6 どえむってやつなの?


 私が園芸部に入部して、数日が経った。

 部活にもそれなりに慣れてきたし、古水先輩とも普通に会話ができるようになった。


 ただ、そんなことよりも私は今、部活で部長さんと古水先輩のやり取りを遠くから眺めることがなによりの楽しみになっていた。

 そう、確かに先輩のことは好きなままなのに、その自分の恋などそっちのけなのだ。



「私と古水先輩がイチャラブする妄想ができないんです! 古水先輩のそばにいるのは部長さんじゃなきゃって思っちゃうんです!」

『昨日も同じこと聞いたよ。一昨日も同じこと聞いたよ。その前も同じこと聞いたよ』


「ご主人様、私の恋って何だったんですか! こんなに好きなのに!」

『私に訊かれても知らないよ……ねえことり、部長に嫉妬したりしないの?』


「不思議なことに全然しない! どうしてだろ!」

『それは……ことりの中で二人が……その、実際には恋愛的な関係じゃないって分かってるからじゃないの?』


「百合脳でごめんなさい! 分かってます、分かってる上で、あの二人の関係が本当にそうだったらいいなあとか思っちゃってるんです! 早く付き合ってくれとか本気で思っちゃってるんです! 百合脳でほんとにごめんなさい!」

『それでも、部長のことを羨ましいとか思いそうなものだけどね』


「思わないなあ、画面の外からずっと眺めていたい!」

『画面って……。その考え方のせいなんじゃないの? 二人を別次元にいるものと思って見てるじゃん。おこがましいとか言ってたし、ことりの優先順位は、はじめから実らせるつもりのない自分の恋よりも、二人を眺めて欲を満たす方が上なんだよ。結果的に、それで満足してるんだよ』


「なーるほど! 納得してしまった。さすがですねご主人様! 大好き!」

『や、やめてよ……というか、いつも思うけど、電話口のわんこ元気良いよね。常に興奮してる感じ』


「綾里との電話が楽しいんだもん。私今までこんな風に電話する程仲が良い友達なんていなかったし、もちろんこんな話ができる友達もいなかったから、すごく嬉しい」

『ふーん、そっか……ワンワンって鳴いて』


「えっ?」

『私の元気なわんこちゃん、ワンワンって鳴きなさい』


「んん……ワンワン!」

『録音したから、あとでアラーム音に設定しよっと。寝覚めよさそう』


「……え?」

『着信音にはしないであげるね』

「……え?」



 そうして、三十分ほどダラダラと電話をして、私は布団に潜り込んだ。

 日課である綾里への妄想報告は、私が部活に入ってからというもの、こんな風にただの恋愛話のようなものになっていた。

 まさか、西原部長×古水先輩の妄想を綾里に伝えるわけにもいかないし、そもそも綾里はそれにはあまり興味がないらしい。


 まあ何にしても、幸せな気分で床に就けるのだ。はあ、ありがとう、おやすみ、綾里様。




 

「はっ、部長さんが古水先輩の頭に顎を乗っけている!」

「よかったね」


 私の声に、地面にしゃがみ込む体操着姿の綾里が、抑揚なく相槌を打った。


 今は部活中、三十メートルほど離れた花壇のそばで腰をかがめて作業する先輩と、その背後から先輩の肩に両手をかけて、先輩の頭に顎を置く西原部長の姿が目に映っていた。


「あそこではどんな会話がされているのでしょうか」

「喉乾いたからジュース買って、とかじゃないの」


 相変わらず無関心そうに、綾里が答える。


「それもまた良し」

「適当に言ったのに……いいんだ」


 足元のプランターの花を、剪定鋏せんていばさみでバチバチと容赦なく切り落としていく綾里を見下ろす。

 伏し目がちに、少し唇を尖らせている。

 

……なんか元気ない! ご主人様の元気がない! というより、イライラしてる!

 

 綾里のすぐ横にしゃがんで、私も綾里と同じ作業を再開した。

 お花さん、許してくれ、君たちのためなんだ。合掌。


 慎重にチョキチョキとハサミを動かしていると、綾里が膝をかかえ、顔を腕の中に隠して深いため息をついた。

 思わず、身を固くする。こ、怖いんですけど……。


 黙ったまま、横目で様子をうかがう。

 少しして、綾里が身じろぎをしたかと思うと、膝を抱える腕に力が入ったのがわかった。


「……ことり、先輩たちこっち見てる?」

「えっ……見てないよ、二人とも作業してる」


 いつの間にか、部長さんも先輩の横に移動して、一緒に何か手を動かしていた。


「後ろから抱きしめて」


 顔を伏せたまま、綾里が言った。

 ふむ……なるほど。

 その唐突な発言に、びっくりしすぎて逆に冷静になってしまった。


「あの……ここお外ですけど……」

「しゃがんでるから、花壇の陰に隠れてるでしょ」


 いやいやいや、そういう問題なんですかねえ!

 どうしよう、何か怒らせるようなことしたかなあ。 


「あの、一応先輩たちに背中向けてもいい? それだと横からになっちゃうけど」


 すると、綾里がほんの少し首をもたげ、私に鋭い目を向けてきた。


 はあああっ、ごめんなさいごめんなさい、生意気言ってごめんなさい!


 しかし、綾里はまた顔を伏せ、「いいよ、早くして」と承諾してくれた。

 おお、私の意見が通ったぞ! 目が怖かったけど! 言ってみるもんだね!


 ちらと先輩たちを見遣り、こちらを見ていないことを再確認する。

 それから、私は地面に膝をついて、依然として膝をかかえて背中を丸めている綾里ににじり寄った。

 そうやって縮こまる綾里を見ていると、なんとなく、綾里がこうなった理由が分かった気がした。


 横からそっと、綾里の身体を優しく包み込むようにして抱きしめた。

 子どもをあやすように、穏やかに語りかける。


「わがままご主人様。ちゃんと綾里のことも見てるって」

「先輩たちのことを見てることりは楽しそう」

「んふふ、楽しいっていうか、幸せだよね」

「私はことりとこうしてる今が幸せだよ」


 こうしてる今が、か。

 私は、その言葉をどのように捉えたらいいのだろうか。そして、どのように答えたらいいのだろうか。


 顔を伏せたままの綾里の頭に、そっと額を寄せて静かにささやく。


「私もだよ」

「うそだ」

「ほんとだよ、綾里に色々知られちゃってさ……絶対嫌われたと思ったのに、それなのにむしろ、以前よりも距離が縮まった気がする。ほんとにすごく嬉しいんだよ。ほら、私こんなんだから、こんな私でも嫌がらずにずっと一緒にいてくれて、嬉しいの。だから幸せ」


 するとそこで、綾里がようやく顔をあげてくれた。

 鼻先が触れそうなほどの至近距離で目が合った。思わず心臓が跳ねる。綾里がサッと目を逸らした。

 顔をそむけたまま、ツンとした口調で、


「ことりはアレなの? どえむってやつなの?」


 と言ってきた。


「ちっ、違います」


 あなたがサディスティック気味だから、今の関係性も相まってそう見えてしまうだけなのでは。断じてマゾではございません!


「そっか、ことり嬉しいんだ……」


 綾里が、私の腕の中でポツリと呟いた。

 

「前に『嫌いにならないで』って命令したでしょ? 私もね、ことりに本性見せちゃって、もう嫌われてもいいや、それも仕方ないやって思ってた」

「あはは、たまに恐ろしいけど、実はそれも楽しんでたり」

「やっぱりどえむだ」

「違います」


 綾里を胸に抱えたまま、ふたりでクスクスと笑い合う。そうしていると、お互いの身体の振動が共鳴していくようで、不思議な心地良さがあった。


 その時、


「おーい! 緋野ちゃん大丈夫か! 救急車呼ぶか!」


 私の背後から、部長さんの大声が浴びせられた。

 ハッとして、慌てて綾里から身体を離す。

 後ろを振り返ると、部長さんが猛ダッシュでこちらに駆け寄ってきていた。さらに部長さんの後ろから、古水先輩も小走りで寄ってくる。

 

 危ない、警戒心をすっかり手放していた! よく分からないけど、部長さん勘違いしてくれてありがとうございます!


「ちょっと気分が悪くなっただけですから。ことりがぎゅってしてくれて良くなりました、もう大丈夫です」


 ええええ、それほぼ本当のことじゃないですか! 

 

「そか、何事かと心配したぞ。暑いんだからこまめに水分とるんだぞ」

 

 部長さんが安堵の表情をして言う。この人、優しいなあ。


「いやいや、ぎゅってしてもらって体調が良くなるってなんだよ……部室で休憩してこい」


 あは、そこ疑問に思いますか。古水先輩は冷静ですね、そしてやっぱり先輩も優しい!

 綾里が腰をあげて、ニコリと微笑む。


「ありがとうございます、ではお言葉に甘えて少しだけ」

「おう、ゆっくりしてきな。夢川ちゃんもついていくのだ!」


 部長さんに命じられ、私はとっさに敬礼のポーズをとった。


「は、はい、仰せのままに!」

 

 うむ、綾里のおかげで心なしか、命じられることが様になってきたな。全然嬉しくない!


 綾里と並んで部室に向かう。

 不意に、綾里が私の方に頭を傾け、ニヤニヤしながら口を開いた。


「ねえ、喉乾いたから、ジュース買ってよ」

「なっ、そうきたか」

「私もことりに買ってあげる」

「えっ、うん……えっ?」

「部室に帰ったら、さっきの続きね。今度こそ後ろからね」

「えええ、今はちょっと汗が気になるんだよなあ、私汗っかきだから」

「私が気にしないからいいの、口ごたえしないで」


 うう、ご主人様ぁ……。


 後ろ手を組んでリズムよく歩く綾里は、どことなく、晴れやかな表情になっていた。


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