第4章

第17話 麗らかな日々


モルビッツ城でのおとぎ話のような日々が始まった。


最初に会った女官のリアナの手厚い介護のおかげで、エミリオは不自由な

体にもかかわらず、毎日を居心地よく過ごすことができ、城の御典医の

熱心な治療で、傷は日を追うごとによくなっていった。


食事は贅沢で美味しく、部屋はいつも整えられ、冬にもかかわらず

美しい花がいつも飾られている。


そのうえほとんど毎日、王子から何かしらの届け物が届いた。

本だったり、菓子だったり、珍しい細工玩具だったり……。


アスター王子みずからなにかを持って現れることもしばしばで、おもしろい話を聞かせてくれたり、また、時には興味深い学問について二人で論議を交わし、

トランプなどのゲームにも興じた。


だが時々、エミリオは首をひねる。

これで良いのだろうか?


” こんなに親切にしていただく必要はない “ と、誰に言っても、

”王子の命令ですから ” と言われ、王子からは、

“ 好きでやっていることだから、受け入れてもらえなければ、悲しい “

とまで言われれば黙るしかない。

心地よくしてもらっているのだから文句をいう方がおかしく、次第に

王子と過ごすことに慣れた今では、二人一緒の時間がなによりも楽しい。


王子とは話があうし、気も合う。

まるで、ずっと共に過ごしてきた親友のように、すぐに自然にお互いの気持ちが分かり合えた。


ー ー 以前から知っているみたいだ。


記憶がないエミリオには思い出がないが、王子の語る話の中には、まるで

自分の体験のように感じるものがある。

生まれた国も違えば、身分も、育った環境もまったく違うはずなのに。


ー ー どうしてだろう ……。


春の女神の訪れはまだまだ先だが、モルビッツ城の日々はうららかな春日

のように、穏やかに満ち足りている。


だが、痛みなく身体を動かせる日が増えるとともに、エミリオの中には

灰色の冬雲のような不安が芽生え始めた。

傷が癒えたあと僕はどうなるんだろう、すんなりと帰国できるだろうか?

帰国できたとして、ベインの要塞に戻れるだろうか?

キースや仲間はどうしているだろう。

突然いなくなった僕を、彼らはもう一度受け入れてくれるだろうか?



   

   「……ミリオ、エミリオ」

   「はっ、はい」

   「ぼーとして、どうした?」




しまった!

駒を持ったままつい考え事をして、王子とチェスをしていたことをすっかり

忘れていた。



  

    「な、なんでもないです」




慌ててそう言ったのに、王子はコトリと駒をテーブルに置くと、

エミリオの顔を覗き込んだ。


思わずどきりとするほど、綺麗に整った魅力的な顔が近づく。

慣れたとはいえ、間近から真剣な顔で王子に覗き込まれると、また鼓動が

跳ねてエミリオは俯いた。


   


   「最近、食欲がないと聞いたぞ」

   「そんなことは……」

   「ぼんやりしていることも多いと、女官達が言っていた」




なんでそんなに王子に報告されているんだろう…… 。



   

   「なにか悩んでいるのか?」

   「…… 」

   「エミリオ」

   「…… これから先どうしたらいいのかと……、

    それを考えるようになりました。 傷も治り、いつまでも

    ご厚意に甘えているわけにはいきません。それに……」

   「それに?」

   「私は、ロンドミルの人間です、ここにいる資格はありません。

    罪に問われてもおかしくないことをした者です。」




ふぅーと王子が長く息を吐き、額を抑えた。


   


   「誰もお前に罪を問うことはない。

    職務を全うしようとし事故に遭った、それだけだ」

   「……」

   「国に帰りたいか?」

   「はい」




すっとアスターは視線をそらした。

そして長い沈黙ののち、言った。



   

   「今はまだ確かな手立てはない、今できることは

    完全に傷を治すことだ」




アスター王子が “ 用事を思い出した “ と言って席を立ち、チェスは

それきりになった。

なんとなく王子の機嫌を損ねたような気がして、エミリオは後悔する。


ー ー 簡単に国に帰りたいなどと言うべきじゃなかったな、国交が

   絶えていて簡単な問題じゃないのに 。




王子がやってこない一日はとても長く感じた。

毎日、胸に硬い石がいっぱい詰まったように苦しく、ある日、

気分転換転換にとエミリオは庭に出たみた。


まだ鉛灰色の冬雲が空を覆ってはいるが、北風は弱く、吹きすぎていく

雲の間から太陽が、顔をのぞかせている。


見上げた空は美しく映った。

感傷に浸ってもどうにもならない。

王子の言う通り、帰国が叶おうが叶うまいが、今はできることをするしかない。

心細くなる気持ちを振り払い、エミリオは庭を歩き出した。



針葉樹や冬でも葉を落とさない木々は濃い緑色だが、乾いた枝が目立ち、

庭はまだまだ冬枯れの寂しい景色だ。


しかし、枯れた葉の下には春を待つ新葉が隠れている。

エミリオは、屈んではそんな葉を探して歩き、植物の強さといじらしさに

ふっと笑みを浮かべた。



  

    「嬉しそうな顔をして、何がある?」




突然、頭上から降ってきた言葉に驚き顔をあげると、いつの間に

近くに来たのか、アスター王子が、不思議そうな顔でエミリオの手元を

覗き込んでいた。


三日ぶりに見るアスター王子の顔だ。

怒っているようにはみえず、いつもとかわらない様子に、エミリオの心に

鳥が羽ばたくような喜びが湧き上がる。

なにか話さなくてはと気持ちが急いて、早口になった。


   

  

   「植物の力強さに驚いているところです。

    枯れてしまっているように見えますが、そんなことはないんですよ。

    植物は、春を待ち、新しい葉を準備しています」




そう言いながらエミリオが指先でそっと縮れた葉をどけると、

小さいが驚くほど濃い色の、生命あふれた新葉が顔をだし王子は大きく頷いた。



   

    「あ、あそこにはワイルドプランツがありますよ。

     煎じて飲むと疲れがとれるんです。今度試してみませんか?

     はちみつをちょっとだけ垂らすのが、いいんです」




王子が頷いてくれたことが嬉しくて、さらに声を弾ませるエミリオの

説明を聞いた瞬間、

 ” ワイルドプランツのお茶はね、ちょっとだけはちみつを垂らすのが

  いいのよ “ 

記憶の中の少女の言葉が蘇って、アスターは目を見開いた。


でもそれはすぐに隠れ、表情は憂いを帯びたものになる。


まただ、とエミリオは思った。

またなにか言わなければいいことを言った?

でも王子は、前から時々こんな表情をする。

帰国のことだけではなく、思えば最初に警備隊の兵舎であった時から。


ー ーなんでもない会話だ。なのに、 …… どうして?



   

   「それより、さっきは空を見上げて、国を思い出していたのか」

   「いいえ!」




これ以上、王子の顔に浮かぶ翳りを目にしたくなくて強く否定したのに、

アスターの顔が曇り、エミリオは焦った。

勢いよすぎてかえって嘘くさく思われたのかな、

これじゃあ駄目じゃないか!



   

   「いえ、思い出すには思い出しましたが……そんなには

    思い出さなかったというか……」




しどろもどろの言い訳に、また気持ちがくじけてきて後が続かなくなっていく。


ーー どうしてこう駄目なんだ、僕は ー ー。


それでも何か言わねばと、必死な気持ちで、エミリオが落としていた

目線をあげたとき



   

   「ぷっ、く、くく、、はははは」




目の前でアスター王子の肩が揺れ、堪えきれないというように王子が

笑いだして、エミリオはぽかんと口を開けた。



  

   「王子!」

   「す、すまない…… つい…… お前の必死さが、可愛くて……く、くくっ」




可愛いと言われ、男のくせにぽっと頬が熱くなる。

不安な気持ちは吹き飛んだが、緊張しまくった反動と恥ずかしさで、

エミリオは無性に腹が立ってきた。



    

   「笑うなんて、ひどすぎです!

    僕の言うことに、王子が悲しい顔をされる、それが僕には

    堪らなく苦しいんですよ。 

    僕のなにが、あんな顔をさせてしまうんだろうって、

    いつも、いつも……悩んでいるのに!」




さっと王子の顔から笑みが消え、怒っているかと思うほど真剣な顔で

見下ろされ、エミリオは慌てて口ごもり後ずさった。


   

   

   「ご、ごめんなさい、偉そうなこと言いました」




だが、王子の腕が動き、エミリオの身体を強く引き寄せる。



    

   「すまない」




アスターは、もう少しも笑っていなかった。


力強い腕がエミリオの肩を抱き、息がかかる程近くから、温かく

真剣な声が耳に届く。



   

   「お前のせいじゃない、だから悩むな」




エミリオは思った。


国に帰りたいと思う、でも、こんな風に話しかけるこの人を置いて、

僕はもう ...... 帰れないのかもしれない。

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