第18話 梅雨と蛍

ピチョン......


「五つ。」


ピチョン......


「六つ。」


屋根から落ちてくる雨粒が縁側の踏み石に当って消えていく。

晴れた日には海まで見える景色も霧雨に煙って灰色に塗りつぶされている。


今日は六月十九日。

私がこちらの世に来てからすでに二月半が経った。

私が元の世に戻る方法はまだ分かっておらず、私はただ毎日祠に祈るだけの事しか出来ていない。

圭太殿は、日付に関係があるのかも知れない、丁度一年後には帰れるかも。と言ってくれるが、そもそも帰る方法なんて無いのかも、などと考えてしまう。

片道だけの通行手形―――

家の皆や”はる”はどうしているだろうか。すでに二月半も経っているのだから、私の事など諦めているだろうか。

せめて無事に暮らしている事だけでも伝えたいのだけど、当然そのような方法も分からない。

もし、私が百五十六年前の世に行ったのであれば、当時の水無瀬の家に行き、書き物を残して知らせることも出来たのだろうが、百五十六年後の世ではそのような事も叶わない。


とお。」


朝食後、圭太殿は管理契約の更新とやらの用事があるらしく、午後三時頃には戻ると言って一人で出かけていった。

この世に来て初めて一人きりになったせいだろうか、朝から良くない事ばかり考えてしまう。


「大丈夫、圭太殿の言う通り必ず帰れる日がやってきます。」


私は雨粒を十まで数えて縁側から立ちあがった。


♢♢♢


昨日から、というより十日程前からずっと雨が降ったりやんだりの天気が続いていた。昨日はかなり激しく降ったけど、天気は回復に向かっているらしく、今朝は霧雨のような弱い雨に変わっていた。


私は洗濯物を洗濯機に入れてスイッチを押す。

後はこの洗濯機という機械が勝手に洗って、しかも乾かしてくれるので、こんな天気が続く梅雨時でも毎日清潔な衣服が着れる。

洗濯機を回した後は各部屋のお掃除。

今日は圭太殿が居ないので、圭太殿の部屋もお掃除してあげよう。

とは言っても、居間と圭太殿の部屋、私の部屋にお風呂場と厠。

後は玄関と縁側や廊下だけなので、一刻、二時間もあればお掃除もお洗濯もおわってしまう。

いつもだったらこの後お昼までは祠に行くのだけれど、今日も雨なので少しだけお祈りをして屋敷に戻ってきた。


そして私はやる事がなくなって手持無沙汰になる。

この世は大層便利だ。

何でも機械がやってくれて普段は大変ありがたいのだけど、一人で過ごすこんな日は、その便利さが恨めしく思えてくる。


圭太殿がいれば色々お話しできるのに―――


私はまた縁側に座り雨粒を数えながら、そんな事ばかり考えている。



♢♢♢



朝の残り物で昼食を済ませ、デザートのプリンを食べた。

プリンは美味しかったけど、なぜかいつもの様に圭太殿に文句を言われながら食べる時とは少し味が違うような気がする。


そして昼食後暫くして、私はまた縁側に座って雨粒を数えている。

元の世にいた頃はこのような雨の日は何をしていただろう。

針仕事をしたり、手習いをしたり、はると一緒にお喋りしていた気がする。


この二月半、私もこの世の仕組みをだいぶ理解してきた。

圭太殿にアラビア数字やアルファベットを教えて頂いたおかげで、始めは何やらチンプンカンプンだった物の値段や時間の仕組みも分かるようになったし、圭太殿や優奈さんとお話しすることで言葉使いもだいぶ覚えた。

だからこのままこの世で生活していくことも出来るような気がしている。

勿論、いつまでも圭太殿に物を買ってもらうことが無いように、私の力でお金を稼ぐ必要があるだろうけど。


いつまでも圭太殿に甘えてばかりはいられないだろう。

優奈さんのように手に職を付けて生きて行けるだろうか。


そして、もし―――


もし、圭太殿と夫婦めおとになって、子を成して、ここで一緒に暮らせるとしたら......


そこまで考えた私は急に恥ずかしくなり慌てて頭を振った。

自分の馬鹿げた考えを誤魔化すように空を見上げると、いつの間にか雨は殆ど止んでいて、遥か南の空には雲の切れ間から久しぶりの青空が覗いていた。


ブロロロロー


その時、屋敷の入り口から車の音が聞こえて、圭太殿の黒い車が帰って来るのが見えた。


「あっ!圭太殿!!」


朝から一人で沈んでいた気分もあっという間に吹き飛んだ私は、すぐに玄関まで走り、傘を一つ手にすると外へ飛び出した。

雨はもうほとんど止んでいて傘なんて必要ないかも知れないけど、圭太殿が少しでも濡れないように差し掛けてあげよう。


玄関を出た私は、車から降りてきた圭太殿に声を掛けて走りだした。


「圭太殿!お帰りなさい!」



♢♢♢



今日は所有しているマンションの管理契約更新のために横浜まで来ている。

契約更新手続き自体は午前中に終わり、久しぶりの横浜と言う事で、中華街で昼食を済ませてついでに紗江にお土産としてシュウマイやゴマ団子を買ってから家路についた。


家に着いた頃にはここ数日降り続いていた雨も上がり、雲の切れ間からは青空が覗いていた。

そして珍しい事に、車から降りた俺を紗江が外まで出迎えに来た。


「圭太殿、お帰りなさい!」

「ただいま。って、傘なんかいらないだろ?」


雨も殆ど上がっているのに、ニコニコした紗江がなぜか傘を差しかけてきた。


「まあまあ、そう言わずに。念の為ですので。」


紗江のこの笑顔。さてはこいつ、俺が持っているお土産に気が付いたな!

紗江の機嫌がいい時は大抵食べ物絡みだ。


「ところでちゃんと留守番出来たか?」

「はい。圭太殿が居なかったお陰でのんびり出来ました。」

「はいはい、そうですか......そりゃ良かった。」


紗江がこっちに来てから初めて一人で留守番をお願いしたけど、少し心配だったので早めに帰ってきたが大丈夫そうだ。


「圭太殿は私を一人にして心配でしたか?」

「いや、俺も久しぶりに一人で出歩いてのんびり出来たわ!」

「むぅ~。少しは心配してくれても宜しいではないですか。私は少し、心配、というか......」


靴を脱いで玄関に上がった紗江は少し恥ずかしそうに呟いたが、紗江の心配はこれだろう。


「分かってるよ。お前の心配はこれだろ?」


俺は紗江にお土産の入った紙袋を渡した。


「はっ?」

「だから、お前が心配してた土産だよ。」


俺が渡したお土産を手に、驚いた様子で俺を見つめていた紗江の顔が、何故かみるみるうちに険しい表情に変わっていった。


「圭太殿、本当にあなた様というお人は......はぁ~」


紗江は大きなため息を付くと、呆れた様な表情を浮かべてから俺に背を向けてリビングに入って行った。


「圭太殿!お土産有難うございます!す、べ、て、紗江がありがたく頂戴致しますゆえ!」


なぜ急に紗江の機嫌が悪くなったのだろう。

ゴマ団子は嫌いだったのか?

中身を見ていないのにゴマ団子だって分かる訳ないだろうけど、あいつの甘い物センサーなら袋を開けなくても中身が分かるのかもしれない。


(マンゴープリンにすれば良かったかな......)


俺はお土産のチョイスをミスった事を少し悔やんだ。



♢♢♢



夕食後、紗江はお土産のゴマ団子を温めなおして美味しそうに食べていた。

俺が、ゴマ団子嫌いなら無理して食うなよ。と言った所、「初めて食べましたがゴマが香ばしくてとても美味しいです。圭太殿が余計な事を言わなければもっと美味しいのでしょうけど!」と、ゴマ団子の味を俺のせいにしてきた。


今日は紗江に余り関わるのは止めとこう。俺は先に風呂に入ってからリビングに戻ると、紗江は縁側に座って何かを見ていた。


「何やってんだ?」

「あっ!圭太殿。ほら、こちらを。」


そう言って紗江が指をさした所を見ると、五メートル程先の椿の木に蛍が一匹止まっていて、淡い光を明減させていた。


「蛍か。久しぶりに雨が上がったからかな。」


家から三十メートル程離れた場所に小川が流れていて、毎年六月の風のない晴れた日には蛍が飛び交っている。


「綺麗で御座いますね。でも、水も無いのになぜこのような場所に独りぼっちで......」

「さあな、ときどき庭に紛れ込んで来るんだよ。」

「まるで......」


何か言いかけた紗江はまた黙って蛍を見つめている。

すると、小川の方向からまた一匹の蛍がゆっくりと光りながら飛んできて、さっきの蛍の傍に止まった。


「また一匹来ました。あの子も迷い子まよいごでしょうか?皆からはぐれて独りぼっちで......」

「そうかもな。」


寄り添うように光る二匹の蛍を見つめたまま紗江が呟いた。


「でも、迷子になった先にもう一人いてくれたおかげで寂しくありませんね。」

「そうだな。元からいた奴も......仲間に出会って良かったんじゃないのか。」

「お互い様......でしょうか?」

「あぁ。」


そうして暫く紗江と眺めていると、後から来た蛍がゆっくりと飛び立ち、もと来た方向に向かってふわりと飛んでいく。


「あ......」


紗江はゆっくりと飛んでゆく蛍を目で追い続けていたが、その蛍は暗闇に溶けるように消えていった。


「ちゃんと......戻れたのでしょうか?」

「大丈夫だろ。今頃は仲間の所で一緒に飛んでるさ。」

「この蛍も一緒に戻れば良かったのに......」

「元々違う場所にいたのかもな。」

「やはり......違う場所では生きられないのでしょうか?」


紗江がそう呟くと、残った一匹もふわりと飛び立ち、さっきの蛍とは反対の方向に飛んでいく。

俺も紗江もその蛍が見えなくなるまでただ黙って見つめていた。



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