第14話 交わる糸 ~ 4 ~



寒さでエミリオは目を覚ました。

着込んでいた外套も軍服の上着も靴もなく、シャツ一枚とズボンのみで、

体の下はつめたい石の床、ぼんやりと霞むむこうにリバルドの紋章がついた

鉄格子が見え、エミリオははっと身体をおこそうとした。


だが、すんなりと身体が動かない。

両手首は縛られ、右足には鉄の鎖のついた足枷がはめられていたからだ。


ー ー どういうことだろう? この状況は。


たしか、国境越えをしようとする者を探しに森に入った。

わりと早く、布でくるんだランプを持って走る母娘と、足をひきずりながらも

逃げようとする老人、その老人を支える少年の四人を見つけて止まるように

警告したが、彼らは止まらず、あと少しで追いつくというところで……



   

「そうだ、転んで坂を転がり落ちた女の子を助けようとして、

崩れる雪に巻き込まれたんだ」

   



意識を失って、そしてリバルドの国境警備隊に見つかったのだと納得する。


ー ー ここはリバルドなんだな。


崩れる雪とともに、いつの間にか国境を越えてしまったらしい。

分かった途端、重いため息が口から転がりでてエミリオは肩を落した。


これからいったいどうなるんだろう……、そう不安がわきあがってきた時、

足音がして、あらわれた警備隊員が、” 取り調べだから出ろ“ と言って

鍵を外した。


キイィと軋む音をたて鉄格子の扉が開く。


不安がぎゅっと胃の腑をねじり、耳の奥でがんがんと鉄板を叩くような音が

し始めたが、不自由な身体を動かしてエミリオは立ちあがり、

きゅっと口を引き結んだ。



引きずる鎖の耳障りな音が狭い通路に響く。

裸足で歩く石床の通路は狭くて暗く、エミリオの中の怯えと不安を煽るのに

十分だった。


国交が途切れた状態とはいえ、戦争中ではないからひどい扱いはないと思う。


それでも不安は、急速に広がる暗雲のようにわきあがり途切れない。

長く歩かされたあと、通路の奥のドアの前で入れと命じられ、隊員二人に挟まれて部屋に入ると、奥に背を向けて立つ男と、入り口近くに、制服を着た巻き髭の男の二人がいた。



   

   「連れてきました」

   「ごくろうだった。 彼だけ残し、三人とも部屋をでてくれ」




奥に立つ人物が、顔半分振り返りそう言う。


その言葉に、巻き髭の男は何か言いたそうに髭を撫でたが結局なにも言わず、

しぶしぶといった様子で二人の隊員とともに部屋をでていき 、エミリオは

一人残った男に目を向けた。


緩やかなウェーブのある栗色の髪、年は若そうにみえる。

彼が着ている皮のコートは見るからに上等なもので、すらりとしたその気品ある立ち姿に、とても合って見えた。


ゆっくりと男がこちらを向く。


優しい色のハニー・ブラウンの瞳がまっすぐにエミリオを見て、そして

驚いたように見開かれた。

そしてエミリオもまた、その整った男らしい顔を見た瞬間、ぱっと何かが

脳裏に燦めく。

それは夜空を割いて飛ぶ流星のように一時いっとき輝きを放ったが、

すぐに消えていき、そしてなぜか、エミリオはひどく狼狽した。


不快ではないが、ざわざわとした落ち着かなさが胸の内に広がり、

駆け抜けていったものの正体を探りたいと思う気持ちと、探らない方がいいと

いう気持ちが同時にわきあがる。

息が苦しくなりちょっとしたパニックを起こしそうになって、はやく取り調べを始めてほしいと思うのに、男は黙ってじっと見つめているだけだ。


一心にエミリオを見つめるその瞳に、驚きと喜び、戸惑いと悲しみが

次々と浮かび、眉をひそめた彼を、エミリオは不思議な気持ちで眺めた。


ー ー そんな風に見つめられたことが、前にもある…… 同じ色の瞳で……。


だが記憶はそれ以上は鮮明になっていかず、ずきりとひどく頭が痛んで

エミリオが顔を歪めると、男はやっと口を開いた。



   

   「どこか痛むのか?」

   「少し、頭が」

   「医師を呼んだ方がいいか」

   「いえ、大丈夫です、もうおさまりました」




彼はそれでも心配そうにエミリオを見ていたが、こほんと小さく咳払いをして

“ 座りなさい”と命じ、自分も席につくと、” エミリオ=デュッソで間違いないか ” と尋ねはじめた。



   

   「はい、間違いありません」

   「出身は?」

   「ベイン要塞近くのアンセルです」

   「…… 君は、ロンドミル国のムリノーという場所を知っているかね」

   「いいえ、知りません」

   「そこに、親戚かなにか血縁関係のものが居る、または居たことは?」

   「わかりません」

   「そういう話を聞いたこともないと?」

   「その場所と僕になにか関係があったとしても、僕にはわからないんです。

    記憶をなくしているので」




さっと、男の顔色がかわった。


それほどムリノーという場所が重要なのかと、エミリオは記憶をなくした経緯や両親のことブラン将軍のことまでも全てを詳しく話した。


このような状態でここにいるからにはすべてを明白にし、疑われるような事は

なるべく減らした方がいい。



   

   「そうか……」




エミリオの話を聞いて男は呟くように言い、しばらく何かを考えるように

目を伏せていたが、さびしげな笑みを口元に浮かべ、

” どうして崖下に倒れていたか “ と、やっと取り調べらしい質問をした。


その経緯についても詳しく話し、エミリオはベルンの要塞に戻してほしい

と訴えた。



   

   「すぐにというわけにはいかないだろう、国境を越えてきたものは

    難民として収容所にいく。

    だが、君はここから要塞へ戻れるように、ここの責任者に

    頼んでおこう」

   「ありがとうございます」




ここで一番上の立場にいる人だと思っていたのに、どうやら彼は部外者らしい。


だとしたらこの人はどういう人なんだろう? ずいぶんと地位の高い人? 

でも、信用できる人だとエミリオは感じた。

なんの根拠もないが、彼はきっと約束を守ってくれる。

 

ーー 悪い人じゃない……


あれ?

やっぱりこんなふうに思ったことがある、いつだったか、ずいぶんと昔に……。


また、海底よりも深い意識の底から何かが浮かび上がってきそうになって、

エミリオは息を詰めた。



   

   「疲れているようだな、休んだ方がいい。 誰か、彼を休ませて

    やってくれ!」




エミリオの様子にまた心配そうな目を向け男が叫ぶと、すぐに扉がひらき

先ほどの隊員が慌てて入ってきてエミリオの両腕を掴み、乱暴に、引っ張り

上げられるように立たされ、背中を押される。



   

   「君! 乱暴な扱いをしてはいけない。

    ああそれから、彼は具合が悪そうだ。清潔なベッドのある部屋を

    用意し、必要なら医師にも見せなさい」

   「しかし、」

   「何かね?」




命令に反論しようとした隊員をひと睨みで黙らせ、大股で近づいてきた彼は、

懐から短剣をとりだすとさっと鞘を払った。


ざくっ

手首を戒めていた縄が切られ、両手がすっと楽になる。


赤く擦れ、跡がついたエミリオの白い肌に、労わるように彼の指が

やさしく触れた。



   

   「痛かったな、もうしわけない」




その瞬間、胸の鼓動がひと跳ねしてエミリオの頬は紅く熱をもった。



   

   「い、いいえ、大丈夫です……」

   「足枷も外すように」




手首に視線を落としたまま命令し、男はそのまま呆然と成り行きを見ていた

隊員の方をむいたので、エミリオは急いで顔をそむけた。


赤くなっている顔をこの人に見られたくない…… 。


ー ー 男の人を相手に、なんなんだ、僕は!


心の中で自分を叱りつけ、高鳴る鼓動にエミリオは悪態をつく。


足枷も外され楽になったはずなのに、身体はなぜかぎくしゃくと不自然にしか

動かなくて、相手の顔を見る余裕などなく、ぎこちなく黙ったまま頭を

さげると、エミリオは隊員につれられ逃げるように部屋をでた。

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