・

 

 阿鼻叫喚、とはこのことを言う。

 一つレールの山を下りるたびに断末魔のような悲鳴が周囲に響きわたる。が、何故かその叫びの中に快を含んだものが多々あるので奴ら絶対ドMだ。


『よーすけくぅん、じぇっとこおすたぁ好きぃ?』

『ん? 割と好きだよ?』

『すっごぉい!』


……何がすごいんだろう?


「なぁ、ミササギ、俺、ジェットコースター好きなんだよ」

「そうなのか、私も楽しみだ」


 普通はこうである。

 ジェットコースターの搭乗列に並んでから二十分。幸運にも東寺たちの一組挟んだ後ろに並ぶことができた。

 こうして列に並んでいるとリア充の恐ろしさが分かる。

 目の前のリア充を見ると、付き合ったばかりなのだろう、会話は弾み時々腰に手を回したり腕を絡ませたりと、いかにも「俺ら付き合ってます」アピールをしている。クソが。

 対して俺たちの後ろに並んでいるリア充は、もはや会話すらしてない。念通力? テレパシー? 否だ。

 彼女の方はつまらなそうにスマホをいじっているかと思ったら、スマホを高く掲げて彼氏の方に顔を近づける。その瞬間、溢れんばかりの笑顔と共にシャッター音を鳴らす。

 その直後には真顔に戻り、スマホを再びいじり始めた。

 恐ろしいほどインスタントな笑顔である。

 別段、彼氏が彼女に惚れこんでいる訳でもないようなので、恐らくステータスの一つとして付き合っているんだろう。


「なぁ、なんであんなに楽しそうじゃないのに付き合ってるんだ?」

「あー、ステータスとして、なんじゃないか」

 俺の思考を読んだようなタイミングでミササギが問う。

「すてーたす?」

「あぁ、要は『私は誰かと付き合うに値する人間だ』っていうアピールだな、ブランド物のバッグをイメージしてもらえると分かりやすい」


 ふむ、とミササギは顎に手を当てて少し考える仕草をする。


「……自分の価値を他人に求めているということか……?」

「まぁ、端的に言うとそうだ。あとは女子会とかの話のネタとして。幸せアピールにせよ彼氏の愚痴にせよ、コイバナってヤツだ」


 ミササギにも心当たりがあったのか、


「あぁ、ある。あるぞ、そういうの……修学旅行とか心配だな」


 そう呻くように零す。

 女子の世界にもいろいろあるんだな。

 と、凡百極まりない感想を浮かべてみた。

 そうしているうちに、俺たちの番がやってきた。東寺たちと運よく同じ車両に乗れたので、割と作戦は順調に行っている気がする。


「それではぁ、はっしゃいたしまーす」


 無駄にテンションの高い係員がそう言うと、がちょういいぃぃぃぃんとかそんな音させながら動いて、すぐに止まった。


「大変失礼いたしましたー、ただいまより安全バーのロックを確認させていただきますー」

…………一気に不安になってきた。

「なぁ、ミササギ」

「どうした、東山」

「……俺、絶叫系苦手なんだよね」


 胃袋の中身を明かすよりも胸中を明かした方が良いと思ってそう言うも、既に最

初の山を登り始めたコースターは止まらない。


「東山、君さっきジェットコースター好きとか言ってなかったか?」

「あぁ、あれは…………みふぇ」

「みふぇ?」


 見栄、と言おうとして、変な声が出た。ふぇ、ふぇふぇふぇ。


「ふぇ、ふぇふぇふぇふぇふぇふぇふぇ」

「ど、どうした東山⁉ 東山⁉」


 やべぇ、ぶっ壊れた。

 徹夜による睡眠不足。高所恐怖症による心的ストレス。その他諸々が合わさって、完全に笑いのツボが浅くなっていた。一度笑い出すと止まることを知らない。

 コースターは頂上に到達する。わずかに残った欠片ほどの理性で、ちらりと外側を見てみる。そこには誰もいないプールと、もはや奇麗だとすら認識できない景色が広がっていた。

 あっ、落ちたら死ぬ。

 ふぇふぇ、ふぇえふぇふぇ、ふふぇほへほほほほ。


「東山が壊れたぁぁぁぁあ⁉」


 ふぇふぇっふぇふほほほほほふぇふぇふぉほほほほぐごっふごはっぐふぇへへへへへ。



 そこから先、ジェットコースターを降りるまでの三分弱の記憶はない。

 


 

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