第5話 春の森 ~ 4 ~


ー ー あれは、あの気持ちは…… 

あんなこと、初めて……。


ベッドに横になり、カーテンの隙間から射しこむ月の光を見つめ、

エミリアはため息をついた。

昼間のことを思い出すと不思議な気持ちになる。

幸せなような、悲しいような、苦しいような、夢ごごちのような。


ー ー あの時、自分がなにをしようとしたのか、私、少しも意識してなかったわ。


ただ、突き動かされるように気持ちが動いて、わかっていたのはデューが

一心に自分を見つめているということ。

彼の優しい色の瞳、形のいい鼻、若々しくも男らしい顔の輪郭、そして……。


あの時、カゼグロビタキが鳴き始めなかったら?

そう思ったとたん、ぽっと燃えるように頬が熱くなってエミリアは、

ぱっと、ブランケットで顔を隠した。


ー ー ああ、私ったら、!


呆れる気持ちや、止まってよかったと安堵する気持ち、でもそれとは別の

もっと深くて強い感情がエミリアの心を揺さぶって、身体は疲れているのに

なかなか眠りにつけない。


繰り返し、繰り返し、あの時のデューの顔が脳裏に蘇る。


胸がどきどきして、きゅうっと苦しくなる。

かと思うと、アルコールの入った甘いアップルソーダを飲みすぎた時みたいに、ふわふわと気持ちは浮き上がって、肩にまわされた彼の手の温もりを

リアルに思い出したりもする。

そして今もまだ、彼の手がそこにあるかのように、自分の手をそっと

重ねるように置いてみたりもする。




そんなこんなでなんども寝返りを打つうちに、ふわふわの綿毛のような

頼りない髪は、もしゃもしゃと顔の周りに纏わりついてどうしようもなくなり、エミリアは起きあがるとベッド脇のテーブルに置いた手鏡を取り上げた。


くすっ


顔のまわりに薄茶の毛が渦を巻くアルゴそっくりになっていて、思わず

笑いがこぼれた。


ブラシで髪を整えもう一度ベッドに入って、エミリアは深く深呼吸をした。

アルゴのおかげで気持ちが切り替わり少しだけ冷静になれた。

ゆっくりと目を閉じ、意識的に深い呼吸を繰り返す。

すると、闇色に星の瞬きをちりばめた眠りを誘う夜の幕が、少しずつ、

少しずつ彼女の上に降りてきて、意識がだんだん朧になっていく。


すうっと眠りに落ちていきながら、エミリアは思った。


ー ー 彼は今、どうしているんだろう? 


いつも突然姿を消すけれど、彼はいつも、いったいどこへ消えて行くん

だろう……。





音楽が小川のせせらぎのように絶え間なく流れ、笑い声や楽しげな会話が

満ちるホールから明かりの少ないベランダにでると、彼はやっと息が

できるというように、ふぅとため息をついた。


ベランダの手すりに身体を預け、夜空に浮かぶクリーム色の月を仰ぎ見る。

半分に欠けたその月の中によく似た髪色の少女の姿が浮かんで、

今度は苦しげに彼はまた大きくため息をついた。



   

 「どうしたんですか? まだまだ宴は中盤ですが」




誰もいないからここに来たというのに、早くもそう声をかけられて、

ますますため息が深くなる。

近づいてきたのは十年来の付き合いで、将来の側近候補のイアソンだ。



   

   「人の顔を見て、ため息ですか?」

   「独りになりたいから出てきたんだ。気を利かせろよ」

   「月を見て、らしくないため息もついていらっしゃったので、

    心配で……」




心配だ、などと言っているが口先だけの戯言だ。

それがわかっているから、彼は返事もせず、ぷいっとそっぽを向く。



   

   「恋煩いですか?」

   「…… や、っ……」




いきなり直球で言い当てられて誤魔化すつもりが上手くいかず、

強情な幼子のように、彼はさらにぷいっと横を向いた。



   

   「なるほど、今夜の夜会に気に入った令嬢がいたんですね。

    どんな衣装の方でしたか? 宰相のロービス殿に伝えれば喜びますよ」

   「やめてくれ! そうじゃない」

   「じゃあ、なんなんですか?」

   「……」

   「苦く狂おしい、でも、ほのかな香しさと甘さを含んだ、ため息……

    モノの本によれば、そのため息は恋のため息以外にはありえない

    でしょう」

   「…… 」

   「別に話したくないなら無理に聞きませんが、それでも、独りで

    抱え込めばこむほどそれは辛くなるものなのだそうですよ。

    簡単ではない。問題がある。だから、ため息がでる」




拗ねたように横を向いていた顔がゆっくりと俯き、彼はかすかに頷いた。



   

   「彼女は僕が実在すると思っていない。

    でも彼女に、僕が生きていて、どこに住むどういう人間か

    知らせる事はできる。 だけど……」

   「邪魔をするのは、” 身分 “ と “ 立場 “ ですか」

   「うん、今ならまだ “ すべて夢物語 “ にしてしまえる。

    その方がいいのかもしれない。

    真実を知って、彼女が僕を受け入れる可能性は低いよ」

   「 “ そなたの為にたとい世界を失うとも、世界の為にそなたを

     失いたくない “  

     謳った哲学者がいたそうですが……」

   「その哲学者のいう世界は、どんな世界なんだ?  

    僕の世界ほど重くもないんだろう…… たぶん」




今度ため息をついたのは、イアソンの方だった。



   

   「確かに、簡単な世界ではないですが、それでも……」




イアソンにしては珍しく、思いやりのありそうな顔でそう言い始めた時、



   

   「ここにおられましたか! お探ししましたぞ」




と、大きく勢いのある声がベランダに響き、声に似て大柄で恰幅のいい男が

満面の笑みを浮かべ近づいてきた。



  

    「ロービス宰相……」




迎えた二人の顔が一瞬、嫌そうに歪んだが、そんなことは気にもとめず

歩み寄ってきた宰相ロービスは、大げさに肩をすくめ自慢のヒゲを撫でた。



   

   「気分がすぐれないと言ってベッドに臥されることが多いと聞き、

    少しでも気分が晴れればと思って催した夜会ですが、

    お気に召しませんかな」

   「いや、そんなことはないよ、御心づかい感謝する」

   「会場のもが皆、心配しております。

    主役不在ではさらに皆の不安が増しますから、どうか……」

   「わかった、戻ろう」




薄く微笑みをうかべ宰相にそう返事をして彼が歩きだし、イアソンがあと続く。

同じように歩きだしながら、その冷めた彼の横顔にロービスが囁いた。



   

   「姪のメリアナが泣き出さんばかりにしておりました。

    戻られましたら、どうぞ最初にお声をかけてやってください、王子」



   














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