第6章

第26話 遠雷


大陸の北方山脈から吹きつける寒降ろしの風はすっかり止んで、

暖かく潤う日が続くようになり、王城の庭では、地面にへばりつき

寒さに耐えていた植物たちが頭をもたげ始めた。


侍従長から東棟の庭の隅に好きに使える場所をもらったエミリオは、

今、春の庭の準備に忙しい。


侍従の仕事もあるから、好きなだけ庭にいるわけにはいかない。

春先の天気は気まぐれで、いくら時間が空いても天候に恵まれねば

何もできないが、庭師たちは当分天気が続くだろうと言っていたし、

王子は地方の視察に出かけ数日は留守だ。



   

   「今のうちに、色々とやっておかなきゃ」




土を掘り起こし、鶏小屋からもらってきた鶏糞を土にすき込む。

一通りの作業を終えて息をつくと、エミリオは庭道具をまとめ、

中央の大庭園に向かって歩き出した。


正棟の前後にある表庭園と裏庭園。


その裏方にある道具小屋から持ち出したものは、城の専属庭師たちも

使うから、すぐに返しておかねばならない。


奥まった場所の日も射さない道具小屋辺りは、庭師以外は誰もこないような

場所なのに、今日は違った。

バイオレットカラーのドレスを黒リボンで飾った令嬢が、

小屋の隣に置いた水盤の中を覗き込んでいる。


ー ー 誰だろう?


きっちりと結い上げられた髪から続く白いうなじは眩いほどで、

コルセットで整えられたウエストは折れそうに細く、なぜか痛々しさを感じた。


人が近づいた気配に気づき振り返った令嬢の顔を見て、エミリオははっとした。


ー ー あの時、ロービス宰相の隣にいた人だ……。


彼女は一瞬驚いたような顔をしたがすぐに表情を消し、不愉快そうに眉を

ひそめる。

そして、観察するようにエミリオをしげしげと見て、問うた。



   

   「侍従の服を着ているけれど、誰の侍従なのかしら」

   「アスタリオン殿下です」




無表情が崩れ、見開かれた瞳に強い光が宿った。



   

   「そう …… もしかして、あなたには…… 姉か妹がいるとか? 」

   「いいえ、いません」




慎重に探るように声を落として彼女が発した質問に、エミリオは正直に

答えたが、さらに質問が続いたらどうしようかと不安になった。

ロンドミルの人間という秘密を抱えている以上、身の上話は避けておきたい。


だが、彼女はその返事が気に入らぬというように、しばらく眉間の皺を深くしてエミリオを凝視していたが、突然、つっと顔をそむけると何も言わずに立ち去っていった。




ー ー あの顔、それに髪の色も瞳の色も同じだったわ。


正棟にある宰相の私室( 特定の貴族のみ城内に部屋を持つことが許されていた)に戻りながら、メリアナはたった今出会った侍従と、あの時の令嬢の顔を交互に思い浮かべていた。

あの夜のことを思い出すと焼けた火箸を突っ込っこまれたように、

今でもかっと頭が熱くなる。


あの時うけた屈辱は忘れようにも忘れられなかった。



   

   「王太子付きの侍従ですって?」




おもわず声に出して呟き、きゅっと唇を噛み締める。


叔父が言っていたアスター王子が気に入っているという侍従。

それとよく似た顔だちの、クリティールド公爵夫人が伴った見知らぬ令嬢。

彼女はあの時、王子の視線を一身に受けていた。

宰相の力を駆使しても娘がどこの誰なのか、なかなか探り出せないと叔父は

言っていたが、二人が似ている事を叔父は知っているのだろうか。


ー ー 確かめなくては!


そう思い急ぎ足で歩いてきたメリアナは、突然、宰相付きの侍従に

行く手を阻まれ立ち止まった。



   

   「宰相様は今、来客中です」

   「知っているわ、でも私が来たと取り次いでもらえば大丈夫なの」

   「いいえ、今はお嬢様でも無理です」




侍従の含んだ言い方に ” あの男がきているのだ “ 、とメリアナは気がついた。

卑しい商人なのに、なぜか叔父が特別に扱う男。


彼は身なりも顔だちもよいのだが、メリアナはその男が嫌いだった。

彼の自分を見る目つきに下品な値踏みをされているような気分になるし、

それには嘲りも混じっていると感じるからだ。


メリアナの両親は地方の貴族だが母が宰相の妹で、彼女は幼時から

子供のいない叔父の手で、ロービス侯爵家で育てられた。

ロービス家は代々宰相を始め政治の重鎮を輩出した、由緒正しい

高位貴族の家柄だ、それなのに。


ー ー 叔父や私を嘲る者など誰もいやしないのよ。ましてや私は、

   王太子妃になるのだから。



   

   「わかったわ」




不満は心の中で渦を巻いていたが、彼女は引き下がり、

踵をかえしてまた歩き出した。


” 気に入らない! “ その言葉を心の中で何度も叫ぶ。



   

   「気に入らないわ! あの男も、あの令嬢も、殿下お抱えのあの侍従も

    それに…… 叔父様も!」




人気のない回廊の柱の陰まで来て立ち止まると、

やっと低めた声で呪うように呟き、メリアナはきりっと爪を噛み宙を見据えた。


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