第5話 東寺庸介にも悩みはあるっぽい(その1)

 目が覚めると、ローマ帝国が滅亡していた。

 

 五時間目の授業は、基本的に眠い。この時間は世界史なのだが、クラスの過半数は机とキスをするか、別教科の課題をやるかでまともに授業など受けていない。

 かくいう俺も今まで爆睡していた人間の一人である。

 授業が終わるまであと十五分。もうひと眠りするか――

「おい……東山」

「おん?」

 居眠りを決め込もうと思ってた俺に右隣の男子、東寺が話しかけてきた

 見ると、何やら小さな紙切れが差し出されている。受取れ、ということだろう。

 受け取って開く。そこには、男にしては几帳面な字で、

『昨日、告られた』

 乙女かお前は!

 思わず授業中に声が出そうになる。

 授業中の手紙なんてなんて古典的な……いまどき絶滅危惧種だぞ。

 この手紙に書いてある告白、とは昨日の一件だろう。そういえばあの後どうなったのだろうか、女子生徒が粘り強い抵抗を見せていたが、東寺は折れたのだろうか。

『それで、どう答えたの』

 一昨日の下駄箱に入っていたラブレターを思い出しながら丸文字を使ってみる。あれは可愛い女子が使うから可愛いのであって、使った人間が可愛くなるわけではないことが証明されてしまった。俺が使うとキモイ。

 手紙を渡す。

「ぶはっ……」

 思わず噴き出した東寺が、ごほんごほんずずーっと咳き込んだり鼻をすすったりして誤魔化す。わかるぜその気持ち、誤魔化せてないけどな。

 授業中におなか鳴って、椅子が地面を擦る音だとアピールするように椅子引いたり、ツイッター見てにやけてたりしたのがバレたときに、親知らずにモノが挟まったせいで変な顔だったのだとアピールしたり。

 実際は周りの人間はそこまで気にしてない。

『やんわり断った』

『やんわり……?』

『部活で忙しくて今は誰とも付き合えない、的な』

 あぁ、なるほど。あくまで【今は】【誰とも】のスタンスを取ったのか。

 相手の恋心の自然消滅を待つ賢明な返答だ。

 所詮恋心は「一過性の感情」であり「気の迷い」なので、放っておけば自然消滅する。

 その恋心を持続させるために世のリア充たちはデートするわけだ。火に薪を追加投入し続ける、というのが分かりやすいか。もっとも、いつか火は消えるのだけれど。

『最適解じゃん』

『けどな、なんか、その、折れない』

『おれない』

 折れない、そっかぁ……折れないかぁ……。

 東寺庸介は、客観的に見てもイイやつだ。

 まず坊主。

 うちの野球部は全員坊主なのだが、こいつだけそのカテゴリーに入らないレベルで似合っている。おしゃれ坊主ってこういうことなのだろうか。前髪が一切顔にかかっていないことで、顔全体に明るい印象を与えている。

 次にコミュニケーション能力。

 入学初日に俺の友達になってくれたレベルだ。話が上手く、聞き上手。およそコミュニケーションにおいては死角がない。

 勉強はあまり得意ではない方だが、それも愛嬌としてカウントされるのは本人の徳の高さ故だろう。さらに「ここおしえてー」「なるほど、お前教えるのうまいな!」「ありがとう、また教えて!」と三連コンボに笑顔を加えて男子さえもK・Oだ(イケボ)。

 それに加えてスポーツマンなのだから手が付けられない。

 要はカッコよくて人懐っこい、そんな完璧人間なのだ。モテないわけがない。

『きっぱり断っちゃえば?』

 そう書いて、少し考えて消した。

 基本的にお人よし人間なので、相手を傷つける行為はしない。

 それは女の子を振るときでも同じなのだろう。

『そいつは大変だな』

『へるぷみー』

 ふと、思いついた。

 俺は現在、リア充に立ち向かう組織の構成員だ。

 昨日のポッキーゲーム狙撃作戦は、いわば「対症療法」で、リア充の進行を少しでも遅らせるために行ったもの。俺たちの組織の目的は「リア充を消し去り、全人類の幸福を目指す」というところにある。つまり「原因療法」というヤツだ。

 ここで東寺を手伝い、リア充の発生を未然に防いだなら原因療法の第一歩になるのは間違いない。

 見れば、還暦目前の世界史教師が「妻と行った最後の旅行がここでねぇ」とローマのコロッセオの写真を見せていた。十年ほど昔の写真だろう、追懐するかのような優しい目が少し悲しい。

「この一か月後に妻がねぇ…………二十代の青年に奪われるなんてねぇ」

 うおぉぉぉいぃぃぃぃ重いわ‼

 年齢の割に白髪が多く、老け顔なのはそんな心労があったからなのだろうか。

 しかし何故だか、その表情は優しいままだった。

 輝かしい日々の面影をその写真に見出そうとしているのだろうか、あるいは――

 鳴ったチャイムに、浮き上がりかけた思考が霧散する。

 NTRは守備範囲外なんだ、ごめんよ。しかも熟女モノとか勘弁してくれ。

 

 ・・・


 放課後になり、部活に行こうとエナメルバッグを肩にかけた東寺を呼び止める。

「なぁ、少しついてきてくれないか?」

 もちろん行先は地学準備室。俺らの組織――名前は後で考えよう――の活動拠点だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る