第33話 春の嵐 ~ 5 ~


思いつめた顔でソファに座るエミリアの横に、困惑した顔でアスターが座り、

クリティールド公爵夫人は二人の遣り取りを見つめながら、

向かいのソファに腰をおろしている。


昼の陽光がサロンに燦々と差し込んでいるが、三人を囲う空気は

不調和に軋み、張り詰めていた。




   「側妃になることを承知してくれたんだろう? だから私たちは……」

   「ええ、でも、やはり無理だと思うのです」

   「駄目だ、私はもう離れないと誓った。それに一夜を共にしたのだから

     私には男として取るべき責任がある」

   「私が勝手に望んだことですから、王子に責任はありません」

   「エミリア!」




とうとうアスターが非難を込めた声をあげ、夫人は見開いた目を瞬かせた。



昼近くになった頃、アスタリオンを迎えに来たはずの王城の御者が、

なぜか公爵邸にあらわれて、夫人はその馬車で今しがた湖畔の別荘に

着いたところだ。


アスターとエミリオではなくエミリアの出迎えに、さすがの公爵夫人も

驚きを隠せず、今もまだ彼女にしては珍しく、狐に抓まれたような顔を

しているが、ふぅと息を吐きやっと夫人は口を開いた。



   

   「アスタリオンは貴方を側妃にしたい。 それで、エミリオ……

    じゃなかったわね、エミリア、あなたはどうしたいの?」

   「私は……」




彼女は目を伏せ苦しげに眉を寄せたが、それでもやっと

思い切ったように言った。



   


   「清い身体でないことをお許しいただけるのなら、修道院に

    入りたいと思います」

   「エミリア!」




再びアスターが悲痛な声をあげた。


その声が胸に刺さり、エミリアは苦しげに俯く。


やっと、もう一度出逢えた初恋。

やっと侍従としてではなく、やっと男ではなく女として、

愛しい人抱かれる幸せを手にした幸せな夜。



でも昔ロンドミルで皆が囁き交わしていた話が、どうしても

エミリアの頭に浮かんでくる。


“ 国王に愛されなかった王妃の歪んだ心が、ウィーズ王子をあんな風にしたのだ “

“ 国王はしょうがなく娶った王妃より、側妃ばかりを大切のなさるからな“



己の愛が望むまま、アスターが望むまま側妃になって、もし、

ロンドミルと同じような悲劇が起こってしまったら。


ー ー そうなるとは限らない、でも同じようになってしまったとしたら!






   「王子の心を傷つけ、非難されても当然な事をしているとわかっています。

    でも、私は、争いを起こしたくないのです。」

   「世継ぎ争いは起きない。私は貴方しか求めないし、

    メリアナは王太子妃という名が欲しいだけだ。 

    私が彼女を抱くことは決してない」

   「そうでしょうか? 王太子妃を蔑ろにしては皆が納得しません。

    それに、私はロンドミルの人間ですし、

    それに……  エミリア=ノーズは、もう、死んだ人間です」




ぐっと言葉につまり、アスターは黙った。



   

   

   「誰も、側妃として認めないでしょう」




それでもなにか方法があるはずだと、王子は呻くように言ったが、

彼女は固く首を振り、重い沈黙が場を支配した。


実らせたい恋だった、貫きたい愛でもあった、でも、それはやはり叶わぬこと。


ー ー 願っては駄目、望むことは許されない。




だが、ぱちんと勢いよい扇の音が、その静寂を破った。



  

    

   「そうね、側妃はだめね」




ことも無げにクリティールド公爵夫人が言う。


その言葉にアスターはさっと顔を強張らせ、怒ったように夫人を見たが、

夫人はそれをまるっきり無視し不敵な笑みを浮かべた。



  

   

   「だから、王太子妃ならいいのではなくて?」

   「ふざけないでください」




尖った声でアスターが言い返したが、夫人はさらに笑みを深くし、キラリと

光る瞳でエミリアを見て、尊大に、命じるように言い放った。



   

  

   「エミリア、あなた、王太子妃になりなさい」

   「……」




は?? 


エミリアとアスターは同時に首をかしげる。


クリティールド様は、また一体なんの冗談を思いついたんだろう……と

エミリアは思い、

叔母上は、また私を揶揄うつもりなのか……と

アスターはむっとしたが、

夫人は何食わぬ顔でにっこりと笑うと、さっと扇をひろげ、

上機嫌な声で話し始めた。



   

 

   「アンヌ公爵家はね、代々手広くビジネスをしているの。 

    もちろんそんなことをしなくても、十分裕福に暮らせるわよ。

    まあ、あれは趣味みたいなものね、ホホホホ……」




高笑いとともに形のよい鼻がそびやかるのを、アスターとエミリアは、

今度は、毒気を抜かれたような顔でまじまじと見つめる。



   

   

   「それでね、私はビジネスの一環として、豪商の奥方たちとのサロンを

    持っているのだけれど、そこではね、

    いつもなかなか興味深い話しが聞けるの。

    例えば…… それほど商売を手広くやっているわけでもない

    冴えない男が、なぜか宰相宅に頻繁に出入りを許されていて、

    何かこそこそとやっているようだ、とかね」

    「宰相がですか?  なるほど、

    なんでも一流好みの彼にしては“ 珍しい “ ですね」

  「そうなの、ロービスの話なんかと思って、

    真剣に聞いてはいなかったんだけど」




そう言い、夫人がふっと笑う。



    

    「女の目は侮れないのよ、情報網もね。 殿方は “ 暇つぶしの噂話 “

     なんて言うけれど。

     その男はいかにもリバルドの商人風だけど、

     ロンドミルの人間じゃないかと彼女達は言うの。

     宰相は彼を通してロンドミルのなにかと繋がっている、

     なぜなら、その男の贔屓にしている娼婦が、

     ” 彼は私の金づるで、宰相様はロンドミルの金づる “ と

      言っていたから、とね」




アスターの脳裏にアンブル博士の声が鮮やかに蘇り、思わず彼は

勢いよく身を乗りだした。





   「叔母上、その話しは信じて間違いないのでしょうね」

   「あら、あなたも何か知っているのかしら?」




顔つきが変わったアスターに、夫人も今は真面目な顔で頷く。

アスターは以前アンブル博士から聞いた “ モンド山 “ の話しをした。





   「なるほど…… 明日の宣旨のあと、お披露目の夜会は一ヶ月後ね」

   「はい」

   「いいわ、宣旨は予定通り行うより他ないけれど、一ヶ月あれば、

    十分なにかを探り出せるでしょう」

   「待ってくださいクリティールド様、

    一旦は決まった王太子妃が取り消されたとしても、私が妃になれる

    わけではありません」




エミリアの言葉に、夫人はいかにもクリティールド公爵夫人らしい

顔をしてみせ “ 身分なんてどうとでもなるわ ” と言ったが、

すぐ表情を一変させ、強い眼差しでエミリアを見つめた。





   「大切なのは身分じゃないわ、エミリア。

    あなたにアスターを支えていく意志があるかどうかよ。

    生半可では駄目よ。 一生、彼のそばで、ゆくゆくは王になる彼を、

    いつも第一に支え続ける気持ちがあるのかどうか…… 。 

    アスターはあなたに支えてもらいたいの。 

    それは、あなたが男の姿で侍従をしていた時から、

    少しも変わっていないはずよ」




はっとしたように、エミリアはアスターを見つめた。

彼の目は潤み、今も一心にエミリアを見つめている。





   「公爵家の森で恋に落ちたあの時の想いは今も変わらない。

    だが、それだけで、あなたを妃にしようと思っているのではないよ。

    エミリオだった時に、私はあなたに言ったはずだ。

    私にとって必要な人だと」




憂心に乱れる心を堪えている為か、彼の声は掠れ、

膝の上の拳もかすかに震えている。


エミリアはそれに目を留めた。


ー ー エミリオだった時に私が一番嬉しかったのは、

   私の献身を、王子が喜んでくれる事だった。


震える拳に問うように彼女は呟く。



   

   「嬉しかったですか?」




何が?とアスターに問い返されて、エミリアは顔をあげた。




   「私が王子の側にいて、王子の為にしたことです。」

   「もちろんだとも! いや、中には納得できないこともあった。

    君が一人で罪を被り私から離れようとしたこと、それに、今もそうだ」

   「私の喜びは、王子の喜ぶ顔を見ることでした。 

    いつまでも…… お側にいて支え続けたい、

    その気持ちは、今も少しも変わらないの」

   「エミリア」




耐えきれぬように名を呼んで、アスターは彼女を抱きしめた。



   

   「ならばそうしてくれ、ずっと、一生」

   「もし、そんな夢のような方法があるのなら」




胸の中に囲われて小さく震え、エミリアは聞き取れないほどの声で

そう言ったが、揺るぎなく確信に満ちた声がそれに答えた。



   

   「あるわ」




クリティールド夫人がそう言って、再びぱちん!と扇を鳴らす。




   

   「あるわ、そうあるのよ」




彼女は嫣然と微笑み、そう宣言する、そして……




  

   「さあ、忙しくなるわよ!」




彼女の言葉は高らかに鳴る王城の喇叭らっぱように響き、

そして大いなる賭けが始まった。










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